2008年12月31日水曜日

12月31日

 明日からは新しい年に変わる。

 今年は私の仕事も不況の影響を受け、前年度割れが続いている。世界経済は来年はもっと深刻な不況になると予想されている。経済状況は仕方がないとしても、それ以外では良い年になってもらいたい。

 今、クレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団・合唱団によるベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴きながら書いている。
 正月休みに読むために積んでいる本は、副島隆彦と佐藤優の「暴走する国家・恐慌化する世界」、コリン・デクスターの「死者たちの礼拝」、R.D.ウィングフィールドの「フロスト日和」、D.M.ディヴァインの「ウォリス家の殺人」、ジェイムズ・クラムリーの「酔いどれの誇り」、P.D.ジェイムズの「女には向かない職業」、イーデン・フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」、ウイリアム・アイリッシュの「幻の女」、ルース・レンデルの「無慈悲な鴉」、レジナルド・ヒルの「殺人のすすめ」であるが、全部は読めないだろうな。

 紅白歌合戦は見ないので、今夜はベートーヴェン以外の第九交響曲を聴くことにするか、シューベルトとかマーラーとかドヴォルザークとかショスタコーヴィチとか。

 

 

2008年12月21日日曜日

ベートーヴェンの三重協奏曲


 ベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲、これは室内楽の構成にオーケストラがからんでくるということでよく分からなかったのだが、持っているCD、チョン・キョンファ、チョン・ミョンファ、チョン ・ミョンフンのチョン兄弟とフィルハーモニア管弦楽団(指揮はチョン・ミョンフンの弾き振り)をじっくり聴いてみた。

 そうするとこの曲の面白さが分かってきた。先日のコンサートは元々音響の良いホールではなく、席も2階の端っこに近い席ということもあってバランスの悪い音に聴こえたのかも知れない。このCDはその点、なかなか良い録音である。そういう音響の問題を差し引いてもフィルハーモニア管弦楽団の方がシモン・ボリバル・ユース・オーケストラよりも技術的には上である。
 ヴァイオリンとチェロはカプソン兄弟よりもチョン兄弟の方が良い、まあ世界のトップヴァオリニストの一人であるチョン・キョンファと比べたらルノー・カプソンに気の毒ではある。ピアノはピアニスト出身の指揮者チョン・ミョンフンとバリバリのピアニストのアルゲリッチを比較するわけにはいかないだろう。でもチョン・ミョンフンのピアノもうまい。

 このCDは名盤だと思う。

2008年12月19日金曜日

ドゥダメルとアルゲリッチ

 ベネズエラでホセ・アントニオ・アブレウという人が「子供を犯罪から救い、善良な市民に育成し、社会の発展に寄与する。この目的を達成するための最良の手段は音楽、しかもオーケストラのクラシック音楽である」との信念のもとに子供に無償で楽器と指導を提供する全国青少年交響楽団システム財団を設立した。1975年に11人の子供からスタートしたこの活動は現在、人口2600万人のベネズエラに、全国30カ所、約130のユース・オーケストラ、約60の子どもオーケストラがあり、26万5000人の子どもたちがクラシック音楽に参加するまでになった。

 そのオーケストラの頂点に立つのが10代後半から20代前半の200名で構成されたシモン・ボリバル・ユース・オーケストラであり、頂点に立つ音楽家が1981年生まれの若き指揮者グスターボ・ドゥダメルである。 ドゥダメルは第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝し、クラウディオ・アバドやサイモン・ラトル等から評価され、一躍注目を浴びる存在となった。2007年には、ローマ教皇ベネディクト16世の80歳を記念する公演でのドヴォルザークの「新世界より」が、全ヨーロッパにテレビで生中継された。

 そのドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラに世界一有名なピアニストと言ってもよいマルタ・アルゲリッチが加わってのコンサートが今夜あった。
 第一部はピアノがアルゲリッチ、ヴァイオリンとチェロがカプソン兄弟でのベートーヴェンの三重協奏曲が演奏された。実は私はこの曲がよく分からないのである。だからソリストたちがきれいな音を出しているなとは思っても感動というわけにはいかなかった。
 第二部はマーラーの交響曲1番であった。実はこの曲は第3楽章以外は好きでない。しかし、若さが爆発するような演奏で、多くの聴衆がスタンディング・オベーションを送っていた。

 しかし、彼らの真骨頂はアンコールにあったのだ。こんなに楽しいアンコールは初めての経験だ。アンコールの1曲目はラテン・ムード満点の何度も聴いたことがある曲だが、誰のどういう曲か思い出せなかった。2曲目も聴いたことがある。この2曲の演奏は体を大きく動かし、楽器を回したり、2曲目に至っては客席まで降りて来て演奏した。これは彼らにしかできない演奏だろう。どちらも南米の作曲家によるものだと思ったが、半分違っていた。帰り際に見た張り紙でアンコールの第1曲目はバーンスタインのウェストサイドストーリーの「マンボ」だった。2曲目はヒナステラの曲でこちらはアルゼンチンの作曲家である。
 場内騒然となったところで、最後のおごそかな曲。この3曲目は歌詞さえなければノー・プロブレムであり、この曲が演奏されると終了だと分かる曲であった(ヒントNHK)。

