2007年9月28日金曜日

久しぶりのオーケストラ


 最近、コンサートは室内楽中心だったので、昨日は久しぶりのオーケストラだった。オーケストラは華やかなので聴く前から高揚した気持ちになる。曲目はシューベルトの未完成とブルックナーの9番。ブルックナーはやはり奇人の音楽だと思った。

 CDではブルックナーは途中で退屈して聴きとおすことができない。しかし、生のコンサートではオーケストラの音響的迫力に圧倒されて退屈せずに聴くことができる。それどろこかずっとこのまま聴き続けていたいという気持ちさえする。

 音楽を聴いて感動するというより音響を聴いて圧倒されるのがブルックナーの正しい聴き方かも知れない。そうなると、CDを聴きとおすためには大音量で聴いて圧倒されなければいけないのか。でも、オーディオでは、それがどんな高額な機器であっても、機器の調節がどんなに優れた人であっても、生のオーケストラの迫力は出せないと思う。

 一日たって、ブルックナーの音楽は変だという気持ちがさらに強くなった。

2007年9月27日木曜日

アイドルとしての酒井和歌子


 酒井和歌子を初めて見たのは、テレビドラマ「フレッシュマン」だったと思う。検索しても「フレッシュマン若大将」はたくさんひっかかるが、テレビドラマ「フレッシュマン」はたった1件でその内容も乏しい。出演者に黒沢年男もいるのでこの番組で間違いないとは思う。酒井和歌子はその当時高校生で、ドラマでは脇役だったがとても可憐でいっぺんにファンになった。本当に可愛かった。

 「くしゃみ3回ルル3錠」のコマーシャルで「風邪、やあね」というのも良かったな。レコード(確か大都会の恋人たちという題名だったか)も出した。もちろん、買った。歌がへただと思ったが、そういうことは二の次だった。

 加山雄三の若大将シリーズに星百合子に替わってヒロインとして出演したが、星百合子の色気に完全に負けていた。酒井和歌子の魅力は少女としての清純さだったのだろう。それが大人になれば、大人の女性としての色気が女優として必要だろうが、その色気が酒井和歌子には乏しい。結局大女優と呼ばれることはなかった。デビューした16歳からの数年間が、アイドルとしての「酒井和歌子」の時代だったのだ。

2007年9月24日月曜日

化学物質過敏症

 化学物質過敏症といわれる状態がある。国際的にはMultiple Chemical Sensitivity(多種化学物質過敏症状態)と呼ばれる。これは例えば、住宅から発生するホルムアルデヒドに暴露してしまった後、体が非常に過敏となり、その後はホルムアルデヒド以外のごく微量の化学物質にも種類を問わず反応してしまうようになるという状態である。症状は粘膜刺激症状、皮膚炎、呼吸器症状、循環器症状、消化器症状、精神症状、自律神経障害、中枢神経障害、頭痛、発熱、疲労感など広範囲にわたる。

 化学物質過敏症という病気があるかどうか、否定的な研究者も少なくない。環境省の研究班による二重盲験法による暴露試験では、北里研究所病院の診断基準で化学物質過敏症と診断された9人のうち、1人しか真性と思われる患者はいなかった。つまり、化学物質過敏症と診断された人の多くは他の病気かも知れないのだ。

 米国のWilliam J.Rea医師は化学物質過敏症の領域では有名であり、日本でも講演を行っている。その人物に対する以下のようなニュースがあった。



 テキサス州ダラスで環境健康センターを運営しているWilliam J. Rea医師が、医師免許を取り消されるかもしれない懲戒処分請求に直面している。テキサス州医事当局が彼を以下の罪で懲戒請求した。(a)疑似科学的検査法を用いた。 (b)正確な診断を行わなかった。(c)「無意味な」治療を行った。(d)彼の治療法が根拠がないという情報を患者に提供しなかった。(e)彼が訓練を受けていない分野の治療を行った。(f)米国内科医認定機関が認めていないのに自分は認定された医師であると称していた。

