2007年12月31日月曜日

餅は餅屋



 雪がちらついている大晦日の朝、創業100年という老舗の餅屋さんは大忙しだ。餅は、餅屋の店頭で買った餅の方がおいしい。

2007年12月30日日曜日

効かない?

 うすうすは感じていたが、インフルエンザワクチンは思っているほどには効かないようだ(批判派の人たちが主張するように全く効かないかどうかはともかくとして)。私や息子もワクチンを打っているのにインフルエンザにかかったし、まわりでもワクチンを打ったのにインフルエンザにかかったという人があまりにも多い。

 元々、インフルエンザワクチンには弱点がある。インフルエンザウイルスは急速に変異するため、ワクチンがそのとき流行しているウイルスにうまく合いにくいこと、またウイルスを殺して作った不活化ワクチンであり、しかもウイルスの一部(HAタンパク)だけをワクチンにしているので、充分な抗体ができにくいといった点である。

 鼻に噴霧する生ワクチンが開発中ということだから、将来はもっと効果のあるワクチンができるのだろうが、非常に変異しやすいインフルエンザウイルスの性質を考えると、インフルエンザに対するワクチンにはどうしても限界があるということになる。

2007年12月27日木曜日

ブラームスはお好き

 「ブラームスはお好き」というのはサガンの小説の題名であるが、メキシコの指揮者であるエンリケ・バティスに「ブラームスはお好き」と聞いてみたい。
 バティスは爆演系指揮者として、一部熱烈なファンがいる。彼のベートーヴェンの7番は世界最速の演奏と言われており、私も聴いたが、そもそもベートーヴェンの7番は爆演系の曲なので、バティスの指揮が別に変だとは感じなかった(良いとも思わなかった)。
 でもブラームスは変だ。ブラームスの音楽は暗くてじめじめしている。4つある交響曲の中でも3番と4番は暗い。ところがバティス指揮のブラームスの交響曲はぜんぜん暗くない。あっけらかんとした明るい演奏なのだ。こういう演奏をおもしろがる人もいるだろうが、ちょっとついて行けないなあ。
 バティスは悲哀系の音楽は合わないのかと思うと、バティスが指揮した悲哀系のチャイコフスキーの6番「悲愴」は名演とされているらしい。これは聴かねばなるまい。今度も変だったら、ほんとに怒るぞ。

2007年12月24日月曜日

インフルエンザ



 末っ子がつくったクリスマス・ケーキ。
 実はこの子が12月21日突然の39度の発熱のため、小学校を早退した。検査でA型インフルエンザであった。予防注射をちゃんと2回したのに感染してしまった。2~3日は熱が続くかと思ったが、翌朝からは発熱はなくなり食事もとれるようになった。こんなに早く回復したのはその夜に吸入したリレンザの効き目なのか、あるいは予防注射をしていたためなのか。インフルエンザが一日で自然に良くなるとは思えないので、リレンザとワクチンの両方の相乗効果なのかも知れない。
 インフルエンザに対する抗ウイルス薬に対して批判的な医学関係の人たちがいる。その人たちはワクチンに対しても批判的である。ワクチンは感染予防に効果がないし、重症化も防げない、抗ウイルス薬は1日早く良くするだけだ、両方とも副作用の心配がある、という批判だ。
 私も数年前インフルエンザにかかったことがある。12月31日に発熱した(その前日、いやに体がだるかった)。やはりワクチンは打っていた。その時は熱が出て3日目からタミフルを飲んだので効き目も悪く、正月休みの間寝込んでいた。かなりしんどかった。批判派はたった1日早く良くなるだけだというが、あのしんどさが1日早く良くなるのならば、抗ウイルス薬を使う価値はあると思う。

2007年12月17日月曜日

ホルモンのてんぷら




 B級グルメではあるが、ホルモンのてんぷらという食べ物がある。これは全国どこにでもあるというものではなく、地域性があるようだ。私の職場から歩いていける距離にある上の3店はホルモン好きの人には有名な店らしい。
 しょっちゅう食べたいとは思わないが、たまに食べるとおいしい。

2007年12月16日日曜日

マルセイバターサンド

 子供の頃から乾しぶどうがきらいだった。北海道帯広市の六花亭のマルセイバターサンドがおいしいとは聞いていたが、乾しぶどうが入っているので食べたことはなかった。ところがどういうわけか最近乾しぶどうがにがてでなくなった。そこでマルセイバターサンドを食べてみた。なるほど確かにこれはおいしい。これからたびたび食べよう。何か得をした気分だ。

2007年12月13日木曜日

ケペル先生


 「ものしり博士」のケペル先生は子供の頃、毎週見ていた。「何でも考え~何でも知って~何でもかんでもやってみよう~」というテーマソングはまだ覚えている。
 このこどもテレビ百科事典とも言われたお勉強番組は、1961(昭和36)年4月~1969(昭和44)年4月までの期間、毎週土曜日の夕方5時45分~6時にNHK総合で放送されたとのこと。8年間も続いたのか、そうすると私が見ていたのは最初の数年間なのだろう。
 今、ケペル先生の写真をみると、ちょっとこわい感じがするがその頃はこわいなんてぜんぜん思わなかった。

2007年12月2日日曜日

そのまんま東国原

 そのまんま東こと東国原英夫氏は知事として人気が高いようだが、私は以前から彼の眼に不気味さを感じている。笑顔でも眼は冷たいままである。その東国原氏が以下のような発言をしたとのニュースがあった。


宮崎県の東国原英夫知事は11月28日、宮崎市の知事公舎であった若手建設業者らとの懇談会で「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と述べた。記者団に真意を問われた知事は発言を撤回せず、「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」と持論を展開した。懇談会の終了後、知事は「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザードなどにつながっている気がする」と言及。「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」と語った。


 そしてそれが問題になると次のように発言を修正した。


東国原英夫知事は11月29日、この発言について「徴兵制を容認していない。戦争に直結するものでは全然ない」と弁明した。同時に、若者に一定期間、強制的に農業を体験させる「徴農制」などの仕組みが必要と強調した。東国原知事は「徴兵制」発言について「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった」と釈明した。


 彼はタレント時代、1986年にフライデー編集部を襲撃し暴行罪で現行犯逮捕されている。また1998年には未成年者と淫行したことが露見し、罪には問われなかったがタレント活動を自粛した。1999年には後輩タレントを蹴り、略式起訴で罰金刑に処せられている。
 彼は自衛隊に入隊したことはない。自分は自衛隊に入隊せずにおいて、淫行や暴力事件を起こし、若者の道徳・倫理観の育成のためだと言って徴兵制を唱える。ふつうこういうのを恥知らずという。そのまんま東はやはりそのまんまであった。彼の眼は危険な眼である。

2007年11月29日木曜日

官僚の能力

 守屋前次官が逮捕されたが、官僚の汚職はいつの時代でもどの国でもあることではある。それより問題なのは官僚の能力が低下しているのではないかということである。最近十分検討されていないと思われる欠陥のある法律が多い。個人情報保護法や改正建築基準法など、その法律の欠陥のため社会に弊害を与えている。中古家電の問題もそうだった。あの時は施行直前に大きな反対運動がおき、事実上法律が凍結されたような状態になっている。
 社会がより複雑になったため官僚の能力が追いつかなくなっているのか、それとも昔の官僚に比べて能力が低下しているのか、いったいどちらなのだろう。官僚の能力低下だとすれば、その官僚を生み出す国民全体の能力低下ということにもなる。

2007年11月27日火曜日

情けない話

 「全国知事会と舛添要一厚生労働相は11月26日、産前産後の周産期医療と医師確保対策について意見交換し、知事側は地方の医師不足対策の一環として、日本の医師免許を持っていない外国人医師の診察も可能にする特区認定といった規制緩和などを要望した」というニュースがあった。

 日本は人口が確実に減っていくのだから、働き手が不足するのは明らかなことだ。ただそれは単純労働者の不足というところにまず現れるのかと思っていたら、医師という非常に重要な分野で人手が不足し、外国人医師の導入という要請が出るまでなっている。相当情けない話である。これまで続いてきた医師数抑制策が医師不足の根本原因であるが、それにいろいろな要素がからんでいるのであろう。
 世界一の長寿をもたらした日本の医療体制が崩れていっている。

2007年11月23日金曜日

弟の帰郷



 ホノルルで仕事をしている弟が久しぶりに戻ってきた。ちょうど今日は弟の誕生日でもある。我が家で誕生パーティーとあいなったが、弟はハワイの食生活で糖尿病になってしまっている。炭水化物ダイエットをしているそうだ。食事前に自己血糖測定をしたところ145と良好な結果であり、安心して予定の食事を始めることができた。
 豆乳なべとデザートはStudio K'sのシフォンケーキ、これならカロリーはあまり高くないだろう。
 弟の長女も今年、米国本土のKenyon Collegeに入学した。俳優のポール・ニューマンの母校である。Kenyon Reviewという文芸誌が世界的に有名らしい。姪とも長い間会っていない。小さなときのやんちゃな印象のままだ。

2007年11月18日日曜日

酒離れとスイーツブーム




 若者を中心に「酒離れ」が進んでいるようだ。ビール主要5社が発表した2007年上半期(1~6月)のビール関連飲料(ビール、発泡酒、第3のビール)の出荷量が、前年同期より1.9%減り、1992年に現行の統計が始まって以来、過去最低になった。今年は好天に恵まれたうえ、新商品も相次いで売り出されたにもかかわらず、「若者を中心に進む『酒離れ』を食い止められなかった」(ビール業界関係者)そうだ。

 「酒離れ」というのは良いことだろう。飲酒による病気や事故・事件を考えると、厚生労働省は本来、禁煙と並んで節酒を啓蒙すべきなのだ。

 一方でスイーツがブームとなっている。最近はテレビもラーメン特集でなくスイーツ特集が多くなった。日本経済新聞土曜日版についてくるNIKKEIプラス1の裏面の連載も温泉紀行が終了し、スイーツ紀行となった。

 酒を飲む人が減り甘いものを好む人が増えるという現象は、どのように解釈するのだろうか。

2007年11月17日土曜日

土と水

 昨日書いた井上道義氏に似た名前だが井上博義というジャズ・ベーシストがいる。現在は、小さなジャズ・バーを経営していて、毎晩ライブがある。この人のCDで「土と水」というのがあり、ベースの井上さんとサックスの藤井政美さんとのデュオの演奏である。これはジャズとオーディオ好きである萩焼の十二代目坂高麗左衛門氏のアトリエホールで録音されたもので、オーディオ的になかなかの優秀録音である。

 元々坂高麗左衛門は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に大阪に招致された朝鮮の陶工・李敬の末裔であり、毛利氏の萩移封後、萩城下松本村に開窯し、二代藩主綱広公より“高麗左衛門”の名を賜った。以来、坂高麗左衛門と名乗り、萩焼の宗家としてその伝統を長く受け継いでおり、十二代目坂高麗左衛門は、坂家伝来の萩焼に自らの専門分野であった日本画を施し、萩の陶芸界に新風を巻き起こしたとされている。

 その十二代目坂高麗左衛門氏が亡くなったのが2004年7月26日であった。新聞でそのニュースを読んで不可解な印象を持った覚えがある。坂氏は7月22日に知人数人と飲んだ後、深夜0時過ぎに友人二人と自宅に帰宅。その7時間後に自宅敷地内で倒れているのを友人が発見し、119番通報したが、意識不明のまま26日に死去。自宅2階からの転落による脳挫傷が原因の事故死として処理されたということだ。 推理小説のネタになりそうな事故である。

 長い間、井上博義さんのジャズ・バーに行っていない。これはジャズをあまり聴かなくなったということもあるが、もうひとつ理由がある。自宅を建てる際に本格的なオーディオ装置を買うことにし、井上さんからある店を紹介された。そこはオーディオマニアが集う店であり、メーカーの製品をそのまま売るのではなく、それを改造してよりグレードを高くして売るという商法であった。機器をつなぐケーブルなどのオーディオアクセサリー類もびっくりするくらい高額であった。改造なしで機器類を定価で買って、ふつうのケーブルを使ったときの2倍くらいの値段になる。さらにそこでやっているクライオ処理というのが理解できなかった。これは機器やケーブルをマイナス100度以下に冷却すると音が良くなるというものだが、理解不能であった。オーディオ暦の長いマニアがよく分かった上でこの店で買うのならばよいが、素人が買うような店ではないと思った。結局その店では買わなかったのだが、断るときにいやな思いもした。そのために井上さんのジャズ・バーに行きづらくなり、その後一回も行っていない。だがもうそろそろ行ってもいいかなという気はしている。