2008年12月18日木曜日

アーチー・グッドウィンとリリー・ローワン

 レックス・スタウトの「ネロ・ウルフ」シリーズは謎解きの面白さよりも物語の語り口の面白さで読ませるミステリ小説である。

 ネロ・ウルフは120kgもある巨漢のニューヨークの私立探偵で蘭の栽培と美食を趣味とし、事務所兼自宅のビルからめったに外出しない。必要に応じて下請けの探偵を雇って情報を収集し、事件を解決する。

 彼の秘書兼用心棒兼探偵助手兼オフィスマネージャーであるアーチー・グッドウィンが物語の語り手である。変人のウルフよりも、明るく才気煥発のアーチーのファンの方が圧倒的に多いだろうと思う。

 そのアーチーの恋人が富豪の娘のリリー・ローワンである。アーチーとリリーが初めて出会ったのが「シーザーの埋葬」事件であり、今日この本を読み終えたところだ。以前読んだ本ではアーチーがリリーに甘えているような印象を受け、リリーの方が年上なのかと思っていたが実際は若い女性であった。
 この本の中で、牧場で牛に追われたウルフとアーチーを車の二人連れの女性が助けてくれ、その一人であるリリーがアーチーに言った最初の言葉が「いらっしゃい、エスカミリオ」だった。富豪の娘のリリーがエスカミリオを知っているのは当然かも知れないが、そのユーモアを解したアーチーも、おそらくメトロポリタン歌劇場で「カルメン」を観たことがあるのだろう。

 エスカミリオはオペラ「カルメン」の中に出てくる闘牛士である。純朴なホセを誘惑したカルメンはエスカミリオに心変わりし、ホセを捨ててしまう。ホセはストーカーになり、最後にカルメンに復縁をせまり、断られてカルメンを刺し殺してしまう。

 エスカミリオと呼びかけたリリーは奔放な女性「カルメン」ということになるのだろう。この本の中でリリーの知人の女性は彼女のことを「彼女はヴァンパイアなのよ。危険な女だわ」と言っており、リリーに捨てられた男の父親で地方の名士は「あれは色情狂だ......あの女は呪わしい淫売だ」とぼろくそに貶している。リリーは奔放ではあっても言われているような悪女ではない。リリーに言い寄られたアーチーも最初は警戒して適当にいなしていたが、徐々に彼女に惹かれていき、今後の付き合いが始まっていく。

2008年12月16日火曜日

「市民オペラ」考

 私が市民オペラに対して持っていた偏見とは「学芸会」ということである。ところが最初に観た市民オペラがプロを交えてのりっぱなできのオペラであったために、その偏見を改めたのだったが、先日の2回目になる観劇でその偏見が裏付けられてしまった。
 オペラは言うまでもなく総合芸術であり、歌とオーケストラによる演奏の音楽の部分と演出という部分で構成されている。演出家、歌手、指揮者・オーケストラはそれぞれが重要である。

 先日の経験だけで市民オペラを語る危険性は承知の上で、論じてみたい。

 市民オペラは歌手の部分に偏りすぎているのではないか。先日の公演でも、主役の歌手が演出家も兼ねていた。これでは陳腐な演出しかできないだろう。またオーケストラが軽視されているのではないか。通常のオペラではまず、指揮者が観客の拍手を受けて登場し、序曲が始まり幕が開くわけだが、先日の市民オペラでは指揮者の姿が見えないまま音楽が始まった。いくら歌手が良くてもオーケストラの演奏が悪いと良いオペラにはならない。良い演奏のためには指揮者の役割が重要である。

 市民オペラは歌いたい人たちが主であり、その他は従なのであろう。その歌手も先日の公演では、やはりアマチュアの域を出るものではなかった。結局自己満足のための公演ということだ。観客もほとんどが親類縁者や知人友人なのだろう。それならそれでよいが、それで料金を5500円もとってはいけない。無料にしろとまでは言わないがせいぜい3000円だろう。
 もしオペラを知らない人が先日のような公演を観ると、オペラ嫌いになってしまうと思う。

2008年12月14日日曜日

市民オペラ・ルサルカ

 前回市民オペラを初めて観て、それまで偏見を持っていたことを反省したわけだが、今回は偏見通りのステージだった。
 前回が特別だったのだと思う。市内に市民オペラは4団体あるらしいが、前回はその4団体をまとめるオペラ・音楽推進委員会が主催で、イタリアからプロのオペラ指揮者を招聘し、オーケストラもプロのオケだったが、今回はオペラ団体独自の公演だった。
 ルサルカはドヴォルザークが作曲したオペラだが、それの日本語訳による上演ということで、危惧はしていた。オケの最初の音を聴いて、これはだめだと思った。演出も良くない。日本語で歌うのに、金髪のカツラをかぶらなくてもいいじゃないか。そもそも演出家が主役の歌手も兼ねるってありか?
 というわけで途中で退席しました。