2007年9月22日土曜日

ナショナルキッド


 子供時代の一番のテレビヒーローはナショナルキッドだった。それ以外にも多くの同時代のヒーローがいる。この時代のヒーローの筆頭はなんといっても月光仮面だろうが、月光仮面には夢中になったという記憶がない。そこでテレビ放映時期を調べてみた。順に並べてみると以下のようになる。
月光仮面は1958年2月から1959年7月
少年ジェットは1959年3月から1960年9月
矢車剣之介は1959年5月から1961年2月
七色仮面は1959年6月から1960年6月
豹(ジャガー)の眼は1959年7月から1960年3月
怪傑ハリマオは1960年4月から1961年6月
アラーの使者は1960年7月から同年12月
ナショナルキッドは1960年8月から1961年4月
新・少年ジェットが1961年7月から1962年4月
新諸国物語 紅孔雀は1961年8月から1962年4月
 七色仮面、豹(ジャガー)の眼、ハリマオ、アラーの使者、ナショナルキッドは強く印象に残っている。月光仮面はそれらに比べて1年ほど放映時期が早い。おそらく私はリアルタイムでは月光仮面を観ていないのではないか、再放送を何年か遅れて観たのではないかと思う。そのときはもう夢中になる年齢ではなかったのだろう。
 ナショナルキッドに17歳の太地喜和子(当時の芸名は異なる)が出演していたのは今回知った(上記の写真の女性が後の太地喜和子)。なお矢車剣之介の主役は手塚茂夫(のちスリーファンキーズに加入)で、五月みどりも出ていたらしい。

 幼い日の思い出である。

 

2007年9月19日水曜日

麻生太郎氏の部落発言

「野中広務 差別と権力」(魚住照著:講談社発行)という本の中にこういう話が出てくる。

 「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。


 もちろん麻生氏本人はこの差別発言を否定しているが、この発言を聞いた複数の人間がいる以上事実であろう。このような人物が総理大臣にふさわしいかどうかは明らかである。なぜかマスコミはこの問題に触れようとしない。結局水掛け論になってしまうことが明白ということもあるし、現在この問題を取り上げれば麻生氏に対する否定的キャンペーンをはることになるということもあるだろう。
 部落問題に関しては、部落開放同盟の過酷な糾弾闘争に対する恐怖を利用した利権構造や不正行為が多発し、負のイメージが出来上がっており、正邪が不明確になっている。そういうこともあって、マスコミは部落問題に関わりたくないのではないかとの気もする。

2007年9月18日火曜日

NAXOS

 ナクソス(NAXOS)は、1987年に実業家のクラウス・ハイマンが、夫人である日本人ヴァイオリニストの西崎崇子とともに設立したクラシック音楽系のレコードレーベルである。

 ナクソスが活動を始める以前の大手レーベルは、有名なスター演奏家を起用することで販売数を伸ばしていた。しかし、ナクソスはこれとは逆に、無名でも実力のある演奏家を起用することで価格を低く抑えることを志した。 CD1枚が大体1000円前後である。大手レーベルが一部の超有名曲の知名度に頼りきっていた状況にあったのに対し、ナクソスは知名度は低くとも良質な曲であれば積極的に取り上げ、そのような曲の開拓をしていった。とくに20世紀の音楽をたくさん出している。ナクソスの最大のポリシーとして、「一度市場に出したCDは廃盤にしない」点がある。

 私もナクソスのCDはたくさん持っている。しかし、これまでの日本の代理店が、2007年9月末を以ってナクソス・ジャパンに変わることになり、それにともない値段が上がるらしい。10月まではナクソスはHMVでも在庫のあるCDしか購入できない。というわけで値上がりする前に在庫のあるナクソスの20世紀音楽をたくさん注文した。当分CDを買わなくてもよい状態となった。

2007年9月16日日曜日

アルコール性筋肉痛

 私は常習的な飲酒はしないが、何かの機会に飲酒することはある。アルコールが分解されてできるアセトアルデヒドは有害物質であり、発がん性もあるといわれている。このアセトアルデヒドが二日酔いの原因物質である。アセトアルデヒドを分解するアセトアルデヒド脱水素酵素の遺伝子は3型あり、それによってアルコールに強い、弱い、まったく飲めないという体質が決まる。白人・黒人は100%強いタイプらしい。モンゴロイドの45%が弱いタイプ、5%がまったく飲めないタイプである。