2007年11月16日金曜日

十字架もない私の墓に三本のゆり

 これは今日聴いた井上道義指揮のショスタコーヴィチ14番の第4楽章の中の一節の日本語訳である。
 プログラムは9番と14番、ショスタコの中では人気がない部類に入る曲だが、9割もの客の入りで井上道義さんが驚いていた。以前このホールで本場ロシアのドミトリエフ指揮で、もっと人気のあるショスタコの11番が演奏されたが客はもっと少なかった。これは私のように、井上道義さんの指揮だから聴きに来たという人がけっこういるのだろう。
 それぞれの曲の前に井上さんの解説があった。井上さんは一見ダンディな感じだが、トークは気取りがなく、ユーモアがありとても良かった。井上さんのトークで初めて知ったのだが、ショスタコの9番はユダヤ人のための曲だという説が最近出ているらしい。最終楽章ではユダヤの古い踊りが引用されているということだ。
 この9番という交響曲はソ連当局からベートーヴェンの第九に匹敵する大曲を期待されていたのに、わざとこじんまりとした軽い感じの曲にしたため、当局の不興を買ったというのは有名な話である。もしこれがユダヤ人のための曲だということが露見していたら、ショスタコーヴィチは反ユダヤ主義のスターリンによって粛清されていただろう。こういうことをするのがショスタコーヴィチという人なのだ。
 今日のメインは14番、日本ではめったに演奏されることがない。それはこの曲が交響曲ということになっているが、実際はバスとソプラノによる声楽曲であり、ロシア語による歌を充分に歌いきる歌手がほとんどいないという理由による。今日は井上さんが選んだロシア人歌手が見事な歌を聴かせてくれた。この曲は日本では「死者の歌」という副題で呼ばれるように(そういう副題を付けるのは日本だけらしいが)、暗い歌である。演奏中ホールの照明を落とさず、日本語訳を読みながら聴けるように配慮がされていた。まあ、かなりハードな曲ではある。癒しには決してならない。もっともショスタコで癒しになるような曲はないか。
 古い知人の森岡夫妻に会場で声をかけられた。こういう趣味があるとは知らなかったなあ。

2007年11月13日火曜日

マウント・クック


 この写真は若いときに旅行したニュージーランドのマウント・クックである。遊覧飛行機でマウント・クックの氷河の上に降り立った。氷河といっても北海道の雪原のようであまり感動もなかった(北海道の雪原を知らなければ感動したと思うが)。マウント・クックは英国の海洋探検家キャプテン・クックからつけられた名前である。

 当分の間、国内旅行もできそうにないなあ。
 

 

2007年11月11日日曜日

フランクのヴァイオリン・ソナタ

 1週間前に、インジフ・パズデラと志村泉という人のデュオリサイタルを聴いた。お目当ての曲はフランクのヴァイオリンソナタ。会場でもらったパンフレットで知ったのだが、パスデラという人はチェコのシュターミッツ弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者である。シュターミッツ弦楽四重奏団の名前は聞いたことがある。帰って調べてみると、彼らが演奏したヤナーチェク、スメタナ、マルティヌーの弦楽四重奏曲集のボックスセットを持っていた。
 パスデラさんの演奏は良かったのだが、フランクのヴァイオリン・ソナタはロマンティックな曲なのに、パスデラさんはまったくロマンティックな風貌ではない。これは目を瞑って聴くのが正解なのだろう。

2007年11月3日土曜日

ザグレブ四重奏団とザラフィアンツ

 ザグレブ弦楽四重奏団とピアニストのエフゲニー・ザラフィアンツのコンサートに行った。
 プログラムは第一部がハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」とシューマンのピアノ五重奏曲、第二部がブラームスのピアノ五重奏曲。
 月末から月初めにかけては事務作業が多く、少々疲れていた。「ひばり」の心地よい音楽でうとうと眠ってしまった。でも、第二部では眠気もなくというか、演奏の迫力に眠気も吹っ飛んでブラームスのピアノ五重奏曲をしっかりと聴いた。この曲は名曲だと思う。
 ザラフィアンツはそれほど有名な人ではないが、なかなか良かった。調べるとnaxosからザラフィアンツのCDが出ている。これはぜひ購入しよう。

2007年10月28日日曜日

天満敦子のコンサート


 天満敦子のソロ・コンサートに行ってきた。
 プログラムは第一部がバッハ:アダージョ、シューベルト:アヴェ・マリア、マスネ:タイスの瞑想曲、アイルランド民謡:ロンドンデリーの歌、イギリス民謡:グリーンスリーヴズ、黒人霊歌:アメイジング・グレイス、バッハ:無伴奏バルティータ3番。第二部は和田薫:無伴奏ヴァイオリンのための譚歌<Ballade>、バッハ:無伴奏パルティータ2番シャコンヌ付、ポルムベスク:望郷のバラード。
 第一部の終わりに10分くらいのトークがあった。以前から思っているのだがクラシックのコンサートも、もっとトークがあっていいと思う(外国人の演奏家の場合は難しいが)。一般的なオーケストラのコンサートは儀式のように無言で序曲、協奏曲、交響曲が演奏されることが多い。指揮者が短くてもいいから観客に語りかけると随分親近感が増す。大植英次のようにそうしている指揮者もいる。井上道義も観客にお礼のことばを述べるらしい(今度聴きに行く予定)。
 バッハの無伴奏はCDでは何人もの演奏家を聴いてきたが、実演は初めてだったので聴けてよかった。
 天満敦子といえば望郷のバラード、望郷のバラードといえば天満敦子といわれるぐらい彼女のトレードマークになっているこの曲、さすがに聴かせますね。
 さて望郷のバラードを演奏した後、アンコールを何で締めくくるのか興味津々だった。アンコールは2曲、1曲目はドヴォルザークのユモレスク、さあ最後の曲は何だろう。まさか、望郷のバラードをもう1回演奏するということはないだろう。実は彼女にはもう1曲必殺ワザがあったのです。演歌「北の宿から」。そうか、この手があったのか。でもこの演奏は良かったぞ。
 天満敦子はバッハより「お涙ちょうだい」系が似合う。

2007年10月22日月曜日

足底筋膜炎

 冠婚葬祭のときは英国のEdward Greenを履くが、出張で長く歩くことが予想される場合は、米国のAldenのダブルソールの靴を履くことが多い。今回もAldenのコードバンで作られた質実剛健といったふうな靴を履いて出張に行ったが、実は2日前から左足底の軽い痛みがあった。
 歩いているうちに徐々に痛みが強くなり、出張から帰るときには左足を引きずるような痛みになってしまった。足底筋膜炎だろう。ウォーキングシューズにすれば良かったのかも知れないが、ここまで悪化するとは予想していなかった。 でも、スーツにウォーキングシューズというのもなんだかなあ。

 一日たってだいぶ痛みは軽くなってきた。

2007年10月21日日曜日

スリッパ

 スリッパという履物が何のために存在しているのか前から疑問に思っていた。調べたところ、語源である「slipper」は「すっと履ける物」という意味で、上履き全般のことを指すが、日本で一般的にスリッパと呼ばれている形状のものは、日本で生まれたものだそうだ。
 開国により西洋人が多く日本に訪れるようになった明治初頭、室内で靴を脱ぐ習慣の無い西洋人が土足で屋内へ入り込む問題が発生し、それを解決するために仕立て職人である徳野利三郎が1907年(1876年という説もある)に発案した上履きが、現在のスリッパの原型であると言われている。当時は、靴の上から履くためのものだった。現在では一般的には、足を汚さないために使用するということらしい。

 足を汚さないためというのは納得できない。ふつうに掃除している家で足が汚れるか。洗濯しないスリッパの方がよほど汚いだろう。足が冷たいために履くというのならば靴下を履けばよい、靴下ではすべるというならば、滑り止めのついた靴下もある。履物を履かないと落ち着かないのならば、デッキシューズを履けばよい。つまずいてこけて、骨折するという危険がうんと減る。

 私はスリッパが嫌いだ。

2007年10月15日月曜日

てなもんや三度笠


 こういうニュースがあった。


 大阪の御堂筋を練り歩く御堂筋パレードが10月14日行われ、かつての人気テレビ番組「てなもんや三度笠」が1日限りの“復活”を果たした。御堂筋完成70周年を記念し、大阪の歴史を振り返るパレードにしようと、主催者側が番組に出演していた藤田まこと(74)と白木みのる(73)に参加を呼びかけたもので、39年ぶりの「あんかけの時次郎」「珍念」コンビの再現に、沿道に集まった約125万人のファンは大歓声。藤田は番組スポンサーだった前田製菓のクラッカーを手に「俺がまだこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」と、名ゼリフを口にし、白木も「こんなにたくさんの人が集まってくれて本当にうれしい」と笑顔を見せた。
 またパレードには、同時期に放送されていた「とんま天狗」の大村崑(75)と芦屋小雁(73)も参加。当時の番組衣装に身を包み、殺陣を披露すると、沿道からは拍手が送られた。



 てなもんや三度笠とくるとスチャラカ社員を連想してしまう。

 スチャラカ社員は1961年4月~1967年4月の放映で、ミヤコ蝶々、横山エンタツ、中田ダイマル・ラケットをはじめ、藤田まこと、白木みのるら、当時の上方人気タレントを総動員して作成された。商社「海山物産」を舞台とするサラリーマン・コメディーで、「ホ~ント、チ~トモ知らなかったワ~」や「ハセく~ん」という流行語が、この番組から生まれた。デビューしたばかりの藤純子(現・富司純子)も出演した。
 一方のてなもんや三度笠は、1962年5月~1968年3月に放映されている。ほぼ同時期で、出演者も重なっている。どうりで連想してしまうはずだ。

 藤純子を富良野で見たことがある。あれはワイン館だったか、作家の倉本聰の案内で藤純子が入ってきたところに遭遇した。テレビのイメージとは違って、背が高く化粧の濃い現代的な美女であった。

 それにしても前田製菓はまだあるのか、昔の友人の元気な知らせを聞いたようでなんだかうれしい。

2007年10月14日日曜日

用心棒日月抄

アマゾンのカスタマーレビュー風に

用心棒日月抄
★★★★
By tockng
 「用心棒日月抄(ようじんぼうじつげつしょう)」は藤沢周平の人気作である。赤穂事件の浅野と吉良方の争いに主人公がまきこまれるのが面白さの要因のひとつであると思う。ただ、どうも今ひとつ納得できないところがある。それは由亀のことである。主人公、青江又八郎は家老の悪だくみを知り、許婚の由亀の父に話す。しかし由亀の父はその一味であり、後ろから切りかかられ反射的に由亀の父を切り脱藩し江戸で用心棒稼業をする。非は由亀の父の側にある。しかし、自分は許婚の父を殺した仇である。家老が送ってくる刺客と死闘を繰り広げながら、又八郎は由亀が仇討ちに来るのを待つ。由亀が来ればおとなしく仇を討たれるつもりでいる。
 で、結局家老と敵対する側の力が強くなり、又八郎は藩に呼び戻される。由亀は又八郎のただ一人の家族である祖母といっしょに暮らしていた。やがて家老は失脚し又八郎は由亀と結ばれてめでたしめでたし、となる。
 由亀には葛藤はないのだろうか、いくら父が死の間際に又八郎を頼れと言ったということにはなっていても、なんだかなあ。由亀はあくまでも仇討ちに行くべきだろう、仇討ちの場でどうしても自分には討てませんと泣き崩れ、主人公と結ばれるという展開(ちょっとくさい展開にはなるが)は考えられなかったのだろうか。
 それと、一時吉良方について動いていた魅力的な小唄の師匠(世を偽る仮の姿であるらしい)、おりんという女の正体が明らかにされないまま終わっている。その後のシリーズでまたおりんを出すつもりだったのかも知れないが、結局2作目にも出てこない。

 元々は月刊誌の連載ものだから、あとからああすればよかったと思っても改変するわけにはいかないだろうけどね。まあ、面白かったからいいか。

2007年10月8日月曜日

幻視

「死んだ夫がときどきそこに座っているんですよ」とその高齢の女性は言った。私が座っている居間に出現するらしい。
「何か、しゃべるんですか」
「いいえ、話しかけても返事はありません。しょうがないからそのままほおっておきます。そうするといつの間にか消えています。めんどくさいことに、夫だけでなく生きている大阪の親戚も出てきて、やはり何もしゃべらず、気がつくと消えています」
 その女性は、自分が見たものが現実にはそこに存在しないはずのものだとしっかり認識している。そのことに対する恐れは持っていないようだった。
 幻視だろう。この時点ではこの人は歳相応の物忘れはあるが、呆けているようにはみえなかった(まあ、見えないはずのものが見えるということに対する恐れがないということは呆けなのかもしれないが)。幻視が認知症の症状として最初に出てきたのだろう。この女性は数年後には完璧な認知症となった。
 見えるということは脳の視覚皮質の処理によるものであり、実際にないものも見えることがあり、実際にあるのに見えないこともある。

2007年10月2日火曜日

火がご馳走

 20年以上前になるが、出向で札幌で働いていたことがある。タクシーの運転手が北海道の昔のことばだと言っておしえたくれた「火がご馳走」。寒い中を訪ねてきた人に対するもてなしは何よりも火で温めてあげるということ。北国でなければ分からないことばである。その時期はプライベートで苦境に陥っていた時期であった。北海道の冬空のように毎日重苦しい気持ちだった。北海道の冬は、永遠に続くのではないか、春は来ないのではないかと思うような厳しさであった。でも時期がくれば雪がとけて春は来た。雪解けの意味が身にしみて分かった。春が来たのがこんなに嬉しかったことはない。私の心の冬もやがて終わりをつげた。「火がご馳走」ということばはいまだに印象に残っている。

2007年9月28日金曜日

久しぶりのオーケストラ


 最近、コンサートは室内楽中心だったので、昨日は久しぶりのオーケストラだった。オーケストラは華やかなので聴く前から高揚した気持ちになる。曲目はシューベルトの未完成とブルックナーの9番。ブルックナーはやはり奇人の音楽だと思った。

 CDではブルックナーは途中で退屈して聴きとおすことができない。しかし、生のコンサートではオーケストラの音響的迫力に圧倒されて退屈せずに聴くことができる。それどろこかずっとこのまま聴き続けていたいという気持ちさえする。

 音楽を聴いて感動するというより音響を聴いて圧倒されるのがブルックナーの正しい聴き方かも知れない。そうなると、CDを聴きとおすためには大音量で聴いて圧倒されなければいけないのか。でも、オーディオでは、それがどんな高額な機器であっても、機器の調節がどんなに優れた人であっても、生のオーケストラの迫力は出せないと思う。

