2007年8月31日金曜日

日本のマラリア

 温暖化が進めばやがて日本の半分は亜熱帯気候に属することになり、マラリアが流行するといわれている。しかし衛生環境が良ければ大流行するということはないだろう。そもそも1987年まで日本には土着のマラリアがいたのだ。


 マラリアの感染者は世界中で3~5億人、毎年、約100万人が死亡すると推定され、世界的健康問題であるといわれている。人に感染するマラリアの原虫には、三日熱マラリア原虫、熱帯熱マラリア原虫、四日熱マラリア原虫と卵型マラリア原虫の4種類がある。ハマダラカ属の蚊に吸血されることによって感染する。マラリア原虫を持つ蚊に吸血され、人の体内でマラリア原虫が侵入してから発症するまでの期間(潜伏期)は熱帯熱マラリアで12日前後、四日熱マラリアは30日、三日熱マラリアと卵型マラリアでは14 日程度と報告されている。

 一定の潜伏期間の後、悪寒、震えと共に体温が上昇し、1~2時間続く。その後、悪寒は消えるが、体温は更に上昇し、顔面紅潮、呼吸切迫、結膜充血、嘔吐、頭痛、筋肉痛などが起こり、これが4~5時間続くと発汗と共に解熱する。これを熱発作と呼ぶ。この熱発作の間隔は、感染するマラリアの種類によって異なり、四日熱マラリアは72時間、三日熱、卵型マラリアは48時間ごとに起こるが、感染初期では発熱が持続する傾向が多いようだ。

 一般に熱帯熱マラリアは、他のマラリアと異なり高熱が持続する傾向があり、平熱まで下がることはほとんどない。また、症状も重く治療が遅れると意識障害、腎不全などを起こし、死亡することもまれではない。


 マラリアは 媒介蚊がいれば,熱帯のみならず温帯・亜寒帯地域でも近代までまん延していた。今では完全な輸入病となっているが,その昔,日本は名だたるマラリア浸淫地であり、札幌や釧路でも終戦直後までマラリア患者が普通にいた。
 日本のマラリアは奈良時代の大宝律令の医疾令に瘧(おこり)の名前ではじめて紹介され,平安時代の『和名類聚抄』には瘧にエヤミとワラハヤミの2つの訓でている。つまり,奈良時代以前にマラリアはすでに日本に定着していたとおもわれる。
 安土桃山時代の山科言経が大阪で開業したとき,患者の7%が瘧であったそうだ。これは19世紀中頃のロンドン病院のマラリアとほぼ同じ値である。瘧は藤原定家の日記『明月記』や定家の息子為家の後妻である阿仏尼が書いた『十六夜日記』でも,また安土桃山時代に奈良で書かれた『多聞院日記』でも頻繁にでてくる。なお、平清盛の死因がマラリアとの説があるが、これはどうも違うらしい。
 江戸時代には瘧はそれほど重要視されていない。おそらく,開発が進んで沼沢地が減ったこと,漢方薬治療が盛んになったことによるのではないかといわれている。
 それでも,1903年(明36)には年間20万人の罹患者と1,000人を超える死亡者があったと推定されている。終戦直前,日本軍によって八重山諸島民が「経験的に熱帯熱マラリアを恐れて入らなかった」地域に強制疎開させられ,約3,000人がマラリアで死亡した。この犠牲者を供養する慰霊碑が石垣市のバンナ公園に建立されている。
 琵琶湖をかかえる滋賀県は本土で最も流行度が高かった県で,1948年(昭23)には全国のマラリア患者の4,953人のうち2,259人が記録されている。彦根市には1978年(昭53)までに流行が定着していた。
 第2次世界大戦直後の外地帰還者によるマラリアの輸入があり患者数は全国的に増えたが,媒介蚊退治と徹底した患者の治療が効を奏し,土着マラリアは1987年(昭62)以降認められていない。

 輸入マラリアの国内での報告数は、1999年4月以前の伝染病予防法での届出によると、1990年代には年間 50~80人で推移していた。しかし、感染症法施行以降の報告数は増加し、1999年(4~12月) には112例、2000年1~12月には154例に達した。しかしその後、2001年は109例、2002年は83 例、2003年は78例と減少している。

2007年8月30日木曜日

散髪屋の嘆き

 行きつけの近所の散髪屋の老夫婦が最近客が少ないと嘆いていた。確かに以前だと待たされることもあったが、この1年くらいは待たされたことがない。人口はまだ減り始めたばかりなので、そのせいではない。そこでネットで調べてみた。

 近年若年層の男性が美容院へ通う傾向が年々強くなっており、理容店離れの影響がよりいっそう深刻になっている。さらに業界内でも最近では2000円台、1000円台といった低料金を売り物にしたチェーン店の進出が目覚ましく、不況の時代に合った形で需要を大きく伸ばしている点が特徴的である、ということのようだ。
 つまりヘアスタイルに関心のある若年男性は美容院に行き、ヘアスタイルに関心のない中年層はカットだけの格安店に行き、結局近所の高齢者が中心ということで客が減ったということなのだろう。

 1000円の理髪店をマスコミは格安理髪店と呼んでいるが、格安だけではなく確実に10分を保証したところが成功している理由と考える人もいる。カットの時間は7分、髪の毛は洗わない。刈った髪の毛を掃除機のようなエアウォッシャーで吸い取ってパパッと髪の毛を整えて10分。入口には空き状況を知らせるランプがついていて、青ランプのときに行けば待ち時間もなく、10分で理髪してもらえる。また、男性だけでなく女性客もけっこういるらしい。

 私が行っている散髪屋は3500円で洗髪、顔剃り、肩のマッサージなどをして40分くらいかかる。洗髪、顔剃りは自分で毎日しているわけだから、別にしてもらわなくてもよいがセット料金なのでしてもらっているわけだ。行きつけの散髪屋には申し訳ないが近くに1000円の店ができたら行ってしまうかも知れない。でも、散髪してもらいながらウトウト居眠りするのは気持ちが良いものなのだが、10分の格安店では居眠りできないなあ。行きつけの散髪屋は後継者もいないようなので、廃業したら自転車で駅前の格安店に行くことになるかな。

2007年8月29日水曜日

解離性障害

 朝青龍のような状態を解離性障害というのか。
 解離性障害とは、心的外傷への自己防衛として自己同一性を失う神経症であり、自分が誰か理解不能であったり、複数の自己を持ったりする。症状の発生とストレッサーとの間に時期的関連があることが診断の必要条件であるということらしい。

 似たような症状が出た人を知っている。やはり強いストレスがあり、家に閉じこもって会話が成り立たない状態となった。その後2年たち、今はふつうに会話はできるが社会復帰はできていない。 その人も解離性障害ということなのだろう。

 朝青龍の場合、問題ごとにきちんとそれに見合った処分をしておけばよかったのにそれをせず、ここに来て今までの分も合わせたような厳しい処分をしたために、自業自得というにはあまりに気の毒なことになってしまった。相撲協会というのはいいかげんな組織だと多くの人が再認識しただろう。

 果たして朝青龍はストレスの原因となった相撲界に復帰できるのだろうか?