 私は45%の弱いタイプである。会合では酩酊するまで飲むことはないが、自分の代謝力を超えて飲んでしまうことが多い。そうすると翌日軽い二日酔いで、胃の調子が悪い、気分がおちこむ、体がだるい、といったことになるのだが、下肢を中心とした筋肉痛も出る。アルコールで筋肉痛が出るという人は割といるようだ。 この筋肉痛の原因をこれまで、アセトアルデヒドを代謝するためにブドウ糖が分解されて乳酸ができて、それがたまって筋肉痛の原因になるのだと思っていた。

 しかし、どうやら違うようだ。筋肉痛は、かつては疲労物質とされていた乳酸の蓄積によるものと考えられてきたが、その考えは現在では否定されており、現在主流となっている考え方では微細な筋肉細胞の損傷が原因とされている。筋肉自体には痛みを感じる機能がないので、筋肉細胞の修復過程での筋膜やその結合組織に起きる炎症が痛みを感じさせていると考えられているようだ。

 これは運動性の筋肉痛の説明にはなってもアルコール性筋肉痛(こういう言葉は一般にはないが)の説明がつかない。そこでもう少し調べてみた。

 アルコール中毒者の場合、アルコールによる筋細胞の代謝障害(エタノールやアセトアルデヒドによる筋肉内解糖系酵素活性の阻害)または直接毒性(エタノールによる筋鞘膜や筋肉内ミトコンドリアに対する直接毒性)等により横紋筋融解症を含む筋障害(アルコール性ミオパシー)を来たす場合があるらしい。そうすると中毒者でなくても、アルコールによる作用で横紋筋融解症やミオパシーまではいかない軽度の筋障害がおきる可能性も十分考えられる。

 アルコールによる筋肉痛の研究をしている人などいないだろうから、原因が確定することはないだろう。今のところこのアルコールによる軽度筋障害説で納得しておこう。

2007年9月13日木曜日

日本一の無責任男か

 植木等以来の「日本一の無責任男」の出現である(若い人に言っても通じなかった、植木等もクレージーキャッツも知らないからなあ)。植木等は役として演じていたわけだが、今度のは本物である、安倍晋三、日本の総理大臣である。
 辞めるべきときに辞めず、辞めてはいけないときに総理大臣職を放り投げてしまった。前代未聞、抱腹絶倒(これは違うか)の事態である。
 ジャーナリストの立花隆氏が以前から指摘していたように健康問題(潰瘍性大腸炎)もあったのだろうが、まともな判断ができない精神状態にもなっているようだ。立花隆氏はいずれ健康問題で辞任すると予言していたが、今回の唐突な辞任は健康問題ではなく週刊誌で暴かれる時効が成立している脱税問題ではないかと立花氏は言っている。
 もともと総理大臣になるべき人ではなかったのだろう。こういう人物を総理大臣にしたというのは自民党政治の退廃であろう。
 安倍氏の悲劇は小泉氏と光と影の関係なのではないか、小泉氏は扇動政治によって世論を動かした人である、毛沢東の扇動によるおぞましい文化大革命になぞらえる人もいる。毛沢東が中国国民に肯定的にとらえられているように、日本国民の多くにはいまだに小泉氏に対する幻想があるが、安倍氏は本来小泉氏が払わないといけない影の部分のつけを払わされたのだ。 