 一日たって、ブルックナーの音楽は変だという気持ちがさらに強くなった。

2007年9月27日木曜日

アイドルとしての酒井和歌子


 酒井和歌子を初めて見たのは、テレビドラマ「フレッシュマン」だったと思う。検索しても「フレッシュマン若大将」はたくさんひっかかるが、テレビドラマ「フレッシュマン」はたった1件でその内容も乏しい。出演者に黒沢年男もいるのでこの番組で間違いないとは思う。酒井和歌子はその当時高校生で、ドラマでは脇役だったがとても可憐でいっぺんにファンになった。本当に可愛かった。

 「くしゃみ3回ルル3錠」のコマーシャルで「風邪、やあね」というのも良かったな。レコード(確か大都会の恋人たちという題名だったか)も出した。もちろん、買った。歌がへただと思ったが、そういうことは二の次だった。

 加山雄三の若大将シリーズに星百合子に替わってヒロインとして出演したが、星百合子の色気に完全に負けていた。酒井和歌子の魅力は少女としての清純さだったのだろう。それが大人になれば、大人の女性としての色気が女優として必要だろうが、その色気が酒井和歌子には乏しい。結局大女優と呼ばれることはなかった。デビューした16歳からの数年間が、アイドルとしての「酒井和歌子」の時代だったのだ。

2007年9月24日月曜日

化学物質過敏症

 化学物質過敏症といわれる状態がある。国際的にはMultiple Chemical Sensitivity(多種化学物質過敏症状態)と呼ばれる。これは例えば、住宅から発生するホルムアルデヒドに暴露してしまった後、体が非常に過敏となり、その後はホルムアルデヒド以外のごく微量の化学物質にも種類を問わず反応してしまうようになるという状態である。症状は粘膜刺激症状、皮膚炎、呼吸器症状、循環器症状、消化器症状、精神症状、自律神経障害、中枢神経障害、頭痛、発熱、疲労感など広範囲にわたる。

 化学物質過敏症という病気があるかどうか、否定的な研究者も少なくない。環境省の研究班による二重盲験法による暴露試験では、北里研究所病院の診断基準で化学物質過敏症と診断された9人のうち、1人しか真性と思われる患者はいなかった。つまり、化学物質過敏症と診断された人の多くは他の病気かも知れないのだ。

 米国のWilliam J.Rea医師は化学物質過敏症の領域では有名であり、日本でも講演を行っている。その人物に対する以下のようなニュースがあった。



 テキサス州ダラスで環境健康センターを運営しているWilliam J. Rea医師が、医師免許を取り消されるかもしれない懲戒処分請求に直面している。テキサス州医事当局が彼を以下の罪で懲戒請求した。(a)疑似科学的検査法を用いた。 (b)正確な診断を行わなかった。(c)「無意味な」治療を行った。(d)彼の治療法が根拠がないという情報を患者に提供しなかった。(e)彼が訓練を受けていない分野の治療を行った。(f)米国内科医認定機関が認めていないのに自分は認定された医師であると称していた。

2007年9月22日土曜日

ナショナルキッド


 子供時代の一番のテレビヒーローはナショナルキッドだった。それ以外にも多くの同時代のヒーローがいる。この時代のヒーローの筆頭はなんといっても月光仮面だろうが、月光仮面には夢中になったという記憶がない。そこでテレビ放映時期を調べてみた。順に並べてみると以下のようになる。
月光仮面は1958年2月から1959年7月
少年ジェットは1959年3月から1960年9月
矢車剣之介は1959年5月から1961年2月
七色仮面は1959年6月から1960年6月
豹(ジャガー)の眼は1959年7月から1960年3月
怪傑ハリマオは1960年4月から1961年6月
アラーの使者は1960年7月から同年12月
ナショナルキッドは1960年8月から1961年4月
新・少年ジェットが1961年7月から1962年4月
新諸国物語 紅孔雀は1961年8月から1962年4月
 七色仮面、豹(ジャガー)の眼、ハリマオ、アラーの使者、ナショナルキッドは強く印象に残っている。月光仮面はそれらに比べて1年ほど放映時期が早い。おそらく私はリアルタイムでは月光仮面を観ていないのではないか、再放送を何年か遅れて観たのではないかと思う。そのときはもう夢中になる年齢ではなかったのだろう。
 ナショナルキッドに17歳の太地喜和子(当時の芸名は異なる)が出演していたのは今回知った(上記の写真の女性が後の太地喜和子)。なお矢車剣之介の主役は手塚茂夫(のちスリーファンキーズに加入)で、五月みどりも出ていたらしい。

 幼い日の思い出である。

 

2007年9月19日水曜日

麻生太郎氏の部落発言

「野中広務 差別と権力」(魚住照著:講談社発行)という本の中にこういう話が出てくる。

 「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。


 もちろん麻生氏本人はこの差別発言を否定しているが、この発言を聞いた複数の人間がいる以上事実であろう。このような人物が総理大臣にふさわしいかどうかは明らかである。なぜかマスコミはこの問題に触れようとしない。結局水掛け論になってしまうことが明白ということもあるし、現在この問題を取り上げれば麻生氏に対する否定的キャンペーンをはることになるということもあるだろう。
 部落問題に関しては、部落開放同盟の過酷な糾弾闘争に対する恐怖を利用した利権構造や不正行為が多発し、負のイメージが出来上がっており、正邪が不明確になっている。そういうこともあって、マスコミは部落問題に関わりたくないのではないかとの気もする。

2007年9月18日火曜日

NAXOS

 ナクソス(NAXOS)は、1987年に実業家のクラウス・ハイマンが、夫人である日本人ヴァイオリニストの西崎崇子とともに設立したクラシック音楽系のレコードレーベルである。

 ナクソスが活動を始める以前の大手レーベルは、有名なスター演奏家を起用することで販売数を伸ばしていた。しかし、ナクソスはこれとは逆に、無名でも実力のある演奏家を起用することで価格を低く抑えることを志した。 CD1枚が大体1000円前後である。大手レーベルが一部の超有名曲の知名度に頼りきっていた状況にあったのに対し、ナクソスは知名度は低くとも良質な曲であれば積極的に取り上げ、そのような曲の開拓をしていった。とくに20世紀の音楽をたくさん出している。ナクソスの最大のポリシーとして、「一度市場に出したCDは廃盤にしない」点がある。

 私もナクソスのCDはたくさん持っている。しかし、これまでの日本の代理店が、2007年9月末を以ってナクソス・ジャパンに変わることになり、それにともない値段が上がるらしい。10月まではナクソスはHMVでも在庫のあるCDしか購入できない。というわけで値上がりする前に在庫のあるナクソスの20世紀音楽をたくさん注文した。当分CDを買わなくてもよい状態となった。

2007年9月16日日曜日

アルコール性筋肉痛

 私は常習的な飲酒はしないが、何かの機会に飲酒することはある。アルコールが分解されてできるアセトアルデヒドは有害物質であり、発がん性もあるといわれている。このアセトアルデヒドが二日酔いの原因物質である。アセトアルデヒドを分解するアセトアルデヒド脱水素酵素の遺伝子は3型あり、それによってアルコールに強い、弱い、まったく飲めないという体質が決まる。白人・黒人は100%強いタイプらしい。モンゴロイドの45%が弱いタイプ、5%がまったく飲めないタイプである。

 私は45%の弱いタイプである。会合では酩酊するまで飲むことはないが、自分の代謝力を超えて飲んでしまうことが多い。そうすると翌日軽い二日酔いで、胃の調子が悪い、気分がおちこむ、体がだるい、といったことになるのだが、下肢を中心とした筋肉痛も出る。アルコールで筋肉痛が出るという人は割といるようだ。 この筋肉痛の原因をこれまで、アセトアルデヒドを代謝するためにブドウ糖が分解されて乳酸ができて、それがたまって筋肉痛の原因になるのだと思っていた。

 しかし、どうやら違うようだ。筋肉痛は、かつては疲労物質とされていた乳酸の蓄積によるものと考えられてきたが、その考えは現在では否定されており、現在主流となっている考え方では微細な筋肉細胞の損傷が原因とされている。筋肉自体には痛みを感じる機能がないので、筋肉細胞の修復過程での筋膜やその結合組織に起きる炎症が痛みを感じさせていると考えられているようだ。

 これは運動性の筋肉痛の説明にはなってもアルコール性筋肉痛(こういう言葉は一般にはないが)の説明がつかない。そこでもう少し調べてみた。

 アルコール中毒者の場合、アルコールによる筋細胞の代謝障害(エタノールやアセトアルデヒドによる筋肉内解糖系酵素活性の阻害)または直接毒性(エタノールによる筋鞘膜や筋肉内ミトコンドリアに対する直接毒性)等により横紋筋融解症を含む筋障害(アルコール性ミオパシー)を来たす場合があるらしい。そうすると中毒者でなくても、アルコールによる作用で横紋筋融解症やミオパシーまではいかない軽度の筋障害がおきる可能性も十分考えられる。

 アルコールによる筋肉痛の研究をしている人などいないだろうから、原因が確定することはないだろう。今のところこのアルコールによる軽度筋障害説で納得しておこう。

2007年9月13日木曜日

日本一の無責任男か

 植木等以来の「日本一の無責任男」の出現である(若い人に言っても通じなかった、植木等もクレージーキャッツも知らないからなあ)。植木等は役として演じていたわけだが、今度のは本物である、安倍晋三、日本の総理大臣である。
 辞めるべきときに辞めず、辞めてはいけないときに総理大臣職を放り投げてしまった。前代未聞、抱腹絶倒(これは違うか)の事態である。
 ジャーナリストの立花隆氏が以前から指摘していたように健康問題(潰瘍性大腸炎)もあったのだろうが、まともな判断ができない精神状態にもなっているようだ。立花隆氏はいずれ健康問題で辞任すると予言していたが、今回の唐突な辞任は健康問題ではなく週刊誌で暴かれる時効が成立している脱税問題ではないかと立花氏は言っている。
 もともと総理大臣になるべき人ではなかったのだろう。こういう人物を総理大臣にしたというのは自民党政治の退廃であろう。
 安倍氏の悲劇は小泉氏と光と影の関係なのではないか、小泉氏は扇動政治によって世論を動かした人である、毛沢東の扇動によるおぞましい文化大革命になぞらえる人もいる。毛沢東が中国国民に肯定的にとらえられているように、日本国民の多くにはいまだに小泉氏に対する幻想があるが、安倍氏は本来小泉氏が払わないといけない影の部分のつけを払わされたのだ。 

 ゆとり教育世代がよく批判されるが、実は安倍氏の世代がだめなのではないか。この世代が社会の中心的な役割を果たしているのだから、これでは日本は良くならない。
 

2007年9月12日水曜日

節約した人件費の向かった先

 以下は経済アナリストの森永卓郎氏のレポート(2007年9月10日)の要約である。

 経済格差の問題は、正社員と非正社員の間に存在する格差である。この格差はもともと存在していたのだが、昨今の非正社員の急増によって表面化したというのが正確なところだろう。一般的に言って、正社員の平均年収が500万円を超えているのに対して、非正社員は100万円台前半。正社員を減らして、その分を非正社員にすればするほど、企業にとっては節約になるわけだ。2001年度から2005年度にかけての「雇用者報酬」の推移を見ると、8兆5163億円も減少している。ところが、企業の利益に相当する「営業余剰」は、逆に10兆1509億円も増えているのだ。非正社員を増やしたことで、4年間で8兆円以上も給料を減らしたのに、逆に企業の利益はそれ以上に増えていることを示しているのである。
 これはおかしいのではないか。もし、日本企業がグローバル競争に勝ち抜こうというのなら、人件費の節約分を製品価格の引き下げに振り向けているはずである。しかし実際には、人件費の下落を上回る分が、まるまる企業のもうけになっていたのだ。
 では、人件費を減らしたことで企業が得た利益は、最終的にどこに行ったのか。一つは株主である。財務省が発表している「法人企業統計」でみると、2001年度から2005年度までの4年間で、企業が払った配当金は3倍に増えている。
 そして、もう一つは企業の役員である。やはり「法人企業統計」によると、2001年度から2005年度までの4年間で、資本金10億円以上の大企業の役員報酬(役員給与と役員賞与の合計)は、なんと1.8倍になっている。さらに、先日、日本経済新聞社が発表したデータによれば、主要100社の取締役の 2006年度分の報酬は、ここ1年で22%も増えていることが分かる。
 これはあまりにもひどい。これこそまさに「お手盛り」ではないか。非正社員を増やして給料を下げておき、自分たちの給料を5年で倍増させているのである。要するに、大企業の役員たちは、消費者のことも、従業員のことも考えていないのだ。彼らは、景気拡大や構造改革を、自分たちの給料を増やすチャンスとしかとらえていないのである。
 同じ会社役員でも、資本金1000万円未満の中小企業の役員報酬は、2001年度から2005年度までの4年間で3%減っている。その理由は明白だ。大企業が発注単価をどんどん絞っているために、中小企業の業績が悪くなっているのである。
 これを見れば、小泉内閣の下で進められてきた構造改革で、いったい何が起きたのかが分かってくるだろう。結局、権力を握っている人たちだけが太って、一般の庶民はその割を食っているのである。