 それにしても誰かを集中的にバッシングするという日本の悪弊はまだ続いている。

2007年8月28日火曜日

サプリメント(胎盤療法その5)

 サプリメントとしての胎盤療法は内服や美容液・化粧水などの化粧品があるが、その効果を証明するデータはない。以下は国立健康・栄養研究所の「健康食品の安全性・有効性情報」からの転載である。


 プラセンタは哺乳類の胎盤で、母体の子宮内腔に形成され母体と胎児の臍帯を連絡する器官である。胎児へ酸素や生育に必要な栄養素を供給したり、母体へ老廃物をわたす機能のほかに、造血、タンパク質合成、ホルモン分泌なども行う。胎盤を食用とする習慣は古くから各地でみられる。これは元来動物が出産の痕跡を消し母体の回復を早めるために自らの胎盤を食べることに由来するようである。健康食品の素材としてはウシ、ブタ、ヒツジの胎盤があるが、最近利用されているのはブタ由来の胎盤が殆どである。俗に、「更年期障害によい」「冷え性によい」「貧血によい」「美容によい」「強壮・強精によい」などと言われている。ヒトにおける安全性・有効性については調べた文献に十分なデータが見当たらない。アレルギー、薬剤性肝障害を起こした事例が報告されている。



 プラセンタというから抵抗がないのかも知れないが、胎盤を飲んだり、顔にぬったりと考えると、これは少々気持ち悪い。 サプリメントはまず安全性を第一に考えるべきであろう。胎盤を使ったサプリメントは感染の危険性を否定しきれない。

2007年8月27日月曜日

献血対象から除外(胎盤療法その4)

 昨年胎盤エキス注射の使用歴がある人は献血対象から除外されることになった。対応が遅いという気はする。以下はそのニュースの抜粋である。


 薬事・食品衛生審議会の血液事業部会安全技術調査会は2006年8月23 日、ヒト胎盤(プラセンタ)由来製剤の注射薬を使用した人からは、無期限に献血を行わない方針を了承した。日本赤十字社は1カ月程度の準備期間後、問診を強化して対応していくほか、問診票の改訂も行う。日本国内で変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)が確認されたことを受けての措置。
 同調査会は2005年12月、英国滞在歴のある日本人でvCJDが確認されたことを受け、プラセンタの注射薬使用者に関する献血のあり方を検討してきた。その結果、これまでプラセンタの注射薬使用に関連したvCJD発生は報告されていないが、理論上のリスクは否定できないとし、安全な輸血・献血を推進する面から今回の措置を決めたもの。
 日赤は問診票を改訂し、プラセンタ注射の項目を追加することにしているが、改定までの当面の対策として、プラセンタの注射薬を使用したことがあるかを問診時に確認し、申告者には献血を無期延期にする。


 これに関して夕刊フジのちょっと面白い記事を見つけた。


 今月10日、厚生労働省社が過去に「プラセンタ注射剤」を使用した人の献血を禁止したが、これがちょっとした波紋をよんでいる。というのも、このプラセンタ、もとは更年期障害などに使用されていた医薬品だが最近は芸能人やスポーツ選手などセレブの間で「若返りの秘薬」としてもてはやされているからだ。
 今回、厚生労働省が献血を禁止したのはヒト胎盤由来のプラセンタ注射剤。BSE(牛海綿状脳症)が人間に感染したとされる「変異型ヤコブ病」の輸血感染を防ぐ措置の一環という。
 胎盤は言うまでもなく、胎児を育てる臓器であり、昔からそのエキスを飲んだり、中国では胎盤そのものを食すなど栄養の宝庫として珍重されてきた。日本でもプラセンタ入り美容液などが人気だが、化粧品に使われるのはブタの胎盤が多い。
 問題となっている人間の胎盤から作られた注射剤は本来、医療用として肝機能改善や更年期障害に処方されていた。ところが最近は美容外科で取り扱われることがほとんど。現在使用されている注射剤は国内2メーカーの2剤あるが、大半は美容目的とみられで、「うちでは全国200医院ぐらいの産婦人科と直接契約していて、国内で月間に使用する胎盤数は2000から2500。使用されているアンプル(1本2ml)数は国内だけに限定すれば年間400万から500万本にのぼる」(胎盤エキス製造関係者)。
 人気の秘密は栄養価の詰まった胎盤エキスを注射剤で直接体内に取り込むので、肌のハリや疲労回復などより高い美容効果が得られること。芸能界やスポーツ界、政財界などのビッグネームがこのプラセンタ注射の愛用者に名を連ねているのは有名な話だ。それだけに今回の措置で、肝を冷やした著名人も少なくないはず。
 厚労省担当者は「感染の危険性には、まだ科学的根拠も事例もないが、理論上では可能性がないわけではない。今回の制限はハッキリするまでの暫定的な対応」としているが、「ヤコブ病」なんて物騒な名前をちらつかされては、若返るどころの騒ぎではないだろう。 ちなみに日本赤十字社は、毎年1月から2カ月間「はたちの献血キャンペーン」に芸能人やスポーツ選手をキャラクターに起用しているが、プラセンタ愛用者以外を探すとなるとこちらの人選にもひと苦労か。(2006.10.23紙面掲載)夕刊フジ



 胎盤エキス注射の効果に関する根拠と感染の危険性を考えると、本来この薬は認められるべきではないのだろうが、古くから認可されている薬でもあり、取り消すだけの根拠もないというところか。

2007年8月26日日曜日

薬事法違反(胎盤療法その3)