 ゆとり教育世代がよく批判されるが、実は安倍氏の世代がだめなのではないか。この世代が社会の中心的な役割を果たしているのだから、これでは日本は良くならない。
 

2007年9月12日水曜日

節約した人件費の向かった先

 以下は経済アナリストの森永卓郎氏のレポート(2007年9月10日)の要約である。

 経済格差の問題は、正社員と非正社員の間に存在する格差である。この格差はもともと存在していたのだが、昨今の非正社員の急増によって表面化したというのが正確なところだろう。一般的に言って、正社員の平均年収が500万円を超えているのに対して、非正社員は100万円台前半。正社員を減らして、その分を非正社員にすればするほど、企業にとっては節約になるわけだ。2001年度から2005年度にかけての「雇用者報酬」の推移を見ると、8兆5163億円も減少している。ところが、企業の利益に相当する「営業余剰」は、逆に10兆1509億円も増えているのだ。非正社員を増やしたことで、4年間で8兆円以上も給料を減らしたのに、逆に企業の利益はそれ以上に増えていることを示しているのである。
 これはおかしいのではないか。もし、日本企業がグローバル競争に勝ち抜こうというのなら、人件費の節約分を製品価格の引き下げに振り向けているはずである。しかし実際には、人件費の下落を上回る分が、まるまる企業のもうけになっていたのだ。
 では、人件費を減らしたことで企業が得た利益は、最終的にどこに行ったのか。一つは株主である。財務省が発表している「法人企業統計」でみると、2001年度から2005年度までの4年間で、企業が払った配当金は3倍に増えている。
 そして、もう一つは企業の役員である。やはり「法人企業統計」によると、2001年度から2005年度までの4年間で、資本金10億円以上の大企業の役員報酬(役員給与と役員賞与の合計)は、なんと1.8倍になっている。さらに、先日、日本経済新聞社が発表したデータによれば、主要100社の取締役の 2006年度分の報酬は、ここ1年で22%も増えていることが分かる。
 これはあまりにもひどい。これこそまさに「お手盛り」ではないか。非正社員を増やして給料を下げておき、自分たちの給料を5年で倍増させているのである。要するに、大企業の役員たちは、消費者のことも、従業員のことも考えていないのだ。彼らは、景気拡大や構造改革を、自分たちの給料を増やすチャンスとしかとらえていないのである。
 同じ会社役員でも、資本金1000万円未満の中小企業の役員報酬は、2001年度から2005年度までの4年間で3%減っている。その理由は明白だ。大企業が発注単価をどんどん絞っているために、中小企業の業績が悪くなっているのである。
 これを見れば、小泉内閣の下で進められてきた構造改革で、いったい何が起きたのかが分かってくるだろう。結局、権力を握っている人たちだけが太って、一般の庶民はその割を食っているのである。

 
 森永氏が怒っているように、これはひどい話だ。国民の多くは小泉前総理の改革なるものに幻想を持ち、まだ自分たちが小泉氏によって何をされたかを分かっていないのであろう。小泉改革の正体に国民の多くが気づかないまま事態が悪化していくのかも知れない。国民の多くは小泉氏を熱狂的に支持したわけだから自業自得ということにはなるが、小泉氏に反対していた人まで巻き添えをくってしまう。これは衆愚政治ということなのか。

2007年9月11日火曜日

環境ホルモン

 最近環境ホルモンが話題にならないと思っていたら以下のようなことだった。


 環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質)は1996年に米国の科学者シーア・コルボーンが「our stolen future」という本を出版し、97年には日本でも出版され、NHKが特集番組を放送し一気に社会問題化した。当時の環境庁(現環境省)は98年環境ホルモン戦略計画=SPEED'98をまとめ、内分泌攪乱化学物質を有すると疑われる67物質を公表し調査を始めた(2物質は予備調査で影響なしと判断されたため最終的には65物質のリストとなった)。

 それで結果はどうだったのか。人に対する環境ホルモン作用が確認された物質は現在のところない。哺乳類についてもなく、メダカで4物質の作用が確認されたのみであった。しかもその作用は人の尿中から下水処理場を通って出る水に含まれる女性ホルモンよりもはるかに低いものであった。

 結局リストは2005年に廃止された。

2007年9月10日月曜日

若者の所有欲減退

 大前研一氏の以下のような気になるレポート(07/09/04)があった。

 日本経済新聞社が首都圏に住む20代、30代の若者(20代1207人、30代530人)を対象に実施したアンケート調査の結果、無駄な支出を嫌い、貯蓄意欲は高いという、予想以上に堅実で慎ましい暮らしぶりが浮き彫りになった。
 今回のアンケート調査(2007年)の結果を見てみると、20代の人は2000年の調査時点に比べて、車の所有率(23.6%→13.0%)も所有欲(48.2%→25.3%)も半減していて、飲酒についても、月に1度程度あるいは全く飲まないと回答した人の割合が34.4%になっている。
 特に注目すべきは、「車が欲しい」という所有“欲”が低いということだ。高度経済成長期から日本人を形作ってきた所有欲そのものが減退していることを私は重く受け止めるべきだと考えている。こうした若者の実態の変化について、なぜ10年でこれほど変わってしまったのか?ということを、もっと突き詰めて研究することが重要だろう。

 あるブログには「この十年間生育した若者はモノを欲しがりません、お酒も飲みません、パソコンもいりません・・・なんか欲しいものなんか無いのよ。単純に携帯電話のみで全てを間に合わす生活、そんな時代になってきたみたい」とあった。