 
 森永氏が怒っているように、これはひどい話だ。国民の多くは小泉前総理の改革なるものに幻想を持ち、まだ自分たちが小泉氏によって何をされたかを分かっていないのであろう。小泉改革の正体に国民の多くが気づかないまま事態が悪化していくのかも知れない。国民の多くは小泉氏を熱狂的に支持したわけだから自業自得ということにはなるが、小泉氏に反対していた人まで巻き添えをくってしまう。これは衆愚政治ということなのか。

2007年9月11日火曜日

環境ホルモン

 最近環境ホルモンが話題にならないと思っていたら以下のようなことだった。


 環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質)は1996年に米国の科学者シーア・コルボーンが「our stolen future」という本を出版し、97年には日本でも出版され、NHKが特集番組を放送し一気に社会問題化した。当時の環境庁(現環境省)は98年環境ホルモン戦略計画=SPEED'98をまとめ、内分泌攪乱化学物質を有すると疑われる67物質を公表し調査を始めた(2物質は予備調査で影響なしと判断されたため最終的には65物質のリストとなった)。

 それで結果はどうだったのか。人に対する環境ホルモン作用が確認された物質は現在のところない。哺乳類についてもなく、メダカで4物質の作用が確認されたのみであった。しかもその作用は人の尿中から下水処理場を通って出る水に含まれる女性ホルモンよりもはるかに低いものであった。

 結局リストは2005年に廃止された。

2007年9月10日月曜日

若者の所有欲減退

 大前研一氏の以下のような気になるレポート(07/09/04)があった。

 日本経済新聞社が首都圏に住む20代、30代の若者(20代1207人、30代530人)を対象に実施したアンケート調査の結果、無駄な支出を嫌い、貯蓄意欲は高いという、予想以上に堅実で慎ましい暮らしぶりが浮き彫りになった。
 今回のアンケート調査(2007年)の結果を見てみると、20代の人は2000年の調査時点に比べて、車の所有率(23.6%→13.0%)も所有欲(48.2%→25.3%)も半減していて、飲酒についても、月に1度程度あるいは全く飲まないと回答した人の割合が34.4%になっている。
 特に注目すべきは、「車が欲しい」という所有“欲”が低いということだ。高度経済成長期から日本人を形作ってきた所有欲そのものが減退していることを私は重く受け止めるべきだと考えている。こうした若者の実態の変化について、なぜ10年でこれほど変わってしまったのか?ということを、もっと突き詰めて研究することが重要だろう。

 あるブログには「この十年間生育した若者はモノを欲しがりません、お酒も飲みません、パソコンもいりません・・・なんか欲しいものなんか無いのよ。単純に携帯電話のみで全てを間に合わす生活、そんな時代になってきたみたい」とあった。

 所有欲がなく、飲酒せず無駄使いをせず貯金に励むというのは、清貧でよいことではないかという意見を持つ人も当然いるだろう。だがそういう肯定的なものではないような気もする。大前研一氏も不気味なものを感じているのではないか。

2007年9月9日日曜日

only chamber music 第13回



 9月8日にあった、前ウィーンフィルコンサートマスターのヴェセリン・パラシュケヴォフ氏を招いてのonly chamber music series第13回を聴きにいった。

 第一部はシューベルト弦楽三重奏曲第2番と第1番、第二部はフォーレのピアノ四重奏曲第1番であった。シューベルトの弦楽三重奏曲第1番は第2楽章の途中で放棄された未完の曲であるが、パラシュケヴォフ氏が補筆して演奏できる形にして第2楽章までの演奏となった。何でも、こういう形で第2楽章まで演奏するのは日本では初めてらしい。シューベルトの弦楽三重奏はCDも持っておらず、これまで聴いたことがなかった。

 第一部のシューベルトは色でいえばセピア色か、第二部になりピアノが加わるととたんに華やかになる。弦楽器がピアノの音量に負けないように一段と大きな音を出す。それにフランス音楽らしく色彩感にあふれた演奏になる。第一部は慈しむような演奏であり、第二部は迫力のある熱演であった。

 最近アマチュア~セミプロレベルの演奏を聴くこともあったが、やはりプロの演奏家は美しい音を出す。当たり前のことだが再認識した。

2007年9月8日土曜日

アンチエイジングとしての成長ホルモン

 米国ではアンチエイジングのため様々なホルモンが投与されている。なかでも成長ホルモンは、一流医学雑誌に論文が発表されて以来アンチエイジングの中心的役割を担い、1万人がアンチエイジングのために成長ホルモンの注射を受けているという。

 この論文(N Engl J Med 1990;323:1-6)によれば、高齢者に成長ホルモンを投与すると、筋肉量が増え体脂肪量が減るという。この論文はアンチエイジング産業の広告宣伝に利用されるという結果になった。その後、この医学雑誌は、「成長ホルモンは加齢を防げるのか?」という論文を掲載し、このような風潮にくぎを刺している。この中で著者は、成長ホルモンの投与は確かに筋肉量を増やすが、その機能まで高めているという根拠はないと主張し、むしろ成長ホルモンによる癌の発症を危惧している(N Engl J Med 2003;348:779-780)。その根拠として、血液中のIGF-I(成長ホルモンにより増えるホルモンであり、これが高いことは成長ホルモンが高いことを意味する)の濃度が高いほど前立腺癌の発症率が高い、という研究を紹介した。ほかにも、成長ホルモンが投与された人では、大腸癌やリンパ腫などの発症率が上昇し、癌による死亡率も高くなるとの報告もある(Lancet 2002;360:273-277)。そればかりではなく、成長ホルモン投与は糖尿病の発症率も上昇させる( JAMA 2002;288:2282-2292)。

 実験室レベルでは成長ホルモンの受容体をノックアウトした(成長ホルモンへの反応をなくした)マウスは寿命が延びることが分かっている。これをそのままヒトに当てはめることはできないだろうが、発癌の問題以外にも成長ホルモンはアンチエイジングに逆効果をもたらす可能性があるということだ。

 日本でも高額(薬代だけで一ヶ月262500円というサイトがあった)の成長ホルモン注射をアンチエイジング目的で行っているクリニックはある。成長ホルモンを成人に注射すると筋肉量が増し気力も充実するらしいので、いかにもアンチエイジングに良いと感じてしまうのだろうが、アンチエイジングに効果があるかどうかは長い年月と多数例での検討が必要である。現時点で成長ホルモンを使うのはあまりにもリスクが高い。

2007年9月7日金曜日

ロックスターの死

 ロックスターの早死についての論文が発表された。以下はその要旨である。

 ロックやポップのスターは一般人より早死にしやすい、それも有名になって数年後に。
 1956-1999年に有名になった 1050人以上の北米及びヨーロッパのミュージシャンや歌手を2005年末の時点まで調べた結果、100人のスターが1956-2005年までに死亡していて、平均死亡年齢は北米で42才、ヨーロッパで35才であった。4人に1 人以上の死因が長期に渡る薬物やアルコールの問題であった。英国や米国の一般人に比べると2倍以上若くして死にやすく、特に有名になって5年以内が多い。ヨーロッパのスターが一般人と同じ平均余命に戻るのは有名になって25年後であるが、米国のスターは死亡率が高いままである。
Elvis to Eminem: quantifying the price of fame through early mortality of European and North American rock and pop stars
Online First  J Epidemiol Community Health 2007


 ロックを聴き始めたころ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、マーク・ボランといったミュージシャンが次々に若死にした。あのころのロックは社会に反抗する音楽だったなあ。
 ジョン・レノンが死んだことを知ったのは、もうロックを聴かなくなった社会人1年目の夜のラーメン屋のテレビニュースでだった。
 反体制の音楽としてのロックも死んだのだろう。

2007年9月4日火曜日

流れよ、わが涙

 フィリップ・K・ディックの 「流れよわが涙、と警官は言った」を読んだのはずいぶん昔のことだ。もう内容は覚えていない。ただその題名のかっこよさが印象に残っていた。

 「流れよ、わが涙」というリュート歌曲が16世紀に流行したと知ったのは数年前のことだ。ここからディックの小説の題名は来ていたのか。この歌曲はイギリスのリュート奏者のジョン・ダウランドが作曲したものだ。

 リュートという楽器はクラシック・ギターの原型で琵琶のような形をしており、弦が2本1組で張られているため、厚みや深みのある特有の音色がする。とはいうものの、ギターの先祖なのでギターよりももっと地味な音だ。ホプキンソン・スミスという有名なリュート奏者が来日したのは2004年だったか。私の住んでいる地方都市でもコンサートがあり聴きにいった。でも、結局リュートの音が自分の好みでなく、前半を聴いて帰ってしまった。

 2006年にロック歌手のスティングがダウランドのリュート歌曲集を出して話題になった。このCDの中にも「流れよ、わが涙」は入っている。

2007年9月2日日曜日

教会で聴いたスターバト・マーテル




 教会でバッハ編曲のペルゴレージのスターバト・マーテルの演奏会があった。

 スターバト・マーテルはキリストを失った聖母の悲しみを歌ったものだ。直訳では「佇む母」という意味だが、「悲しみの聖母マリア」と訳されている。そのラテン語の歌詞の成立は13世紀にまでさかのぼり、作者はフランシスコ会修道士ヤコポーネ・ダ・トーディとも聖ボナヴェントゥーラともいわれている。この歌詞にイタリアの中部に生まれた作曲家ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)はじめヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなど時代や地域を越えて多くの作曲家が曲を書いており、記録に残っているものだけでも近現代に至る まで400人以上の作曲家によって継続的に作曲され続けている。その中でもっとも人気があるのがペルゴレージのスターバト・マーテルだ。
 この作品はペルゴレージの最晩年の作品だが、彼が亡くなったのは26歳。作曲家として活動していたのも約5年ほどの短いものだった。最期はポッツォーリの修道院で病没、貧民共同墓地に埋葬されるというなかなか悲惨なものだったが、彼のもう一つの代表作であり、音楽史上重要な作品であるオペラブッファ「奥様女中」の人気により彼の名声は死後急速に広まる。その弊害として偽作も多く、300位伝えられていた彼の作品も20世紀初頭にはその半分になり、さらにそのうちの5分の4の作品が疑わしいとされている。
 ペルゴレージのスターバト・マーテルは編曲の試みも多くなされている。バッハの編曲は1746/47年頃のことであり、アルプス以北では最初のものと考えられているそうだ。バッハのこの編曲の存在が確認されたのは比較的最近である1968年のことで、ベルリンの図書館で発見され、バッハの真作と認定、BWV番号1083が付加された。バッハがなぜこの編曲を手がけたかについてはよくわかっていない。バッハは歌詞を旧約聖書の詩篇第51番のドイツ語訳に変更、イントネーションの変更に伴い声楽パートのリズム、旋律線にも手を加えている。さらに第12曲と第13曲の順番を入れ替え、第2ヴァイオリンとヴィオラのパートも加筆され、新たなモテットとして完成させた。
 
 教会の雰囲気とあいまって美しい曲がよりいっそう美しかった。

2007年8月31日金曜日

日本のマラリア

 温暖化が進めばやがて日本の半分は亜熱帯気候に属することになり、マラリアが流行するといわれている。しかし衛生環境が良ければ大流行するということはないだろう。そもそも1987年まで日本には土着のマラリアがいたのだ。


 マラリアの感染者は世界中で3~5億人、毎年、約100万人が死亡すると推定され、世界的健康問題であるといわれている。人に感染するマラリアの原虫には、三日熱マラリア原虫、熱帯熱マラリア原虫、四日熱マラリア原虫と卵型マラリア原虫の4種類がある。ハマダラカ属の蚊に吸血されることによって感染する。マラリア原虫を持つ蚊に吸血され、人の体内でマラリア原虫が侵入してから発症するまでの期間(潜伏期)は熱帯熱マラリアで12日前後、四日熱マラリアは30日、三日熱マラリアと卵型マラリアでは14 日程度と報告されている。

 一定の潜伏期間の後、悪寒、震えと共に体温が上昇し、1~2時間続く。その後、悪寒は消えるが、体温は更に上昇し、顔面紅潮、呼吸切迫、結膜充血、嘔吐、頭痛、筋肉痛などが起こり、これが4~5時間続くと発汗と共に解熱する。これを熱発作と呼ぶ。この熱発作の間隔は、感染するマラリアの種類によって異なり、四日熱マラリアは72時間、三日熱、卵型マラリアは48時間ごとに起こるが、感染初期では発熱が持続する傾向が多いようだ。

 一般に熱帯熱マラリアは、他のマラリアと異なり高熱が持続する傾向があり、平熱まで下がることはほとんどない。また、症状も重く治療が遅れると意識障害、腎不全などを起こし、死亡することもまれではない。


 マラリアは 媒介蚊がいれば,熱帯のみならず温帯・亜寒帯地域でも近代までまん延していた。今では完全な輸入病となっているが,その昔,日本は名だたるマラリア浸淫地であり、札幌や釧路でも終戦直後までマラリア患者が普通にいた。
 日本のマラリアは奈良時代の大宝律令の医疾令に瘧(おこり)の名前ではじめて紹介され,平安時代の『和名類聚抄』には瘧にエヤミとワラハヤミの2つの訓でている。つまり,奈良時代以前にマラリアはすでに日本に定着していたとおもわれる。
 安土桃山時代の山科言経が大阪で開業したとき,患者の7%が瘧であったそうだ。これは19世紀中頃のロンドン病院のマラリアとほぼ同じ値である。瘧は藤原定家の日記『明月記』や定家の息子為家の後妻である阿仏尼が書いた『十六夜日記』でも,また安土桃山時代に奈良で書かれた『多聞院日記』でも頻繁にでてくる。なお、平清盛の死因がマラリアとの説があるが、これはどうも違うらしい。
 江戸時代には瘧はそれほど重要視されていない。おそらく,開発が進んで沼沢地が減ったこと,漢方薬治療が盛んになったことによるのではないかといわれている。
 それでも,1903年(明36)には年間20万人の罹患者と1,000人を超える死亡者があったと推定されている。終戦直前,日本軍によって八重山諸島民が「経験的に熱帯熱マラリアを恐れて入らなかった」地域に強制疎開させられ,約3,000人がマラリアで死亡した。この犠牲者を供養する慰霊碑が石垣市のバンナ公園に建立されている。
 琵琶湖をかかえる滋賀県は本土で最も流行度が高かった県で,1948年(昭23)には全国のマラリア患者の4,953人のうち2,259人が記録されている。彦根市には1978年(昭53)までに流行が定着していた。
 第2次世界大戦直後の外地帰還者によるマラリアの輸入があり患者数は全国的に増えたが,媒介蚊退治と徹底した患者の治療が効を奏し,土着マラリアは1987年(昭62)以降認められていない。