 埋没療法に使う胎盤は「メルスモン製薬」が胎盤そのものを刻んで熱処理し、薬瓶に詰めた製剤に加工し主として「日本胎盤医療研究会」に所属する医師に販売していた。そしてそれが問題を起こす。


読売新聞
 厚生労働省は2004年9月2日、刻んだ人間の胎盤を医療用に販売していた製薬会社「メルスモン製薬」(東京都豊島区)に対し、医薬品の無承認製造販売で薬事法違反にあたるとして、胎盤の入手先や出荷実態についての報告命令を出すとともに、製品の自主回収を指導した。
 厚労省によると、同社は胎盤から抽出したエキスをもとに、承認済みの注射用アンプル液「メルスモン」を製造しているが、これとは別に、胎盤そのものを刻んで熱処理し、薬瓶に詰めた製剤に加工。薬事法に基づく承認を受けないまま、複数の医療機関に提供・販売していた。
 今年3月、厚労省が同社の工場を査察した際、問題の製品が保冷庫にあるのを発見。同社から事情を聞いた結果、違法と判断した。


 しかし「メルスモン製薬」は停止指導後も製造を続けた。


産経新聞
 製薬会社「メルスモン製薬」(東京)が人間の胎盤を使った無承認の医薬品を製造したとされる問題で、厚生労働省は2005年2月16日、川口工場(埼玉県川口市)を17日から90日間の業務停止処分にすると発表した。死者が相次いだ抗ウイルス剤「ソリブジン」事件で日本商事(現アルフレッサファーマ)工場が受けた業務停止105日に次ぐ重い処分である。厚労省は昨年3月の停止指導後も製造を続けたことを重視した。
 メルスモン製薬とこの薬を治療に使っていた医師らの「日本胎盤医療研究会」を、薬事法違反(無承認医薬品製造)の疑いで警察当局に告発する方向でも検討しており、告発に踏み切れば極めて異例の措置となる。
 厚労省によると、同社は遅くとも1993年ごろから、産婦人科から購入した胎盤を川口工場で細かく砕き、滅菌処理して小瓶に詰め、研究会に出荷。研究会は会員の医師約60人に提供していた。医師は免疫力の回復などに効果があるとして皮下注射で埋め込む療法で使っていたとされる。
 同社によると、2003年は1万4000本余を製造。健康被害の報告はないという。


 実際に刑事告発されたという話は聞かない。しかし使っていた医師には刑事告発が検討されたということは衝撃であっただろう。胎盤使用を率先していた日本胎盤医療研究会の公開されていたウェブサイトは、問題が指摘されはじめたころ削除された。

 医師が自分で薬を作って使うのは違法とはならないので、実際に自ら胎盤を手に入れそれを処理して埋没療法を行っている医師はいる。しかし、それはかなりの手間がかかることであり、この治療に信念を持っている医師か、あるいはこの治療で大きな利益を上げている医師にしかできない。胎盤埋没療法はほぼ終わったと考えてよいだろう。しかしまだ胎盤エキス注射の問題がある。

2007年8月25日土曜日

胎盤埋没療法(胎盤療法その2)

 戦後日本に伝わってきた胎盤埋没療法は主にソ連を支持する医師たちによって行われたらしい。以前私が知っている医療生協の病院で胎盤埋没療法がひっそりと行われていた(現在は行われていない)、その時は医療生協と胎盤埋没療法がイメージとして結びつかず奇妙な感じを覚えた。ソ連ということで納得がいった。胎盤埋没療法は保険適応されることもなく自由診療でほそぼそと続いていたが、美容クリニックが胎盤埋没療法や胎盤エキスの注射をするようになり、以前とは違った医師層が違った目的で治療をするようになってきた。

 麻酔や切開なしで胎盤を体内に入れる方法として胎盤エキスの注射薬が1950年代に開発された。日本にはメルスモンとラエンネックという胎盤エキスの注射薬が保険薬として認められている。メルスモンの適応症は「更年期障害、乳汁分泌不全」であり、ラエンネックは「慢性肝疾患における肝機能の改善」である。両者とも筋肉・皮下注射として使われる。まあ現在の基準であれば認可されないだろう。
 現在、胎盤エキス注射は適応症にしたがって保険診療として使われるよりも、美容やアンチエイジングという目的で自由診療として使われているようだ。ネットで宣伝しているクリニックの胎盤エキス注射の効能をみると非常に(あるいは非常識に)多くの病気に効くということになっている。


 「株)日本生物製剤」のウェブサイトにある「ラエンネックの歴史」(吉田 健太郎 著「プラセンタ療法と綜合医学」より)によると、「メルスモン」とは別なルートで、日本に胎盤療法を紹介したのが、稗田憲太郎博士であった。稗田博士は戦前・戦中と、満州国(中国東北部)の満州医科大学で教授を務め、日本の敗戦後も同地に留まり1953年に帰国するまでの8年間、中国の八路軍に参加し負傷した軍人の治療にあたった。この間、ソ連の病理学者プランスキー博士の著書『神経病理学』にヒントを得て、埋没療法を実践し著しい効果を得た。軍人の傷を治すために、患部の組織に牛の脳下垂体や角膜、肝臓、胎盤などいろいろなものを埋没した中で、胎盤が一番治療効果の高いことを確認した。稗田博士は帰国後、久留米大学病理学研究室の教授と医学部長を兼任し、胎盤の埋没療法が最も効果を示したという中国での経験から胎盤の研究に取り組み、その結果胎盤からエキスを抽出して注射液にするというかたちに結実させた、ということらしい。
 なお、1958年と1960年衆議院第28回、29回選挙で福岡から日本社会党公認で稗田憲太郎という人物が立候補し落選している。おそらく同一人物だろう。

2007年8月23日木曜日

組織療法(胎盤療法その1)

 現在の胎盤療法の源流は1930年代のソ連の組織療法にある。組織療法はオデッサ医科大学の眼科医フィラトフ博士によって提唱された。目の角膜障害の治療法として、死体から取り出された角膜を移植したのが始まりであり、その後冷蔵ヒト胎盤を埋没させる組織療法を行った。瘢痕収縮(皮膚の傷痕)、胃潰瘍、リウマチ、喘息、眼疾患など多くの慢性疾患に効果を上げたとされている。
 胎盤埋没療法とは、局所麻酔を行った後で、冷蔵したヒト胎盤を大型注射針を使って皮下に埋め込む治療法をいう。胎盤埋没療法の効果は、1~3ヶ月持続するといわれている。