 所有欲がなく、飲酒せず無駄使いをせず貯金に励むというのは、清貧でよいことではないかという意見を持つ人も当然いるだろう。だがそういう肯定的なものではないような気もする。大前研一氏も不気味なものを感じているのではないか。

2007年9月9日日曜日

only chamber music 第13回



 9月8日にあった、前ウィーンフィルコンサートマスターのヴェセリン・パラシュケヴォフ氏を招いてのonly chamber music series第13回を聴きにいった。

 第一部はシューベルト弦楽三重奏曲第2番と第1番、第二部はフォーレのピアノ四重奏曲第1番であった。シューベルトの弦楽三重奏曲第1番は第2楽章の途中で放棄された未完の曲であるが、パラシュケヴォフ氏が補筆して演奏できる形にして第2楽章までの演奏となった。何でも、こういう形で第2楽章まで演奏するのは日本では初めてらしい。シューベルトの弦楽三重奏はCDも持っておらず、これまで聴いたことがなかった。

 第一部のシューベルトは色でいえばセピア色か、第二部になりピアノが加わるととたんに華やかになる。弦楽器がピアノの音量に負けないように一段と大きな音を出す。それにフランス音楽らしく色彩感にあふれた演奏になる。第一部は慈しむような演奏であり、第二部は迫力のある熱演であった。

 最近アマチュア~セミプロレベルの演奏を聴くこともあったが、やはりプロの演奏家は美しい音を出す。当たり前のことだが再認識した。

2007年9月8日土曜日

アンチエイジングとしての成長ホルモン

 米国ではアンチエイジングのため様々なホルモンが投与されている。なかでも成長ホルモンは、一流医学雑誌に論文が発表されて以来アンチエイジングの中心的役割を担い、1万人がアンチエイジングのために成長ホルモンの注射を受けているという。

 この論文(N Engl J Med 1990;323:1-6)によれば、高齢者に成長ホルモンを投与すると、筋肉量が増え体脂肪量が減るという。この論文はアンチエイジング産業の広告宣伝に利用されるという結果になった。その後、この医学雑誌は、「成長ホルモンは加齢を防げるのか?」という論文を掲載し、このような風潮にくぎを刺している。この中で著者は、成長ホルモンの投与は確かに筋肉量を増やすが、その機能まで高めているという根拠はないと主張し、むしろ成長ホルモンによる癌の発症を危惧している(N Engl J Med 2003;348:779-780)。その根拠として、血液中のIGF-I(成長ホルモンにより増えるホルモンであり、これが高いことは成長ホルモンが高いことを意味する)の濃度が高いほど前立腺癌の発症率が高い、という研究を紹介した。ほかにも、成長ホルモンが投与された人では、大腸癌やリンパ腫などの発症率が上昇し、癌による死亡率も高くなるとの報告もある(Lancet 2002;360:273-277)。そればかりではなく、成長ホルモン投与は糖尿病の発症率も上昇させる( JAMA 2002;288:2282-2292)。

 実験室レベルでは成長ホルモンの受容体をノックアウトした(成長ホルモンへの反応をなくした)マウスは寿命が延びることが分かっている。これをそのままヒトに当てはめることはできないだろうが、発癌の問題以外にも成長ホルモンはアンチエイジングに逆効果をもたらす可能性があるということだ。

 日本でも高額(薬代だけで一ヶ月262500円というサイトがあった)の成長ホルモン注射をアンチエイジング目的で行っているクリニックはある。成長ホルモンを成人に注射すると筋肉量が増し気力も充実するらしいので、いかにもアンチエイジングに良いと感じてしまうのだろうが、アンチエイジングに効果があるかどうかは長い年月と多数例での検討が必要である。現時点で成長ホルモンを使うのはあまりにもリスクが高い。