 輸入マラリアの国内での報告数は、1999年4月以前の伝染病予防法での届出によると、1990年代には年間 50~80人で推移していた。しかし、感染症法施行以降の報告数は増加し、1999年(4~12月) には112例、2000年1~12月には154例に達した。しかしその後、2001年は109例、2002年は83 例、2003年は78例と減少している。

2007年8月30日木曜日

散髪屋の嘆き

 行きつけの近所の散髪屋の老夫婦が最近客が少ないと嘆いていた。確かに以前だと待たされることもあったが、この1年くらいは待たされたことがない。人口はまだ減り始めたばかりなので、そのせいではない。そこでネットで調べてみた。

 近年若年層の男性が美容院へ通う傾向が年々強くなっており、理容店離れの影響がよりいっそう深刻になっている。さらに業界内でも最近では2000円台、1000円台といった低料金を売り物にしたチェーン店の進出が目覚ましく、不況の時代に合った形で需要を大きく伸ばしている点が特徴的である、ということのようだ。
 つまりヘアスタイルに関心のある若年男性は美容院に行き、ヘアスタイルに関心のない中年層はカットだけの格安店に行き、結局近所の高齢者が中心ということで客が減ったということなのだろう。

 1000円の理髪店をマスコミは格安理髪店と呼んでいるが、格安だけではなく確実に10分を保証したところが成功している理由と考える人もいる。カットの時間は7分、髪の毛は洗わない。刈った髪の毛を掃除機のようなエアウォッシャーで吸い取ってパパッと髪の毛を整えて10分。入口には空き状況を知らせるランプがついていて、青ランプのときに行けば待ち時間もなく、10分で理髪してもらえる。また、男性だけでなく女性客もけっこういるらしい。

 私が行っている散髪屋は3500円で洗髪、顔剃り、肩のマッサージなどをして40分くらいかかる。洗髪、顔剃りは自分で毎日しているわけだから、別にしてもらわなくてもよいがセット料金なのでしてもらっているわけだ。行きつけの散髪屋には申し訳ないが近くに1000円の店ができたら行ってしまうかも知れない。でも、散髪してもらいながらウトウト居眠りするのは気持ちが良いものなのだが、10分の格安店では居眠りできないなあ。行きつけの散髪屋は後継者もいないようなので、廃業したら自転車で駅前の格安店に行くことになるかな。

2007年8月29日水曜日

解離性障害

 朝青龍のような状態を解離性障害というのか。
 解離性障害とは、心的外傷への自己防衛として自己同一性を失う神経症であり、自分が誰か理解不能であったり、複数の自己を持ったりする。症状の発生とストレッサーとの間に時期的関連があることが診断の必要条件であるということらしい。

 似たような症状が出た人を知っている。やはり強いストレスがあり、家に閉じこもって会話が成り立たない状態となった。その後2年たち、今はふつうに会話はできるが社会復帰はできていない。 その人も解離性障害ということなのだろう。

 朝青龍の場合、問題ごとにきちんとそれに見合った処分をしておけばよかったのにそれをせず、ここに来て今までの分も合わせたような厳しい処分をしたために、自業自得というにはあまりに気の毒なことになってしまった。相撲協会というのはいいかげんな組織だと多くの人が再認識しただろう。

 果たして朝青龍はストレスの原因となった相撲界に復帰できるのだろうか?

 それにしても誰かを集中的にバッシングするという日本の悪弊はまだ続いている。

2007年8月28日火曜日

サプリメント(胎盤療法その5)

 サプリメントとしての胎盤療法は内服や美容液・化粧水などの化粧品があるが、その効果を証明するデータはない。以下は国立健康・栄養研究所の「健康食品の安全性・有効性情報」からの転載である。


 プラセンタは哺乳類の胎盤で、母体の子宮内腔に形成され母体と胎児の臍帯を連絡する器官である。胎児へ酸素や生育に必要な栄養素を供給したり、母体へ老廃物をわたす機能のほかに、造血、タンパク質合成、ホルモン分泌なども行う。胎盤を食用とする習慣は古くから各地でみられる。これは元来動物が出産の痕跡を消し母体の回復を早めるために自らの胎盤を食べることに由来するようである。健康食品の素材としてはウシ、ブタ、ヒツジの胎盤があるが、最近利用されているのはブタ由来の胎盤が殆どである。俗に、「更年期障害によい」「冷え性によい」「貧血によい」「美容によい」「強壮・強精によい」などと言われている。ヒトにおける安全性・有効性については調べた文献に十分なデータが見当たらない。アレルギー、薬剤性肝障害を起こした事例が報告されている。



 プラセンタというから抵抗がないのかも知れないが、胎盤を飲んだり、顔にぬったりと考えると、これは少々気持ち悪い。 サプリメントはまず安全性を第一に考えるべきであろう。胎盤を使ったサプリメントは感染の危険性を否定しきれない。

2007年8月27日月曜日

献血対象から除外(胎盤療法その4)

 昨年胎盤エキス注射の使用歴がある人は献血対象から除外されることになった。対応が遅いという気はする。以下はそのニュースの抜粋である。


 薬事・食品衛生審議会の血液事業部会安全技術調査会は2006年8月23 日、ヒト胎盤(プラセンタ)由来製剤の注射薬を使用した人からは、無期限に献血を行わない方針を了承した。日本赤十字社は1カ月程度の準備期間後、問診を強化して対応していくほか、問診票の改訂も行う。日本国内で変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)が確認されたことを受けての措置。
 同調査会は2005年12月、英国滞在歴のある日本人でvCJDが確認されたことを受け、プラセンタの注射薬使用者に関する献血のあり方を検討してきた。その結果、これまでプラセンタの注射薬使用に関連したvCJD発生は報告されていないが、理論上のリスクは否定できないとし、安全な輸血・献血を推進する面から今回の措置を決めたもの。
 日赤は問診票を改訂し、プラセンタ注射の項目を追加することにしているが、改定までの当面の対策として、プラセンタの注射薬を使用したことがあるかを問診時に確認し、申告者には献血を無期延期にする。


 これに関して夕刊フジのちょっと面白い記事を見つけた。


 今月10日、厚生労働省社が過去に「プラセンタ注射剤」を使用した人の献血を禁止したが、これがちょっとした波紋をよんでいる。というのも、このプラセンタ、もとは更年期障害などに使用されていた医薬品だが最近は芸能人やスポーツ選手などセレブの間で「若返りの秘薬」としてもてはやされているからだ。
 今回、厚生労働省が献血を禁止したのはヒト胎盤由来のプラセンタ注射剤。BSE(牛海綿状脳症)が人間に感染したとされる「変異型ヤコブ病」の輸血感染を防ぐ措置の一環という。
 胎盤は言うまでもなく、胎児を育てる臓器であり、昔からそのエキスを飲んだり、中国では胎盤そのものを食すなど栄養の宝庫として珍重されてきた。日本でもプラセンタ入り美容液などが人気だが、化粧品に使われるのはブタの胎盤が多い。
 問題となっている人間の胎盤から作られた注射剤は本来、医療用として肝機能改善や更年期障害に処方されていた。ところが最近は美容外科で取り扱われることがほとんど。現在使用されている注射剤は国内2メーカーの2剤あるが、大半は美容目的とみられで、「うちでは全国200医院ぐらいの産婦人科と直接契約していて、国内で月間に使用する胎盤数は2000から2500。使用されているアンプル(1本2ml)数は国内だけに限定すれば年間400万から500万本にのぼる」(胎盤エキス製造関係者)。
 人気の秘密は栄養価の詰まった胎盤エキスを注射剤で直接体内に取り込むので、肌のハリや疲労回復などより高い美容効果が得られること。芸能界やスポーツ界、政財界などのビッグネームがこのプラセンタ注射の愛用者に名を連ねているのは有名な話だ。それだけに今回の措置で、肝を冷やした著名人も少なくないはず。
 厚労省担当者は「感染の危険性には、まだ科学的根拠も事例もないが、理論上では可能性がないわけではない。今回の制限はハッキリするまでの暫定的な対応」としているが、「ヤコブ病」なんて物騒な名前をちらつかされては、若返るどころの騒ぎではないだろう。 ちなみに日本赤十字社は、毎年1月から2カ月間「はたちの献血キャンペーン」に芸能人やスポーツ選手をキャラクターに起用しているが、プラセンタ愛用者以外を探すとなるとこちらの人選にもひと苦労か。(2006.10.23紙面掲載)夕刊フジ



 胎盤エキス注射の効果に関する根拠と感染の危険性を考えると、本来この薬は認められるべきではないのだろうが、古くから認可されている薬でもあり、取り消すだけの根拠もないというところか。

2007年8月26日日曜日

薬事法違反(胎盤療法その3)

 埋没療法に使う胎盤は「メルスモン製薬」が胎盤そのものを刻んで熱処理し、薬瓶に詰めた製剤に加工し主として「日本胎盤医療研究会」に所属する医師に販売していた。そしてそれが問題を起こす。


読売新聞
 厚生労働省は2004年9月2日、刻んだ人間の胎盤を医療用に販売していた製薬会社「メルスモン製薬」(東京都豊島区)に対し、医薬品の無承認製造販売で薬事法違反にあたるとして、胎盤の入手先や出荷実態についての報告命令を出すとともに、製品の自主回収を指導した。
 厚労省によると、同社は胎盤から抽出したエキスをもとに、承認済みの注射用アンプル液「メルスモン」を製造しているが、これとは別に、胎盤そのものを刻んで熱処理し、薬瓶に詰めた製剤に加工。薬事法に基づく承認を受けないまま、複数の医療機関に提供・販売していた。
 今年3月、厚労省が同社の工場を査察した際、問題の製品が保冷庫にあるのを発見。同社から事情を聞いた結果、違法と判断した。


 しかし「メルスモン製薬」は停止指導後も製造を続けた。


産経新聞
 製薬会社「メルスモン製薬」(東京)が人間の胎盤を使った無承認の医薬品を製造したとされる問題で、厚生労働省は2005年2月16日、川口工場(埼玉県川口市)を17日から90日間の業務停止処分にすると発表した。死者が相次いだ抗ウイルス剤「ソリブジン」事件で日本商事(現アルフレッサファーマ)工場が受けた業務停止105日に次ぐ重い処分である。厚労省は昨年3月の停止指導後も製造を続けたことを重視した。
 メルスモン製薬とこの薬を治療に使っていた医師らの「日本胎盤医療研究会」を、薬事法違反(無承認医薬品製造)の疑いで警察当局に告発する方向でも検討しており、告発に踏み切れば極めて異例の措置となる。
 厚労省によると、同社は遅くとも1993年ごろから、産婦人科から購入した胎盤を川口工場で細かく砕き、滅菌処理して小瓶に詰め、研究会に出荷。研究会は会員の医師約60人に提供していた。医師は免疫力の回復などに効果があるとして皮下注射で埋め込む療法で使っていたとされる。
 同社によると、2003年は1万4000本余を製造。健康被害の報告はないという。


 実際に刑事告発されたという話は聞かない。しかし使っていた医師には刑事告発が検討されたということは衝撃であっただろう。胎盤使用を率先していた日本胎盤医療研究会の公開されていたウェブサイトは、問題が指摘されはじめたころ削除された。

 医師が自分で薬を作って使うのは違法とはならないので、実際に自ら胎盤を手に入れそれを処理して埋没療法を行っている医師はいる。しかし、それはかなりの手間がかかることであり、この治療に信念を持っている医師か、あるいはこの治療で大きな利益を上げている医師にしかできない。胎盤埋没療法はほぼ終わったと考えてよいだろう。しかしまだ胎盤エキス注射の問題がある。

2007年8月25日土曜日

胎盤埋没療法(胎盤療法その2)

 戦後日本に伝わってきた胎盤埋没療法は主にソ連を支持する医師たちによって行われたらしい。以前私が知っている医療生協の病院で胎盤埋没療法がひっそりと行われていた(現在は行われていない)、その時は医療生協と胎盤埋没療法がイメージとして結びつかず奇妙な感じを覚えた。ソ連ということで納得がいった。胎盤埋没療法は保険適応されることもなく自由診療でほそぼそと続いていたが、美容クリニックが胎盤埋没療法や胎盤エキスの注射をするようになり、以前とは違った医師層が違った目的で治療をするようになってきた。