 それに先立つ1917年米国のカンザス州で、ジョン・ブリンクリーという人物が性欲減退に対して、ヤギの生殖腺をヒトの睾丸に移植するという治療を始め、これが当たり大もうけした。場合によっては死刑囚から手に入れたヒトの生殖腺を移植するということも行った。ジョン・ブリンクリーはシカゴのベネット医科大学を卒業できず、ミズーリ州の折衷医学専門の医科大学から卒業証書を500ドルで買った。その当時の米国のシステムでは州によってはこういうことでも医師として認めていたらしい。このジョン・ブリンクリーという人物はこの睾丸移植療法というべき治療を始める前にも、何かあやしげな飲み薬を売っていたらしい。結局、米国医師会から強い批判が出てカンザス州医師登録委員会はブリンクリーの医師免許を剥奪し、この睾丸移植療法は終わった。

 よく似た治療だと思う。ただ、ジョン・ブリンクリーの場合正規の医師ではなく、また当然治療に関する医学的データもなかったため、続けられなかった。フィトラフ博士はまともな医師であり、また当時の医学水準を満たすデータはあったものと思われる。胎盤埋没療法は昭和20年代に日本に伝わってくる。

2007年8月21日火曜日

医系学生の喫煙率

 厚生労働省の研究班は喫煙に関して、2006年12月、医学部19校、歯学部8校、看護学部28校、栄養学部13校の学生を対象にアンケートを実施し、各学部の4年生計6312人(医1590人、歯677人、看護2545人、栄養1500人)から回答を得た。
 喫煙率は歯学部が最も高く54%(男性62%、女性35%)であった。次いで医学部36%(男性39%、女性23%)、看護学部32%(男性47%、女性30%)、栄養学部27%(男性40%、女性25%)。05年度の国民健康・栄養調査によると、20代の喫煙率は男性49%、女性19%で、歯学部は男女とも平均を上回っていた。

 歯学部にとっては不名誉な結果が出たものだ。歯学部の学生が歯にしか興味がなかったとしても喫煙は歯の健康にも悪いだろうに。そして女性は医・歯・看護・栄養すべての学部で全国平均を上回っていた。どうなっているの。自分の健康の問題だけならば、自己責任ということになるかも知れないが、将来患者に禁煙を指導する立場になるというプロ意識に欠けると言わざるを得ない。学校間での差があったのか知りたいところだが公表されていない。教育する側の責任ももちろん大きい。

2007年8月20日月曜日

橋崩落と回向院の茂七

 米ミネソタ州ミネアポリスのミシシッピー川にかかる高速道路の橋が2007年8月1日午後6時5分頃に崩落し10人以上の犠牲者が出たが、日本では5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して元禄11年(1698年)8月架橋された永代橋が文化4年(1807年)8月19日崩落した。

 このときは長年中断されていた富岡八幡宮の祭りが再開するというので、江戸中が興奮状態にあった。しかし大雨が数日間続き、実際の初日の予定を3日過ぎてこの日初日を迎えた。祭り好きの江戸っ子は喜び勇んでどっと富岡八幡に向かった。 富岡八幡宮は深川に位置するため、大半の江戸市民は隅田川を越えなければならず、富岡八幡に一番の近道である永代橋に人が集まった。架橋から既に100年余を経ていた上に昨日までの何日にも渡る大雨で橋脚は弱っており、さらにたまたま、祭り見物の一橋家の船行列が通過するために橋止めが行われ、それが解除された直後、我がちに殺到する人の重みに老朽化した橋桁が耐えきれずに折れてしまったのだ。後ろから群衆が次々と押し寄せては転落し、死者は実に1500人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。なお古典落語の「永代橋」という噺は、この落橋事故を元にしている。

 これだけの大惨事なので、現代の小説にも永代橋崩落をテーマにしたものがある。読んではいないが杉本苑子の「永代橋崩落」という小説がある。また、宮部みゆきが書いた岡っ引きの回向院の茂七が活躍する「本所深川ふしぎ草紙」の中の「消えずの行灯」も永代橋崩落にまつわる話である。

 茂七シリーズは連載中の雑誌が廃刊になったため、このシリーズの重要人物である屋台の稲荷寿司屋の親父の正体が明かされないまま未完となっている。ぼんくら同心こと井筒平四郎のシリーズに晩年の茂七の名前だけが出てくる。このとき茂七は米寿を迎え、大親分として尊敬を集めている。井筒平四郎シリーズに名前を出すからには、作者には十分再開の意思があるのだろう。稲荷寿司屋の正体をぜひ知りたいところだ。

2007年8月19日日曜日

野口英世アフリカ賞

 前首相の小泉純一郎氏の肝入りで創設した「野口英世アフリカ賞」への募金が集まっていないらしい。この賞は、アフリカでの感染症等の疾病対策の推進に資し、もって人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目的として、ノーベル賞に匹敵する賞を目指して創設された。5年ごとに開催されるアフリカ開発会議(TICAD)の機会を利用して授賞される予定である。受賞対象者は、アフリカでの感染症等の疾病対策のための研究及び医療活動のそれぞれの分野において顕著な功績を遂げた者であり、国籍・年齢・性別は問わない(生存者に限る)。小泉氏が首相退任時に受け取った最後の任期分の退職金634万円を全額寄付した以外ではロックフェラー財団が5万ドル寄付したのが目立つ程度であり、このままでは賞金の原資となる1億円の大半を税金でまかなうことになるそうだ。
 つくづく小泉純一郎という人は歴史の真実を知ろうとしない人だと思う。野口英世は黄熱病の研究のためにアフリカに渡りそこで黄熱病にかかり亡くなったのだが、彼は個人の研究欲のためにアフリカに渡ったわけである。シュバイツァーのように人道主義からアフリカにつくした人でさえ、アフリカでの評価は著しくないという。まして野口英世の場合アフリカで彼に感謝している人はいないであろうし、そもそも野口英世のことを知っている人もほとんどいないであろう。
 野口英世は米国留学中に驚異的なペースで医学論文を発表しノーベル賞候補にもなり、日本では偉人ということになっている。しかし、彼の研究の多くは現在では間違いであったことが分かっており、科学者としての世界的評価は低い。しかも、その間違っていた研究は結果として間違っていたというのではなく、もしかすると捏造であったのではないかとの疑いもかけられている。