2007年9月7日金曜日

ロックスターの死

 ロックスターの早死についての論文が発表された。以下はその要旨である。

 ロックやポップのスターは一般人より早死にしやすい、それも有名になって数年後に。
 1956-1999年に有名になった 1050人以上の北米及びヨーロッパのミュージシャンや歌手を2005年末の時点まで調べた結果、100人のスターが1956-2005年までに死亡していて、平均死亡年齢は北米で42才、ヨーロッパで35才であった。4人に1 人以上の死因が長期に渡る薬物やアルコールの問題であった。英国や米国の一般人に比べると2倍以上若くして死にやすく、特に有名になって5年以内が多い。ヨーロッパのスターが一般人と同じ平均余命に戻るのは有名になって25年後であるが、米国のスターは死亡率が高いままである。
Elvis to Eminem: quantifying the price of fame through early mortality of European and North American rock and pop stars
Online First  J Epidemiol Community Health 2007


 ロックを聴き始めたころ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、マーク・ボランといったミュージシャンが次々に若死にした。あのころのロックは社会に反抗する音楽だったなあ。
 ジョン・レノンが死んだことを知ったのは、もうロックを聴かなくなった社会人1年目の夜のラーメン屋のテレビニュースでだった。
 反体制の音楽としてのロックも死んだのだろう。

2007年9月4日火曜日

流れよ、わが涙

 フィリップ・K・ディックの 「流れよわが涙、と警官は言った」を読んだのはずいぶん昔のことだ。もう内容は覚えていない。ただその題名のかっこよさが印象に残っていた。

 「流れよ、わが涙」というリュート歌曲が16世紀に流行したと知ったのは数年前のことだ。ここからディックの小説の題名は来ていたのか。この歌曲はイギリスのリュート奏者のジョン・ダウランドが作曲したものだ。

 リュートという楽器はクラシック・ギターの原型で琵琶のような形をしており、弦が2本1組で張られているため、厚みや深みのある特有の音色がする。とはいうものの、ギターの先祖なのでギターよりももっと地味な音だ。ホプキンソン・スミスという有名なリュート奏者が来日したのは2004年だったか。私の住んでいる地方都市でもコンサートがあり聴きにいった。でも、結局リュートの音が自分の好みでなく、前半を聴いて帰ってしまった。

 2006年にロック歌手のスティングがダウランドのリュート歌曲集を出して話題になった。このCDの中にも「流れよ、わが涙」は入っている。

2007年9月2日日曜日

教会で聴いたスターバト・マーテル




 教会でバッハ編曲のペルゴレージのスターバト・マーテルの演奏会があった。

 スターバト・マーテルはキリストを失った聖母の悲しみを歌ったものだ。直訳では「佇む母」という意味だが、「悲しみの聖母マリア」と訳されている。そのラテン語の歌詞の成立は13世紀にまでさかのぼり、作者はフランシスコ会修道士ヤコポーネ・ダ・トーディとも聖ボナヴェントゥーラともいわれている。この歌詞にイタリアの中部に生まれた作曲家ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)はじめヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなど時代や地域を越えて多くの作曲家が曲を書いており、記録に残っているものだけでも近現代に至る まで400人以上の作曲家によって継続的に作曲され続けている。その中でもっとも人気があるのがペルゴレージのスターバト・マーテルだ。
 この作品はペルゴレージの最晩年の作品だが、彼が亡くなったのは26歳。作曲家として活動していたのも約5年ほどの短いものだった。最期はポッツォーリの修道院で病没、貧民共同墓地に埋葬されるというなかなか悲惨なものだったが、彼のもう一つの代表作であり、音楽史上重要な作品であるオペラブッファ「奥様女中」の人気により彼の名声は死後急速に広まる。その弊害として偽作も多く、300位伝えられていた彼の作品も20世紀初頭にはその半分になり、さらにそのうちの5分の4の作品が疑わしいとされている。
 ペルゴレージのスターバト・マーテルは編曲の試みも多くなされている。バッハの編曲は1746/47年頃のことであり、アルプス以北では最初のものと考えられているそうだ。バッハのこの編曲の存在が確認されたのは比較的最近である1968年のことで、ベルリンの図書館で発見され、バッハの真作と認定、BWV番号1083が付加された。バッハがなぜこの編曲を手がけたかについてはよくわかっていない。バッハは歌詞を旧約聖書の詩篇第51番のドイツ語訳に変更、イントネーションの変更に伴い声楽パートのリズム、旋律線にも手を加えている。さらに第12曲と第13曲の順番を入れ替え、第2ヴァイオリンとヴィオラのパートも加筆され、新たなモテットとして完成させた。
 
 教会の雰囲気とあいまって美しい曲がよりいっそう美しかった。