 麻酔や切開なしで胎盤を体内に入れる方法として胎盤エキスの注射薬が1950年代に開発された。日本にはメルスモンとラエンネックという胎盤エキスの注射薬が保険薬として認められている。メルスモンの適応症は「更年期障害、乳汁分泌不全」であり、ラエンネックは「慢性肝疾患における肝機能の改善」である。両者とも筋肉・皮下注射として使われる。まあ現在の基準であれば認可されないだろう。
 現在、胎盤エキス注射は適応症にしたがって保険診療として使われるよりも、美容やアンチエイジングという目的で自由診療として使われているようだ。ネットで宣伝しているクリニックの胎盤エキス注射の効能をみると非常に(あるいは非常識に)多くの病気に効くということになっている。


 「株)日本生物製剤」のウェブサイトにある「ラエンネックの歴史」(吉田 健太郎 著「プラセンタ療法と綜合医学」より)によると、「メルスモン」とは別なルートで、日本に胎盤療法を紹介したのが、稗田憲太郎博士であった。稗田博士は戦前・戦中と、満州国(中国東北部)の満州医科大学で教授を務め、日本の敗戦後も同地に留まり1953年に帰国するまでの8年間、中国の八路軍に参加し負傷した軍人の治療にあたった。この間、ソ連の病理学者プランスキー博士の著書『神経病理学』にヒントを得て、埋没療法を実践し著しい効果を得た。軍人の傷を治すために、患部の組織に牛の脳下垂体や角膜、肝臓、胎盤などいろいろなものを埋没した中で、胎盤が一番治療効果の高いことを確認した。稗田博士は帰国後、久留米大学病理学研究室の教授と医学部長を兼任し、胎盤の埋没療法が最も効果を示したという中国での経験から胎盤の研究に取り組み、その結果胎盤からエキスを抽出して注射液にするというかたちに結実させた、ということらしい。
 なお、1958年と1960年衆議院第28回、29回選挙で福岡から日本社会党公認で稗田憲太郎という人物が立候補し落選している。おそらく同一人物だろう。

2007年8月23日木曜日

組織療法(胎盤療法その1)

 現在の胎盤療法の源流は1930年代のソ連の組織療法にある。組織療法はオデッサ医科大学の眼科医フィラトフ博士によって提唱された。目の角膜障害の治療法として、死体から取り出された角膜を移植したのが始まりであり、その後冷蔵ヒト胎盤を埋没させる組織療法を行った。瘢痕収縮(皮膚の傷痕)、胃潰瘍、リウマチ、喘息、眼疾患など多くの慢性疾患に効果を上げたとされている。
 胎盤埋没療法とは、局所麻酔を行った後で、冷蔵したヒト胎盤を大型注射針を使って皮下に埋め込む治療法をいう。胎盤埋没療法の効果は、1~3ヶ月持続するといわれている。

 それに先立つ1917年米国のカンザス州で、ジョン・ブリンクリーという人物が性欲減退に対して、ヤギの生殖腺をヒトの睾丸に移植するという治療を始め、これが当たり大もうけした。場合によっては死刑囚から手に入れたヒトの生殖腺を移植するということも行った。ジョン・ブリンクリーはシカゴのベネット医科大学を卒業できず、ミズーリ州の折衷医学専門の医科大学から卒業証書を500ドルで買った。その当時の米国のシステムでは州によってはこういうことでも医師として認めていたらしい。このジョン・ブリンクリーという人物はこの睾丸移植療法というべき治療を始める前にも、何かあやしげな飲み薬を売っていたらしい。結局、米国医師会から強い批判が出てカンザス州医師登録委員会はブリンクリーの医師免許を剥奪し、この睾丸移植療法は終わった。

 よく似た治療だと思う。ただ、ジョン・ブリンクリーの場合正規の医師ではなく、また当然治療に関する医学的データもなかったため、続けられなかった。フィトラフ博士はまともな医師であり、また当時の医学水準を満たすデータはあったものと思われる。胎盤埋没療法は昭和20年代に日本に伝わってくる。

2007年8月21日火曜日

医系学生の喫煙率

 厚生労働省の研究班は喫煙に関して、2006年12月、医学部19校、歯学部8校、看護学部28校、栄養学部13校の学生を対象にアンケートを実施し、各学部の4年生計6312人(医1590人、歯677人、看護2545人、栄養1500人)から回答を得た。
 喫煙率は歯学部が最も高く54%(男性62%、女性35%)であった。次いで医学部36%(男性39%、女性23%)、看護学部32%(男性47%、女性30%)、栄養学部27%(男性40%、女性25%)。05年度の国民健康・栄養調査によると、20代の喫煙率は男性49%、女性19%で、歯学部は男女とも平均を上回っていた。

 歯学部にとっては不名誉な結果が出たものだ。歯学部の学生が歯にしか興味がなかったとしても喫煙は歯の健康にも悪いだろうに。そして女性は医・歯・看護・栄養すべての学部で全国平均を上回っていた。どうなっているの。自分の健康の問題だけならば、自己責任ということになるかも知れないが、将来患者に禁煙を指導する立場になるというプロ意識に欠けると言わざるを得ない。学校間での差があったのか知りたいところだが公表されていない。教育する側の責任ももちろん大きい。

2007年8月20日月曜日

橋崩落と回向院の茂七

 米ミネソタ州ミネアポリスのミシシッピー川にかかる高速道路の橋が2007年8月1日午後6時5分頃に崩落し10人以上の犠牲者が出たが、日本では5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して元禄11年(1698年)8月架橋された永代橋が文化4年(1807年)8月19日崩落した。

 このときは長年中断されていた富岡八幡宮の祭りが再開するというので、江戸中が興奮状態にあった。しかし大雨が数日間続き、実際の初日の予定を3日過ぎてこの日初日を迎えた。祭り好きの江戸っ子は喜び勇んでどっと富岡八幡に向かった。 富岡八幡宮は深川に位置するため、大半の江戸市民は隅田川を越えなければならず、富岡八幡に一番の近道である永代橋に人が集まった。架橋から既に100年余を経ていた上に昨日までの何日にも渡る大雨で橋脚は弱っており、さらにたまたま、祭り見物の一橋家の船行列が通過するために橋止めが行われ、それが解除された直後、我がちに殺到する人の重みに老朽化した橋桁が耐えきれずに折れてしまったのだ。後ろから群衆が次々と押し寄せては転落し、死者は実に1500人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。なお古典落語の「永代橋」という噺は、この落橋事故を元にしている。

 これだけの大惨事なので、現代の小説にも永代橋崩落をテーマにしたものがある。読んではいないが杉本苑子の「永代橋崩落」という小説がある。また、宮部みゆきが書いた岡っ引きの回向院の茂七が活躍する「本所深川ふしぎ草紙」の中の「消えずの行灯」も永代橋崩落にまつわる話である。

 茂七シリーズは連載中の雑誌が廃刊になったため、このシリーズの重要人物である屋台の稲荷寿司屋の親父の正体が明かされないまま未完となっている。ぼんくら同心こと井筒平四郎のシリーズに晩年の茂七の名前だけが出てくる。このとき茂七は米寿を迎え、大親分として尊敬を集めている。井筒平四郎シリーズに名前を出すからには、作者には十分再開の意思があるのだろう。稲荷寿司屋の正体をぜひ知りたいところだ。

2007年8月19日日曜日

野口英世アフリカ賞

 前首相の小泉純一郎氏の肝入りで創設した「野口英世アフリカ賞」への募金が集まっていないらしい。この賞は、アフリカでの感染症等の疾病対策の推進に資し、もって人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目的として、ノーベル賞に匹敵する賞を目指して創設された。5年ごとに開催されるアフリカ開発会議(TICAD)の機会を利用して授賞される予定である。受賞対象者は、アフリカでの感染症等の疾病対策のための研究及び医療活動のそれぞれの分野において顕著な功績を遂げた者であり、国籍・年齢・性別は問わない(生存者に限る)。小泉氏が首相退任時に受け取った最後の任期分の退職金634万円を全額寄付した以外ではロックフェラー財団が5万ドル寄付したのが目立つ程度であり、このままでは賞金の原資となる1億円の大半を税金でまかなうことになるそうだ。
 つくづく小泉純一郎という人は歴史の真実を知ろうとしない人だと思う。野口英世は黄熱病の研究のためにアフリカに渡りそこで黄熱病にかかり亡くなったのだが、彼は個人の研究欲のためにアフリカに渡ったわけである。シュバイツァーのように人道主義からアフリカにつくした人でさえ、アフリカでの評価は著しくないという。まして野口英世の場合アフリカで彼に感謝している人はいないであろうし、そもそも野口英世のことを知っている人もほとんどいないであろう。
 野口英世は米国留学中に驚異的なペースで医学論文を発表しノーベル賞候補にもなり、日本では偉人ということになっている。しかし、彼の研究の多くは現在では間違いであったことが分かっており、科学者としての世界的評価は低い。しかも、その間違っていた研究は結果として間違っていたというのではなく、もしかすると捏造であったのではないかとの疑いもかけられている。

 野口英世賞と命名した時点でこの賞の運命が決まったのかもしれない。
 

2007年8月18日土曜日

にんにく注射

 にんにく注射は、マスコミによく登場する某医師により命名されたビタミンB1を中心とした静脈注射で、注射をするとにんにく臭がしてくるため、この名がつけれられたと言われている。個々のクリニックでにんにく注射の成分は異なっているようだ。ビタミンB1が入っていることは共通だが、ブドウ糖を混ぜたり、ビタミンCを混ぜたり、肝臓の薬を混ぜたり、さまざまのようだ。
 検索してみると、にんにく注射の料金はだいたい1500~3000円くらいが多い、診察料込みでこの程度ならば妥当と言えるか。中にはビタミン剤を2アンプルに増量して4000円、3アンプルならば6000円と不当に高いと思えるところもある。
 にんにく注射をすると疲れがとれるらしい。日本人の1~2割はビタミンB1で代謝がよくなる遺伝子を持っているという研究結果もあるとネットの会議室に出ていたが、真偽のほどは分からない。
 にんにく注射の効果のある程度はプラセボ(偽薬効果)によるものだろう。プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。この改善は自覚症状に留まらず、客観的に測定可能な状態の改善として現われる事もある。
 にんにく注射を宣伝しているクリニックはプラセンタ注射もしているところが多いことが分かった。プラセンタ注射については稿をあらためて書くことにしよう。
 

2007年8月17日金曜日

新型インフルエンザ

インドネシア保健省は8月13日、バリ島西部ヌガラの女性(29)が鳥インフルエンザに感染して死亡したと発表した。
 国際観光地のバリ島で死者が確認されたのは初めてである。同国の累計死者は世界最多で、82人となった。これまで感染者はジャワ島とスマトラ島にほぼ集中していた。バリ島に年間に訪れる外国人は100万人以上で、日本人も約30万人が訪れる。
 インドネシアでは政府の予算不足などから鶏の処分が進まず、封じ込めのめどは立っていない。人への感染が繰り返されるうち、人から人に感染しやすいウイルスが出現する恐れがあるとして世界保健機関(WHO)などは警戒を強めている。

 どうも新型インフルエンザはインドネシアから出る可能性がある。今の鳥インフルエンザ(H5N1インフルエンザ)は97年に香港で出たものからだいぶ性質が変わっている。03~04年にベトナムやタイではやったものはClade1というグループになる。07年にインドネシアやイラクではやっているのはClade2というグループである。
 H5N1インフルエンザの症状は重いインフルエンザというよりも重い肺炎に多臓器障害を合併したもので50%以上の死亡率になっている。
 今のH5N1インフルエンザは97年に香港で出たものよりもヒトへの感染力が高まっている。鳥からヒトにまれにうつるという段階は過ぎて、ときにヒトからヒトにもうつるという段階までウイルスが変異している。
 現在ヒトのインフルエンザに使われているタミフル、リレンザの効果はH5N1インフルエンザに対しては低いようだ。またタミフルに耐性を持つものが25%くらい出る可能性がある。リレンザは耐性が出ない。またH5N1インフルエンザはヒトのインフルエンザに使う迅速診断キットで陽性になりにくい。

 今つくられているワクチンはプロトタイプワクチン(試作ワクチン)であるが、流行し始めるとこのプロトタイプワクチンを使うことになる。完成品のワクチンは流行が始まる直前あるいは直後のウイルスでつくったものになるが、できるまで6ヵ月間かかるので、最初の流行はプロトタイプワクチンとタミフル、リレンザで対処するということになる。鳥インフルエンザがヒト型に変異すると毒性が弱まるといわれているが、もし今の毒性のままヒト型に変異するとたいへんな事態になる。