 野口英世賞と命名した時点でこの賞の運命が決まったのかもしれない。
 

2007年8月18日土曜日

にんにく注射

 にんにく注射は、マスコミによく登場する某医師により命名されたビタミンB1を中心とした静脈注射で、注射をするとにんにく臭がしてくるため、この名がつけれられたと言われている。個々のクリニックでにんにく注射の成分は異なっているようだ。ビタミンB1が入っていることは共通だが、ブドウ糖を混ぜたり、ビタミンCを混ぜたり、肝臓の薬を混ぜたり、さまざまのようだ。
 検索してみると、にんにく注射の料金はだいたい1500~3000円くらいが多い、診察料込みでこの程度ならば妥当と言えるか。中にはビタミン剤を2アンプルに増量して4000円、3アンプルならば6000円と不当に高いと思えるところもある。
 にんにく注射をすると疲れがとれるらしい。日本人の1~2割はビタミンB1で代謝がよくなる遺伝子を持っているという研究結果もあるとネットの会議室に出ていたが、真偽のほどは分からない。
 にんにく注射の効果のある程度はプラセボ(偽薬効果)によるものだろう。プラセボ効果とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。この改善は自覚症状に留まらず、客観的に測定可能な状態の改善として現われる事もある。
 にんにく注射を宣伝しているクリニックはプラセンタ注射もしているところが多いことが分かった。プラセンタ注射については稿をあらためて書くことにしよう。
 

2007年8月17日金曜日

新型インフルエンザ

インドネシア保健省は8月13日、バリ島西部ヌガラの女性(29)が鳥インフルエンザに感染して死亡したと発表した。
 国際観光地のバリ島で死者が確認されたのは初めてである。同国の累計死者は世界最多で、82人となった。これまで感染者はジャワ島とスマトラ島にほぼ集中していた。バリ島に年間に訪れる外国人は100万人以上で、日本人も約30万人が訪れる。
 インドネシアでは政府の予算不足などから鶏の処分が進まず、封じ込めのめどは立っていない。人への感染が繰り返されるうち、人から人に感染しやすいウイルスが出現する恐れがあるとして世界保健機関(WHO)などは警戒を強めている。

 どうも新型インフルエンザはインドネシアから出る可能性がある。今の鳥インフルエンザ(H5N1インフルエンザ)は97年に香港で出たものからだいぶ性質が変わっている。03~04年にベトナムやタイではやったものはClade1というグループになる。07年にインドネシアやイラクではやっているのはClade2というグループである。
 H5N1インフルエンザの症状は重いインフルエンザというよりも重い肺炎に多臓器障害を合併したもので50%以上の死亡率になっている。
 今のH5N1インフルエンザは97年に香港で出たものよりもヒトへの感染力が高まっている。鳥からヒトにまれにうつるという段階は過ぎて、ときにヒトからヒトにもうつるという段階までウイルスが変異している。
 現在ヒトのインフルエンザに使われているタミフル、リレンザの効果はH5N1インフルエンザに対しては低いようだ。またタミフルに耐性を持つものが25%くらい出る可能性がある。リレンザは耐性が出ない。またH5N1インフルエンザはヒトのインフルエンザに使う迅速診断キットで陽性になりにくい。

 今つくられているワクチンはプロトタイプワクチン(試作ワクチン)であるが、流行し始めるとこのプロトタイプワクチンを使うことになる。完成品のワクチンは流行が始まる直前あるいは直後のウイルスでつくったものになるが、できるまで6ヵ月間かかるので、最初の流行はプロトタイプワクチンとタミフル、リレンザで対処するということになる。鳥インフルエンザがヒト型に変異すると毒性が弱まるといわれているが、もし今の毒性のままヒト型に変異するとたいへんな事態になる。

2007年8月15日水曜日

セカンドライフって

最近よくセカンドライフというネット上の仮想世界のことが記事になったり、本になったりしている。
セカンドライフとは以下のようなものらしい。


 2006年末あたりから、盛り上がりを見せる「セカンドライフ」。ネット上に築かれた「仮想世界」で、世界中のユーザーがこの空間に入り、現実世界さながらの「もう一つの人生」をすごしている。
 元々は米リンデンラボという一企業が運営するサービスだが、この空間の中に名だたる大企業が次々と自社施設を作り、大物ロックバンドがライブを開催し、高級ブランドがショーを開くなど、参加者自身が“世界”を押し広げ、大変な騒ぎになっている。さらにセカンドライフ内での稼ぎだけで食べている人がいるとか、1億円以上の資産を築いた人が登場した、など景気のいい話も聞こえてくる。
ここ数カ月でセカンドライフのユーザー数は急増しており、2007年3月13日時点での総アカウント数は、全世界で約460万人。
 では、セカンドライフはいったいどんな世界なのだろうか。セカンドライフを楽しむには、専用ソフトをダウンロードする必要がある。現在ソフトはWindows、Mac、Linuxの3種類が用意されている。利用料は、もちろん無料。お金が必要になるのは、アイテムを買ったり土地を借りたりと、ドップリ仮想世界に浸った後の話。見て歩くだけなら、一切お金は必要はない。
 ソフトを起動してログインすると、仮想世界が3次元で描かれる。自分のキャラクター(アバターと呼ぶ)は前後左右に歩けるだけでなく、自由に空中を飛び回れる。また遠くに移動したいときはテレポートも可能だ。ネットでつながった仮想空間だから、まわりには自分以外にも人がいる。「チャット」を使えば近くにいる人に(文字で)話しかけることも可能だ。世界中のユーザーが集まっているので、公用語は英語。だが恐れることはない。非英語圏のユーザーも多く「スペイン人だから英語はカタコトです」などと話している光景もよく見かける。また日本人が多い地域もあり、そういう場所では日本語でも会話できる。
 セカンドライフの大きな特徴は、コンテンツの大部分はユーザーが作り出したものである、という点。巨大なお城からアバターが身に着ける小さなアクセサリーまで、すべてユーザー自身がセカンドライフ内で制作しているのだ。具体的には直方体、円柱といった数種類の単純な物体を変形し、組み合わせることで目的のものを形作っていく。さらにリンデンスクリプトと呼ばれる独自のプログラミング言語が用意されており、これを駆使すれば運転できる車や実際に遊べるスロットマシーン、雪山をすべるスノーボードなどなど、様々な「しかけ」を作ることが可能だ。 セカンドライフには「ここまでしか用意されていない」という限界がない。ユーザーのアイデア次第でいろいろなアイテムが作れる。
 セカンドライフには「リンデンドル(L$)」という通貨が用意されている。これは、仮想世界で買い物をするときに用いる。このリンデンドルの入手方法はいくつかあるが、一番シンプルなのはリンデンラボのWebサイトで購入する方法。為替レートは日によって違うが、大体1ドルで、250リンデンドル前後が手に入る。これで買えるのは、一般的な価格の洋服1~2着程度だ。リンデンドルを現金(米ドル)に換金することも可能なのがセカンドライフの特徴で、ゲーム内で稼いだお金で(現実世界で)暮らす、ということも不可能ではない。実際、セカンドライフ内で不動産開発をして、1億円(正確には100万ドル)相当の資産を築いた人までいるのは、冒頭に書いたとおり。このため、セカンドライフを金のなる木、もといビジネスチャンスととらえて意気込んで参加してくるユーザーもいるようだ。
 では、企業はセカンドライフ内でどんな活動をしているのだろうか。トヨタ、日産、マツダ、BMW、メルセデス・ベンツといった自動車メーカー、IBM、デル、AMDなどのパソコン関連、ソニーBMGや東芝EMIなどのレコード会社、ロイター、CNET、WIREDなどのメディア企業……。このほかにも、とても挙げきれないほどの企業がセカンドライフに“進出”している。しかし、現在は「企業がセカンドライフに進出!」というだけでニュースになる時期でもあり、活動内容としては模索段階といったところ。自社の商品をセカンドライフ内で作って配布・販売したり、ユニークな店舗や施設で集客する、といった内容が多い。 そんな中、IBMは、セカンドライフ内でミーティングや研修を行うなど、ビジネスツールとしての可能性を探っている。2006年11月にはCEOがセカンドライフ内で新規事業を発表するなど積極的だ。


 こういう解説を読んでもいかがわしさだけで、まったく魅力を感じない。実際に体験しないと分からない部分はあると思うが、まず体験しようという気持ちがおきない。
 どうもセカンドライフを無理やりブームにしようとしている仕掛け人がいそうだ。電通が仕掛け人ではないかとも言われている。実際にブームになっているのか。最近企業のマーケティング担当者はセカンドライフを見限り、撤退し始めたと言う。その理由の一つは、公式発表で800万人以上とされるセカンドライフのユーザがひどく誇張されたもので、多くはサインインはするもののそのまま戻ってこないということのようだ。また、仮想世界のレギュラー訪問者 (同時ログインは最大でも40000人程度)は世界内でのマーケティングに興味がないばかりか、ReebokやAmerican Apparel といった企業店舗の存在に怒り、攻撃をかけてくるという。
 ユーザーがセカンドライフで利益を上げることができるのか。1月31日時点で無料アカウントを含めた全380万アカウントのうち、利益を得ているユーザーは1万人で、現実空間でもユーザーが暮らしていくだけの利益を出しているのは数百人とのこと。最も利益を得たユーザーで1年間に10万~20万ドルほど稼ぎ出した例があったとはいうものの、まとまった利益を得ているユーザーは全体のユーザー数から見れば限りなく0に近い割合でしかないらしい。

 そもそもセカンドライフに時間を費やす人のファーストライフはどうなっているのだろう。

2007年8月14日火曜日

ブルックナーという人

ブルックナーという人は単に変人というだけではすまないものをもっていたようだ。

 コリン・ウイルソン氏はブルックナーに関して面白いことを云っている「彼は不思議なほど不幸な男で、いわゆるチャーリー・チャップリン的人間であったことがわかる。大工が椅子の上から落とすペンキ缶は決まってこういう男にふりかかるのだ」

 ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり、オルガン奏者で即興演奏の天才であり、大酒飲みであった。服装にはまったく無頓着で、左足は尖がった靴で右足は先の丸い靴を履いていたという。学校で音楽を教えていた時、授業中でも教会の鐘が鳴ると授業を中断し、その鐘がキンコンと鳴る方向にひざまずいて、お辞儀を始めるのだった。あまりにそれがひどいものだから、評判が悪くなって、女学校をクビになってしまった。

 ブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。そのため彼は曲を発表する度に書き直している。それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。
 ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。いわゆるロリコンであったといわれている。ブルックナーは生涯に何度も十代後半から二十代初めの女性に求婚しているが、1886年には21歳のマリー・デマールに求婚して断られている。この後も若い娘に求婚しては断られるということを晩年の1894年まで繰り返していた。学校で生徒の女の子に「あたしの大好きなかわいこちゃん」と気軽に呼びかけたのを、隣の女教員に告発されて大騒ぎになったこともある。演奏会で気に入った女性を見つけると必ず声をかけてしつこく住所を尋ねたり、教会の前を若い女性が通るとこれまた必ず声をかけたりした。結局彼は生涯独身を通した(独身に終わった)。
   
 1867年に数字に対するこだわりが増えて、集合したものや並んでいるものの数を数えずにはおられないという強迫症状が生じている。真珠のネックレスをした婦人が近づいてきた際に「これ以上あなたが近づくと私はその真珠の数を数えなければならない」と警告を発した。

 1881年にブルックナーの住まいの向こう側にあったリング劇場が火災にあった。この時から火災への恐怖も目立つようになったが、同時にブルックナーは、死体を見に行くという、死への異常な関心を示す行動もとっていた。ウィーンの中央墓地の移転に際してベートーヴェンの墓が掘り起こされる時、死体を一目見ようと作業に立ち会った。死刑囚の裁判をみるのが大好きで、飽きずにずっと見に行っていた。しかし、ついに最後死刑判決が出てしまうと、死刑囚のために一晩中お祈りをひたすら続けたのである。

 ブルックナーは深い信仰、謙虚さと、官能という相容れないものが同居した野人、「才能のない天才」といわれている。

2007年8月13日月曜日

脳ドック

知人が脳ドックなるものを受けて、無症候性未破裂動脈瘤が発見された。小さいのでまず半年後に検査をして変化がなければ一年ごとに検査で経過をみていくということになったそうだ。