2007年8月15日水曜日

セカンドライフって

最近よくセカンドライフというネット上の仮想世界のことが記事になったり、本になったりしている。
セカンドライフとは以下のようなものらしい。


 2006年末あたりから、盛り上がりを見せる「セカンドライフ」。ネット上に築かれた「仮想世界」で、世界中のユーザーがこの空間に入り、現実世界さながらの「もう一つの人生」をすごしている。
 元々は米リンデンラボという一企業が運営するサービスだが、この空間の中に名だたる大企業が次々と自社施設を作り、大物ロックバンドがライブを開催し、高級ブランドがショーを開くなど、参加者自身が“世界”を押し広げ、大変な騒ぎになっている。さらにセカンドライフ内での稼ぎだけで食べている人がいるとか、1億円以上の資産を築いた人が登場した、など景気のいい話も聞こえてくる。
ここ数カ月でセカンドライフのユーザー数は急増しており、2007年3月13日時点での総アカウント数は、全世界で約460万人。
 では、セカンドライフはいったいどんな世界なのだろうか。セカンドライフを楽しむには、専用ソフトをダウンロードする必要がある。現在ソフトはWindows、Mac、Linuxの3種類が用意されている。利用料は、もちろん無料。お金が必要になるのは、アイテムを買ったり土地を借りたりと、ドップリ仮想世界に浸った後の話。見て歩くだけなら、一切お金は必要はない。
 ソフトを起動してログインすると、仮想世界が3次元で描かれる。自分のキャラクター(アバターと呼ぶ)は前後左右に歩けるだけでなく、自由に空中を飛び回れる。また遠くに移動したいときはテレポートも可能だ。ネットでつながった仮想空間だから、まわりには自分以外にも人がいる。「チャット」を使えば近くにいる人に(文字で)話しかけることも可能だ。世界中のユーザーが集まっているので、公用語は英語。だが恐れることはない。非英語圏のユーザーも多く「スペイン人だから英語はカタコトです」などと話している光景もよく見かける。また日本人が多い地域もあり、そういう場所では日本語でも会話できる。
 セカンドライフの大きな特徴は、コンテンツの大部分はユーザーが作り出したものである、という点。巨大なお城からアバターが身に着ける小さなアクセサリーまで、すべてユーザー自身がセカンドライフ内で制作しているのだ。具体的には直方体、円柱といった数種類の単純な物体を変形し、組み合わせることで目的のものを形作っていく。さらにリンデンスクリプトと呼ばれる独自のプログラミング言語が用意されており、これを駆使すれば運転できる車や実際に遊べるスロットマシーン、雪山をすべるスノーボードなどなど、様々な「しかけ」を作ることが可能だ。 セカンドライフには「ここまでしか用意されていない」という限界がない。ユーザーのアイデア次第でいろいろなアイテムが作れる。
 セカンドライフには「リンデンドル(L$)」という通貨が用意されている。これは、仮想世界で買い物をするときに用いる。このリンデンドルの入手方法はいくつかあるが、一番シンプルなのはリンデンラボのWebサイトで購入する方法。為替レートは日によって違うが、大体1ドルで、250リンデンドル前後が手に入る。これで買えるのは、一般的な価格の洋服1~2着程度だ。リンデンドルを現金(米ドル)に換金することも可能なのがセカンドライフの特徴で、ゲーム内で稼いだお金で(現実世界で)暮らす、ということも不可能ではない。実際、セカンドライフ内で不動産開発をして、1億円(正確には100万ドル)相当の資産を築いた人までいるのは、冒頭に書いたとおり。このため、セカンドライフを金のなる木、もといビジネスチャンスととらえて意気込んで参加してくるユーザーもいるようだ。
 では、企業はセカンドライフ内でどんな活動をしているのだろうか。トヨタ、日産、マツダ、BMW、メルセデス・ベンツといった自動車メーカー、IBM、デル、AMDなどのパソコン関連、ソニーBMGや東芝EMIなどのレコード会社、ロイター、CNET、WIREDなどのメディア企業……。このほかにも、とても挙げきれないほどの企業がセカンドライフに“進出”している。しかし、現在は「企業がセカンドライフに進出!」というだけでニュースになる時期でもあり、活動内容としては模索段階といったところ。自社の商品をセカンドライフ内で作って配布・販売したり、ユニークな店舗や施設で集客する、といった内容が多い。 そんな中、IBMは、セカンドライフ内でミーティングや研修を行うなど、ビジネスツールとしての可能性を探っている。2006年11月にはCEOがセカンドライフ内で新規事業を発表するなど積極的だ。


 こういう解説を読んでもいかがわしさだけで、まったく魅力を感じない。実際に体験しないと分からない部分はあると思うが、まず体験しようという気持ちがおきない。
 どうもセカンドライフを無理やりブームにしようとしている仕掛け人がいそうだ。電通が仕掛け人ではないかとも言われている。実際にブームになっているのか。最近企業のマーケティング担当者はセカンドライフを見限り、撤退し始めたと言う。その理由の一つは、公式発表で800万人以上とされるセカンドライフのユーザがひどく誇張されたもので、多くはサインインはするもののそのまま戻ってこないということのようだ。また、仮想世界のレギュラー訪問者 (同時ログインは最大でも40000人程度)は世界内でのマーケティングに興味がないばかりか、ReebokやAmerican Apparel といった企業店舗の存在に怒り、攻撃をかけてくるという。
 ユーザーがセカンドライフで利益を上げることができるのか。1月31日時点で無料アカウントを含めた全380万アカウントのうち、利益を得ているユーザーは1万人で、現実空間でもユーザーが暮らしていくだけの利益を出しているのは数百人とのこと。最も利益を得たユーザーで1年間に10万~20万ドルほど稼ぎ出した例があったとはいうものの、まとまった利益を得ているユーザーは全体のユーザー数から見れば限りなく0に近い割合でしかないらしい。

 そもそもセカンドライフに時間を費やす人のファーストライフはどうなっているのだろう。

2007年8月14日火曜日

ブルックナーという人

ブルックナーという人は単に変人というだけではすまないものをもっていたようだ。

 コリン・ウイルソン氏はブルックナーに関して面白いことを云っている「彼は不思議なほど不幸な男で、いわゆるチャーリー・チャップリン的人間であったことがわかる。大工が椅子の上から落とすペンキ缶は決まってこういう男にふりかかるのだ」

 ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり、オルガン奏者で即興演奏の天才であり、大酒飲みであった。服装にはまったく無頓着で、左足は尖がった靴で右足は先の丸い靴を履いていたという。学校で音楽を教えていた時、授業中でも教会の鐘が鳴ると授業を中断し、その鐘がキンコンと鳴る方向にひざまずいて、お辞儀を始めるのだった。あまりにそれがひどいものだから、評判が悪くなって、女学校をクビになってしまった。

 ブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。そのため彼は曲を発表する度に書き直している。それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。
 ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。いわゆるロリコンであったといわれている。ブルックナーは生涯に何度も十代後半から二十代初めの女性に求婚しているが、1886年には21歳のマリー・デマールに求婚して断られている。この後も若い娘に求婚しては断られるということを晩年の1894年まで繰り返していた。学校で生徒の女の子に「あたしの大好きなかわいこちゃん」と気軽に呼びかけたのを、隣の女教員に告発されて大騒ぎになったこともある。演奏会で気に入った女性を見つけると必ず声をかけてしつこく住所を尋ねたり、教会の前を若い女性が通るとこれまた必ず声をかけたりした。結局彼は生涯独身を通した(独身に終わった)。
   
 1867年に数字に対するこだわりが増えて、集合したものや並んでいるものの数を数えずにはおられないという強迫症状が生じている。真珠のネックレスをした婦人が近づいてきた際に「これ以上あなたが近づくと私はその真珠の数を数えなければならない」と警告を発した。

 1881年にブルックナーの住まいの向こう側にあったリング劇場が火災にあった。この時から火災への恐怖も目立つようになったが、同時にブルックナーは、死体を見に行くという、死への異常な関心を示す行動もとっていた。ウィーンの中央墓地の移転に際してベートーヴェンの墓が掘り起こされる時、死体を一目見ようと作業に立ち会った。死刑囚の裁判をみるのが大好きで、飽きずにずっと見に行っていた。しかし、ついに最後死刑判決が出てしまうと、死刑囚のために一晩中お祈りをひたすら続けたのである。

 ブルックナーは深い信仰、謙虚さと、官能という相容れないものが同居した野人、「才能のない天才」といわれている。

2007年8月13日月曜日

脳ドック

知人が脳ドックなるものを受けて、無症候性未破裂動脈瘤が発見された。小さいのでまず半年後に検査をして変化がなければ一年ごとに検査で経過をみていくということになったそうだ。

 脳ドックというのは、外国では行われておらず日本独特のものらしい。日本の調査では無症候性未破裂脳動脈瘤全体としての破裂のリスクは年間1%前後、日本での無症候性未破裂脳動脈瘤の解頭手術成績は、全体として死亡は1%以下、後遺症は5%以下と推定されている。
 日本脳ドック学会のガイドラインでは、5mmよりも大きくて70歳以下であれば手術を勧める、とくに10mm以上のであれば強く勧める、手術しない場合は半年以内に再検査、変化がなければ1年間隔で経過観察を行うということになっている。
 98年、米国の医学誌に『10ミリ未満の動脈瘤の破裂率は0.05%』という欧米の大規模研究の結果が発表され、日本の学会で大騒ぎになったという。この論文は、日本の脳外科医から強い批判を浴びたが、03年には同じグループがより信頼性の高いデータを英医学誌『ランセット』に掲載した。そこでは、脳動脈瘤の大半を占める『前方循環系』(中大脳動脈や前大脳動脈など)の動脈瘤で、7ミリ未満のものの破裂率はゼロ、7~12ミリでも0.5%だった。その後、日本脳神経外科学会が6000例近い症例について調査を続けており、その中間報告では年間1%弱の出血が確認されている。
 もうひとつの問題として手術の後遺症の頻度がある。日本では半身不随や寝たきりなどの重い後遺症だけをカウントしているが、表情の変化や、記憶力が低下したり感情が不安定になる高次脳機能障害などは、ほとんど後遺症に数えられていないという。

 いったいどちらが正しいのであろうか、欧米の研究が正しければ日本の治療方針の根拠がなくなるばかりでなく、脳ドックそのものの存在意義が問われてしまう。そもそも今になって未破裂動脈瘤の大規模調査を行っているということは、科学的根拠がないままに脳ドックが行われ、治療が行われていたということか。
 

2007年8月12日日曜日

ブルックナー

ブルックナーの音楽は宇宙に向かってそびえたつ大伽藍と言われる。でもその大伽藍の中はからっぽで、ひとっこひとりいない。

 最初からブルックナーが嫌いだったわけではない。クラシックを聴き始めたときはよくブルックナーを聴いていた。それがいつ頃からか、面白くなくなった。音楽というよりも「音響」に感じられて、聴き始めはよいがすぐにあきてしまう、もう結構です、もう十分ですという気持ちになる。ブルックナーの曲は音楽的感情が希薄なのだ。人間が感じられないのだ。人間の喜怒哀楽がないのだ。もちろんブルックナーは人間を表現するために作曲したわけではなく神に捧げるために作曲したわけだから、音楽的感情が希薄というのは当然のことなのだが。
 ブルックナーの良さが分かるときが果たして来るだろうか。

2007年8月11日土曜日

マニア禁止のオーディオイベント

オーディオ業界の有志で構成する「my-musicstyle 実行委員会」は、CDやレコード、iPodなどに入った手持ちの楽曲を、専門家が構築したオーディオシステムで再生し、音質の違いを体験してもらう無料イベント「MY-MUSICSTYLE_VOL.2」を、2007年9月1日に東京・原宿のイベントスーペース「EX'REALM」で行う。
 iPodや携帯電話などで音楽を聴いている10~30代に「ちゃんとした音」を体験してもらうためのイベントで、「オーディオマニアは対象外」としている。高音質を追求する高級オーディオの世界は「ピュアオーディオ」と呼ばれるが、音楽そっちのけで機材やケーブルの自慢に終始するマニアの存在などもあり、一般の音楽ファンからは敬遠されがち。一方、デジタルプレーヤーや音楽配信は音楽を手軽で身近なものにしたが、その分音質が犠牲になっている面もある。
 「音楽が生活の一部だという10代~30代が多いが、安直化していく音についてはあまり話題に上らない。若い世代のオーディオ離れは旧態依然とした業界のなれの果てだと自覚し、猛省している。ちゃんとしたオーディオで音楽を聴き、目の覚めるような経験をしてほしい」(my-musicstyle 実行委員会)

 オーディオマニアというのは手段が目的になった人たちだ。音楽を聴く道具そのものを趣味にしている。本体に何千万円もかける人はもちろんのこと、それをつなぐケーブルに何百万円も使ったして自分の持っている本体の総額よりもケーブルなどの周辺機器の総額のほうが高い人さえもいる。あるいはオーディオを聴くための家を建てる人もいる。ほんのわずかの音の違いに高額を費やすのがオーディオマニアである。今のハイエンド・オーディオといわれる高級オーディオはこういう人たちを対象にしている。したがって工学製品としては不当と思われるほど価格が高い。とくに最近円安ユーロ高の影響もあって輸入製品はどんどん値上がりしている。中にはいっきに2倍になったものもある。限られたオーディオマニアからもうけだけるだけもうけようとするメーカーの姿勢には不信感をもってしまう。家族や他人に迷惑をかけなければ趣味にいくらかけようがその人の問題であるということに結局はなってしまうのだが。
 ただ、日本や米国は経済力が落ちていくのは間違いないことであり、オーディオに大金を出せる人も減っていくであろう。そうなるとハイエンド・オーディオメーカーの次の狙いは中国か?