 脳ドックというのは、外国では行われておらず日本独特のものらしい。日本の調査では無症候性未破裂脳動脈瘤全体としての破裂のリスクは年間1%前後、日本での無症候性未破裂脳動脈瘤の解頭手術成績は、全体として死亡は1%以下、後遺症は5%以下と推定されている。
 日本脳ドック学会のガイドラインでは、5mmよりも大きくて70歳以下であれば手術を勧める、とくに10mm以上のであれば強く勧める、手術しない場合は半年以内に再検査、変化がなければ1年間隔で経過観察を行うということになっている。
 98年、米国の医学誌に『10ミリ未満の動脈瘤の破裂率は0.05%』という欧米の大規模研究の結果が発表され、日本の学会で大騒ぎになったという。この論文は、日本の脳外科医から強い批判を浴びたが、03年には同じグループがより信頼性の高いデータを英医学誌『ランセット』に掲載した。そこでは、脳動脈瘤の大半を占める『前方循環系』(中大脳動脈や前大脳動脈など)の動脈瘤で、7ミリ未満のものの破裂率はゼロ、7~12ミリでも0.5%だった。その後、日本脳神経外科学会が6000例近い症例について調査を続けており、その中間報告では年間1%弱の出血が確認されている。
 もうひとつの問題として手術の後遺症の頻度がある。日本では半身不随や寝たきりなどの重い後遺症だけをカウントしているが、表情の変化や、記憶力が低下したり感情が不安定になる高次脳機能障害などは、ほとんど後遺症に数えられていないという。

 いったいどちらが正しいのであろうか、欧米の研究が正しければ日本の治療方針の根拠がなくなるばかりでなく、脳ドックそのものの存在意義が問われてしまう。そもそも今になって未破裂動脈瘤の大規模調査を行っているということは、科学的根拠がないままに脳ドックが行われ、治療が行われていたということか。
 

2007年8月12日日曜日

ブルックナー

ブルックナーの音楽は宇宙に向かってそびえたつ大伽藍と言われる。でもその大伽藍の中はからっぽで、ひとっこひとりいない。

 最初からブルックナーが嫌いだったわけではない。クラシックを聴き始めたときはよくブルックナーを聴いていた。それがいつ頃からか、面白くなくなった。音楽というよりも「音響」に感じられて、聴き始めはよいがすぐにあきてしまう、もう結構です、もう十分ですという気持ちになる。ブルックナーの曲は音楽的感情が希薄なのだ。人間が感じられないのだ。人間の喜怒哀楽がないのだ。もちろんブルックナーは人間を表現するために作曲したわけではなく神に捧げるために作曲したわけだから、音楽的感情が希薄というのは当然のことなのだが。
 ブルックナーの良さが分かるときが果たして来るだろうか。

2007年8月11日土曜日

マニア禁止のオーディオイベント

オーディオ業界の有志で構成する「my-musicstyle 実行委員会」は、CDやレコード、iPodなどに入った手持ちの楽曲を、専門家が構築したオーディオシステムで再生し、音質の違いを体験してもらう無料イベント「MY-MUSICSTYLE_VOL.2」を、2007年9月1日に東京・原宿のイベントスーペース「EX'REALM」で行う。
 iPodや携帯電話などで音楽を聴いている10~30代に「ちゃんとした音」を体験してもらうためのイベントで、「オーディオマニアは対象外」としている。高音質を追求する高級オーディオの世界は「ピュアオーディオ」と呼ばれるが、音楽そっちのけで機材やケーブルの自慢に終始するマニアの存在などもあり、一般の音楽ファンからは敬遠されがち。一方、デジタルプレーヤーや音楽配信は音楽を手軽で身近なものにしたが、その分音質が犠牲になっている面もある。
 「音楽が生活の一部だという10代~30代が多いが、安直化していく音についてはあまり話題に上らない。若い世代のオーディオ離れは旧態依然とした業界のなれの果てだと自覚し、猛省している。ちゃんとしたオーディオで音楽を聴き、目の覚めるような経験をしてほしい」(my-musicstyle 実行委員会)

 オーディオマニアというのは手段が目的になった人たちだ。音楽を聴く道具そのものを趣味にしている。本体に何千万円もかける人はもちろんのこと、それをつなぐケーブルに何百万円も使ったして自分の持っている本体の総額よりもケーブルなどの周辺機器の総額のほうが高い人さえもいる。あるいはオーディオを聴くための家を建てる人もいる。ほんのわずかの音の違いに高額を費やすのがオーディオマニアである。今のハイエンド・オーディオといわれる高級オーディオはこういう人たちを対象にしている。したがって工学製品としては不当と思われるほど価格が高い。とくに最近円安ユーロ高の影響もあって輸入製品はどんどん値上がりしている。中にはいっきに2倍になったものもある。限られたオーディオマニアからもうけだけるだけもうけようとするメーカーの姿勢には不信感をもってしまう。家族や他人に迷惑をかけなければ趣味にいくらかけようがその人の問題であるということに結局はなってしまうのだが。
 ただ、日本や米国は経済力が落ちていくのは間違いないことであり、オーディオに大金を出せる人も減っていくであろう。そうなるとハイエンド・オーディオメーカーの次の狙いは中国か?

2007年8月10日金曜日

シフォンケーキ

シフォンケーキ(英語:chiffon cake)は、スポンジケーキの一種であり、1927年にアメリカ合衆国カリフォルニア州の保険外交員ハリー・ベーカー(Harry Baker, 1884-1984)によって考案され、食感が絹織物のシフォンのように軽いことから名付けられた。ベーカーはレシピを公表しなかったが、1948年にレシピがゼネラルミルズ社に売却され、ベーキングパウダーを用いず、泡立てた卵白(メレンゲ)とサラダ油だけでその食感がもたらされていたことが明らかにされた際には、当時の常識を覆す発想として大きな反響を呼んだらしい。
 通信販売もしてくれるおいしいシフォンケーキの店を知っている。ただ、その店はケーキ屋ではない。もともとは写真スタジオなのだが、料理好きで趣味が高じてとうとうプロも顔負けのシフォンケーキをつくることができるようになったのだ。ここのシフォンケーキを食べていると何か幸せな気分になる。また食べたくなってきた、そろそろ注文しよう。

2007年8月9日木曜日

魚とメチル水銀

2002年、米国心臓協会(AHA)は心臓を保護するために少なくとも週2回、様々な種類の魚(特に脂質を多く含む魚)を摂取するように勧告を出した。魚に含まれるエイコサペンタエン酸(EPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)などそω3系多価不飽和脂肪酸に心血管リスクを低下させる作用があることが、疫学調査や臨床試験の結果、明らかになったからだ。
 冠動脈疾患および癌の既往のない40~59歳の日本人41578例を対象とし、1990~2001年の11年間における魚摂取量と冠動脈疾患発生率を検討した調査では、もっとも魚の摂取量が多い「週に8回もしくは180g/日の魚を食べていた」群では、もっとも摂取量が少ない「週に1回もしくは23g/日の魚を食べていた」群と比較して、冠動脈疾患の発生リスクが低下した。このリスクの低下は非致死性冠動脈疾患の発生率の低下によるもので、致死性冠動脈疾患発生率の低下は認められなかった。
 一方、2003年、厚生労働省は「水銀を含有する魚介類などの摂取に関する注意事項」で、妊婦および妊娠している可能性のある人を対象に、魚介類の栄養素が妊婦・胎児に与えるメリットと、魚介類に含まれるメチル水銀が胎児の発育に与えるリスクのバランスをとるために、メチル水銀含有量が高くなりやすいサメ、メカジキ、キンメダイ、クジラ類の一部について、摂取量上限値の目安を示した。
 メチル水銀は中枢神経細胞と親和性が高く、特に神経系が急速に発達する胎児期は感受性が高い。大規模なメチル水銀中毒として知られる水俣病では神経症状が多発した。厚生労働省の勧告では母親が2.0μg/kg体重/週以上摂取すると子供の言語、注意、記憶能力などに影響を与える可能性があることを指摘している。
 メチル水銀は、そのほとんどが魚介類を介してヒトの体内に取り込まれる。食物連鎖の過程で生物濃縮が起こり、上位に位置するサメやクジラ、マグロなどに比較的高濃度のメチル水銀が蓄積される。
 妊婦以外では、一般に日本人が食べている魚介類の量で成人がメチル水銀中毒を引き起こす可能性はほとんどなく、食べないことによるデメリットの方が大きいと考えられている。しかし、メチル水銀含有量が比較的高いカジキ、マグロ、キンメダイなどは食べ過ぎないほうが無難なようだ。

2007年8月7日火曜日

国外長期滞在者

アジアに長期滞在している日本人の数が26万7064人と、北米(26万3756人)を抜いて、地域別で首位に立ったことが6日、外務省の調査結果でわかった。アジアが首位になったのは、現行の形式で統計を取り始めた68年以降で初めてとのこと。調査は06年10月1日時点のもので、長期滞在者には永住者は含まれず、3カ月以上海外に滞在する人が対象となっている。地域別では、北米が01年に21万2147人で、この5年間で約5万人増えた。これに対し、中国、インドを含むアジアは01年には16万6913人だったが、5年で約10万人増えた。
 中国を筆頭にアジア経済は発展を続け北米の経済力は低下していくだろうから、今後もアジアの長期滞在者は増加する一方だろう。これまで日本はアジアで一人勝ちであり、アジアの中で生きていく必要がなかった。これからはアジアの仲間に入れてもらってアジアの一員として生きていかなければならない。こういう時代に復古主義思想の持ち主が国の指導者になっていてどうするのか。

2007年8月4日土曜日

日光

1903年、デンマークのニールス・フィンセンは尋常性狼瘡への光線治療法によりノーベル生理・医学賞を受賞した。フィンセンによって確立した日光療法は結核、ホジキン病、梅毒、化膿などの治療法として使われた。そして日光が皮膚でビタミンDの形成を誘発することが判明し日光浴が世間に浸透した。しかし感染症に対する日光療法は抗生物質の到来により使われなくなり、彼の科学的な研究の大部分は今日忘れ去られている。
 私が子供の頃は日光浴は健康に良いとされていた。だが、今では逆である。日光の紫外線によりコラーゲンとエラスチンの分子が壊され皮膚にしわができるというだけでなく、白内障にもなりやすく免疫力も低下する。一番の問題は紫外線によってDNAの分子が破壊され、あるいはDNAを傷つけるフリーラジカルが発生し、皮膚がんができやすくなるということだ。
 今は日光から皮膚を守るために長袖を着てつば広の帽子をかぶり、また眼を守るため色が薄く紫外線カット率の高いサングラスをかけるのが健康に良いということになった。しかし、日光にはビタミンDを活性化する作用と、脳の活動を引き起こし体内時計の調節を行うという作用があり、まったく日光に当たらないのも健康に悪い。意識的に日焼けする日光浴は危険な行為であるが、朝起きて日光に当たるのは必要なことである。

2007年8月3日金曜日

アファナシエフの演奏の遅さ

ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev, 1947年9月8日 - )はロシア出身のピアニスト、詩人・作家。近年は指揮者としての活動にも取り組み出している。異才、鬼才、思索するピアニストなどと呼ばれてその個性を讃えるファンもあるが、眠気を強いるピアニストと酷評されることもある。

モスクワ生まれ。モスクワ音楽院にてエミール・ギレリスとヤコフ・ザークにピアノを師事。1969年にライプツィヒ・バッハ国際コンクールならびに、1972年にブリュッセルで行われたエリザベト王妃国際コンクールにおいて入賞。ベルギーで演奏旅行を終えた後、西側への政治亡命を決断し、現在はベルギー国籍を取得している。

現在はヴェルサイユに暮らし、音楽活動のかたわら、フランス語で詩作や小説の執筆にも取り組んでいる。リサイタルではさまざまなパフォーマンスを行うこと、とりわけ、自作の詩や哲学的なエッセイを朗読することで有名である。

ムソルグスキーの<展覧会の絵>のようなお国ものもレパートリーに入っているが、世界的にはベートーヴェンやシューベルトのソナタ、ブラームスの後期小品集のように、ドイツ・ロマン派のピアノ曲の中でも、わりあい渋めのレパートリーと、その独特な解釈ゆえに有名である。

以上はwikipediaからの抜粋であるが、アファナシエフの演奏は遅い、あまりにも遅い。アファナシエフのリズムに合う人からは熱烈に支持されるのだろうが、私はだめだ。ベートーヴェンもシューベルトもショパンもだめだった。歳をとるにつれて体内時計が遅くなるので、その内アファナシエフの良さが分かるときが来るのかもしれない。それを楽しみにしておこう。