2007年8月10日金曜日

シフォンケーキ

シフォンケーキ(英語:chiffon cake)は、スポンジケーキの一種であり、1927年にアメリカ合衆国カリフォルニア州の保険外交員ハリー・ベーカー(Harry Baker, 1884-1984)によって考案され、食感が絹織物のシフォンのように軽いことから名付けられた。ベーカーはレシピを公表しなかったが、1948年にレシピがゼネラルミルズ社に売却され、ベーキングパウダーを用いず、泡立てた卵白(メレンゲ)とサラダ油だけでその食感がもたらされていたことが明らかにされた際には、当時の常識を覆す発想として大きな反響を呼んだらしい。
 通信販売もしてくれるおいしいシフォンケーキの店を知っている。ただ、その店はケーキ屋ではない。もともとは写真スタジオなのだが、料理好きで趣味が高じてとうとうプロも顔負けのシフォンケーキをつくることができるようになったのだ。ここのシフォンケーキを食べていると何か幸せな気分になる。また食べたくなってきた、そろそろ注文しよう。

2007年8月9日木曜日

魚とメチル水銀

2002年、米国心臓協会(AHA)は心臓を保護するために少なくとも週2回、様々な種類の魚(特に脂質を多く含む魚)を摂取するように勧告を出した。魚に含まれるエイコサペンタエン酸(EPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)などそω3系多価不飽和脂肪酸に心血管リスクを低下させる作用があることが、疫学調査や臨床試験の結果、明らかになったからだ。
 冠動脈疾患および癌の既往のない40~59歳の日本人41578例を対象とし、1990~2001年の11年間における魚摂取量と冠動脈疾患発生率を検討した調査では、もっとも魚の摂取量が多い「週に8回もしくは180g/日の魚を食べていた」群では、もっとも摂取量が少ない「週に1回もしくは23g/日の魚を食べていた」群と比較して、冠動脈疾患の発生リスクが低下した。このリスクの低下は非致死性冠動脈疾患の発生率の低下によるもので、致死性冠動脈疾患発生率の低下は認められなかった。
 一方、2003年、厚生労働省は「水銀を含有する魚介類などの摂取に関する注意事項」で、妊婦および妊娠している可能性のある人を対象に、魚介類の栄養素が妊婦・胎児に与えるメリットと、魚介類に含まれるメチル水銀が胎児の発育に与えるリスクのバランスをとるために、メチル水銀含有量が高くなりやすいサメ、メカジキ、キンメダイ、クジラ類の一部について、摂取量上限値の目安を示した。
 メチル水銀は中枢神経細胞と親和性が高く、特に神経系が急速に発達する胎児期は感受性が高い。大規模なメチル水銀中毒として知られる水俣病では神経症状が多発した。厚生労働省の勧告では母親が2.0μg/kg体重/週以上摂取すると子供の言語、注意、記憶能力などに影響を与える可能性があることを指摘している。
 メチル水銀は、そのほとんどが魚介類を介してヒトの体内に取り込まれる。食物連鎖の過程で生物濃縮が起こり、上位に位置するサメやクジラ、マグロなどに比較的高濃度のメチル水銀が蓄積される。
 妊婦以外では、一般に日本人が食べている魚介類の量で成人がメチル水銀中毒を引き起こす可能性はほとんどなく、食べないことによるデメリットの方が大きいと考えられている。しかし、メチル水銀含有量が比較的高いカジキ、マグロ、キンメダイなどは食べ過ぎないほうが無難なようだ。

2007年8月7日火曜日

国外長期滞在者

アジアに長期滞在している日本人の数が26万7064人と、北米(26万3756人)を抜いて、地域別で首位に立ったことが6日、外務省の調査結果でわかった。アジアが首位になったのは、現行の形式で統計を取り始めた68年以降で初めてとのこと。調査は06年10月1日時点のもので、長期滞在者には永住者は含まれず、3カ月以上海外に滞在する人が対象となっている。地域別では、北米が01年に21万2147人で、この5年間で約5万人増えた。これに対し、中国、インドを含むアジアは01年には16万6913人だったが、5年で約10万人増えた。
 中国を筆頭にアジア経済は発展を続け北米の経済力は低下していくだろうから、今後もアジアの長期滞在者は増加する一方だろう。これまで日本はアジアで一人勝ちであり、アジアの中で生きていく必要がなかった。これからはアジアの仲間に入れてもらってアジアの一員として生きていかなければならない。こういう時代に復古主義思想の持ち主が国の指導者になっていてどうするのか。

2007年8月4日土曜日

日光

1903年、デンマークのニールス・フィンセンは尋常性狼瘡への光線治療法によりノーベル生理・医学賞を受賞した。フィンセンによって確立した日光療法は結核、ホジキン病、梅毒、化膿などの治療法として使われた。そして日光が皮膚でビタミンDの形成を誘発することが判明し日光浴が世間に浸透した。しかし感染症に対する日光療法は抗生物質の到来により使われなくなり、彼の科学的な研究の大部分は今日忘れ去られている。
 私が子供の頃は日光浴は健康に良いとされていた。だが、今では逆である。日光の紫外線によりコラーゲンとエラスチンの分子が壊され皮膚にしわができるというだけでなく、白内障にもなりやすく免疫力も低下する。一番の問題は紫外線によってDNAの分子が破壊され、あるいはDNAを傷つけるフリーラジカルが発生し、皮膚がんができやすくなるということだ。
 今は日光から皮膚を守るために長袖を着てつば広の帽子をかぶり、また眼を守るため色が薄く紫外線カット率の高いサングラスをかけるのが健康に良いということになった。しかし、日光にはビタミンDを活性化する作用と、脳の活動を引き起こし体内時計の調節を行うという作用があり、まったく日光に当たらないのも健康に悪い。意識的に日焼けする日光浴は危険な行為であるが、朝起きて日光に当たるのは必要なことである。

2007年8月3日金曜日

アファナシエフの演奏の遅さ

ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev, 1947年9月8日 - )はロシア出身のピアニスト、詩人・作家。近年は指揮者としての活動にも取り組み出している。異才、鬼才、思索するピアニストなどと呼ばれてその個性を讃えるファンもあるが、眠気を強いるピアニストと酷評されることもある。

モスクワ生まれ。モスクワ音楽院にてエミール・ギレリスとヤコフ・ザークにピアノを師事。1969年にライプツィヒ・バッハ国際コンクールならびに、1972年にブリュッセルで行われたエリザベト王妃国際コンクールにおいて入賞。ベルギーで演奏旅行を終えた後、西側への政治亡命を決断し、現在はベルギー国籍を取得している。

現在はヴェルサイユに暮らし、音楽活動のかたわら、フランス語で詩作や小説の執筆にも取り組んでいる。リサイタルではさまざまなパフォーマンスを行うこと、とりわけ、自作の詩や哲学的なエッセイを朗読することで有名である。

ムソルグスキーの<展覧会の絵>のようなお国ものもレパートリーに入っているが、世界的にはベートーヴェンやシューベルトのソナタ、ブラームスの後期小品集のように、ドイツ・ロマン派のピアノ曲の中でも、わりあい渋めのレパートリーと、その独特な解釈ゆえに有名である。

以上はwikipediaからの抜粋であるが、アファナシエフの演奏は遅い、あまりにも遅い。アファナシエフのリズムに合う人からは熱烈に支持されるのだろうが、私はだめだ。ベートーヴェンもシューベルトもショパンもだめだった。歳をとるにつれて体内時計が遅くなるので、その内アファナシエフの良さが分かるときが来るのかもしれない。それを楽しみにしておこう。

2007年7月31日火曜日

医師不足

医師不足が大きな問題になってきている。OECD(経済協力開発機構30カ国)の加盟国医療統計「ヘルスデータ2007」で 人口1000人当たりの医師数を見ると、日本は30カ国中27位の2.0人(04年)で、OECD平均の3.0人を大きく下回る。一方、1年間に医師の診 察を受ける回数は国民1人当たり日本は13.8回(04年)で、データがある28カ国中で最多である。少ない医師が多くの診察をこなさざるを得ない状態になっている。
 日本の1人当たり医療費は2358ドル=約28万円相当=(04年、購買力平価換算)で30カ国中19位である。厚生労働省は医療費抑制を目指すが、日本の現状はOECD平均を下回り、先進7カ国(G7)では最低だ。
 国立大学の医学部定員を減らし医療費を抑制してきた政策により、世界一の長寿国になるのに貢献した日本の医療体制が壊されつつあるということだ。もちろんこの間政権を担当してきた自民党に大きな責任がある。今回の参議院選挙で日本医師会が推薦した候補が落選したということは、医師会内での自民党に対する批判が強くなってきているということの証明であろう。
 医療崩壊という事態を防ぐためには医療政策を転換しなければいけないが、それは現在の自民党政権にはできないであろう。

2007年7月28日土曜日

大麻の危険性

The Lancetに発表された新しい大規模解析によれば、大麻の頻繁な使用は統合失調症などの精神疾患のリスクを二倍以上にするらしい。
 The Lancetは1995年に大麻の使用は健康に有害ではないという論文を掲載している。これまでの公的議論では大麻はアルコールやオピオイドや中枢興奮剤(アンフェタミン)より害が少ないと見なされてきたが、大麻の精神疾患に関する長期有害影響は見落とされてきた。

 私も大麻はタバコよりも害はないと思っていたが、脳に作用する物質だけに精神疾患のリスクが高まるわけか。結局精神に作用する薬物はアルコールも含めて、摂らないのが無難であろう。

2007年7月25日水曜日

紙幣の肖像画

千円紙幣が野口英世、五千円紙幣が樋口一葉である。
 野口英世は放蕩癖があり借金を重ねたらしい。例えば渡米を決意した時、小林栄から200円を借り、斎藤家の子女と帰国後の婚約をし結納金として300円を得て旅費を得た。しかし渡航直前に横浜の遊郭で友人と遊興にふけり更に賭博にて使い果たし、血脇守之助が高利貸しより借りた300円を資金してに米国に渡航した。
 一葉も生活は苦しかったが、一葉が資金的に窮乏した原因には、労働者に対する蔑視や、士族や華族を崇拝する身分差別的思想などの一葉自身の内面的事情が少なくないため、一葉を才能に恵まれながら資金的に不遇な生涯を送った聖人のように考えるのは一方的な見方とも言われている。
 いずれも紙幣の肖像画にするには少々縁起が悪い。

2007年7月23日月曜日

何が悪くてこういう日本になってしまったのだろう。
経済成長そのものは良いことのはずだが、その成長の仕方が悪かったのだろうか。あまりにも速いスピードでの経済成長が後日大きな歪をつくることになったのか。
もうやり直しはきかない、このどんどん大きくなる歪を是正することはできないだろう。それをするとしたら、革命である。すべてをひっくり返して混乱状態にして一からまたつくり上げることになる。その弊害の方が大きい。
日本以上のスピードで現在経済成長をしている国は中国である。今の中国の抱えている問題点は、経済成長によって大部分解決するとしても、急速な経済成長による将来の深刻な歪に対しては真剣に研究し対策を立てないと、日本以上に大変なことになるだろう。
しかし、中国からはそういう声は聞こえてこない。

2007年7月22日日曜日

オーディオ

寺島靖国氏に言わせると、「オーディオ・マニアはすべての製品を欲しいのである。オーディオ人生は買う人生なのである」そうだ。自作派を除けば確かにそういうことは言えるかも知れない。ただ、現実には次から次へと買い換えるだけのお金を持っている人は少ない。また、最近ハイエンドといわれる製品の価格高騰は限度を超えている(円安の影響だけではないだろう)。ハイエンド・オーディオの衰退という言葉が頭に浮かぶ。オーディオ雑誌には価格高騰に対しての批判的意見は出ない(自分たちの首を絞めるかも知れないのに)。オーディオ業界にはジャーナリズムは存在しないのだろう。

2007年7月21日土曜日

DNA

DNAとはデオキシリボ核酸という物質のことを言うのだが、これが遺伝情報に関係する鎖になったものもDNAと言っているので、分かりにくくなるのではないか。アミノ酸が結合してできた物質を蛋白質と呼ばずに、それもアミノ酸と言ってしまうようなものだろう。古くから慣習的にそう呼ばれているので、専門家は何の疑問も持たないかも知れないが初学者は混乱する。
 このDNAの長い鎖の中に遺伝子と呼ばれるアミノ酸合成に関係する部分が散在している。DNAの鎖と塩基性蛋白質のヒストン、およびその他の多様な蛋白質からなる生体物質を染色体と呼び、人間の体細胞はは22対の常染色体と1対の性染色体を持つ。
 ゲノムとは「ある生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報」として定義される。つまり各々の体細胞なら二倍染色体セットのうちの一方のセットに含まれる全遺伝情報を意味する。ただ、複数の染色体からなる二倍体細胞においては全染色体を構成するDNAの全塩基配列を意味することもある。

2007年7月19日木曜日

地震

災妖は善政に勝たず。寤夢は善行に勝たず(孔子家語の句。天変地異や奇怪な現象は指導者層が好い政治、好い行いをすることによりおさまる。逆に天変地異や奇怪な出来事がおこるのは善政が行われてないからである)という言葉がある。
 参議院選挙の直前に新潟の地震という天変地異がおこったということは、もちろん偶然ではあるが何か考えさせられることではある。

2007年7月18日水曜日

DHEA

DHEAは男性ホルモン(テストステロン)や女性ホルモン(エストロゲン)の前駆物質であり、加齢とともに減少する。これをサプリメントとして補えば、抗老化に役立つという考えもある。
 内因性のDHEAが多い男性は長命であるという日本の信頼できるデータはあるらしい(女性ではそういう結果は出なかった)。しかし、これはあくまでも内因性のDHEAであり、外部からDHEAを与えれば抗老化になるということにはならない。DHEA服用で抗老化への良い影響が期待できるという日本の研究結果もいくつかあるようだ。
 米国ではサプリメントとしてドラッグストアで売られているが、日本では認められていない。今のところ肯定的なデータと否定的なデータがあり、また副作用への危惧もあり、抗老化のサプリメントとしての評価はまだ定まっているとは言えない。
 ただ、知人でDHEA50mg服用でLDLコレステロールが増加し、25mgに減量するとLDLコレステロールも低下したという人がいる。LDLコレステロールが増加するのであれば抗老化どころか、動脈硬化を促進してしまうので、抗老化のためのサプリメントとしては失格だ。今のところは、飲まないほうが無難か。
 なお、IOCではDHEAをドーピング物質に指定しているそうだ。