2008年12月13日土曜日

ギターリサイタル

 今夜、ゲストに大萩康司を迎えての福田進一ギターリサイタルに行った。
 私はギターのCDは数枚しか持っておらず、ギター音楽の良い聴き手ではない。アランフェス協奏曲はコンサートで聴いたことがあり、ギターとオーケストラではそもそも無理があると思ったことがある。今回は550席の比較的小さなホールなので音はよく聞こえ、とてもきれいな音だった。ピアノリサイタルではオーケストラのコンサートに比べてはるかに女性が多い(しかも若い女性が多い)。ギターリサイタルでは男性が多いのかと思ったが、半々だった。隣の初老の女性は連れに明日もギターリサイタルに行くと話していた。きっと学生時代にギター部に入っていたのだろうな。
 このコンサートでは珍しいことが起こった。福田さんが演奏前に難曲ですと話したショパンのノクターンop9-2(パガニーニがバイオリンに編曲したものをタレガがギター用に編曲)の演奏に2回も失敗し、結局アンコールのときに楽譜を見ながら演奏しますということになった。音だけを聴くと、まったりとして、素人には難曲とは思えないが、指の動きを見ていると確かに難しい動きをしており、難曲だということがはっきり分かる。こういうのはCDでは分からないことだ。
 だけど、ギター用に編曲した曲よりも最初からギター用に作曲した曲の方が良い。バッハのシャコンヌはバイオリンで聴いた方が良いし、ショパンはピアノで聴いた方が良い。
 ギターリサイタルもほんのりした感じでなかなか良いものだと分かった。

2008年12月6日土曜日

幸福は感染する

 食品安全情報blogでの情報では、次のような内容の論文が権威ある医学雑誌BMJ(British Medical Journal)に掲載されたらしい。


 Framingham Heart Studyでは、21-70才の5124人の人生と健康について1971年から2003年までフォローした。参加者の血縁や友人、近所の人、一緒に働く人などの社会関係と精神衛生に関するデータから、幸せな人のそばにいると幸せになる可能性が高いことを見いだした。さらに幸福が感染するには物理的に近いことが重要である。
 Dynamic spread of happiness in a large social network: longitudinal analysis over 20years in the Framingham Heart Study
BMJ 2008;337:a2338
James H Fowler and Nicholas A Christakis


 確かに、いつも不満ばかり言っている人と接するといい気分はしないし、いつも感謝の気持ちを持っている人と接するとこちらの気持ちも良くなる。当たり前のようなことだが、家族を幸せにするためには、いやなことやつらいことがあっても前向きな気持ちでいることが大切なのだな。

2008年12月4日木曜日

沢田研二の「我が窮状」

 沢田研二ももう還暦を迎えた。その彼が憲法九条を讃える歌を自ら作詞して歌っているという。曲はまだ聴いたことがないが、歌詞は次のとおり。

「我が窮状」(1番のみ)
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

 沢田研二を見直しました。

2008年11月27日木曜日

赤面総理

 漫画ばかり読んで、ちゃんとした本を読んでいないと漢字を読み間違って恥をかくという反面教師を務めたのが総理大臣というのは、なんとも情けないことである。しかし現総理は国内に恥をさらしただけである。
 しかし、この人は違う。


 この人は、最低の大統領の一人に数えられることが確実なブッシュ氏の歓心を買うために、プレスリーのものまねをして、国際的に恥をさらした。

2008年11月16日日曜日

マタンゴ



 新聞の科学欄でキノコは植物よりも動物に近いという記事を読んで、子供のときに観た映画「マタンゴ」を思い出した。「マタンゴ」は1963年公開されたホラー映画である。7人の若者が乗った豪華ヨット「あほうどり号」が遭難し、無人島に流れ着く。しかし、そこはキノコを食べるとキノコ人間「マタンゴ」になってしまうという恐怖の島だった。同時上映作品はヨットレースに興じる若者の青春を明るく描いた「ハワイの若大将」であった。

 今調べてみると、この映画はなかなか深い映画であったようだ。英国の作家、ウィリアム・H・ホジスンの「夜の声」という小説が原作とのこと。この映画は食料を奪い合ったり、女性を巡って争ったり、理性的に協力しようと見せかけて自分だけ助かろうとしたりする、そんな自分だけしか考えない恐い人間たちを描いた作品だったらしい。

 子供のときはただ怖いだけで、人間のエゴを描いた映画であるとは分からなかった。

2008年11月13日木曜日

最近の「新型インフルエンザ」情報

 これまでは新型インフルエンザに変化するのはH5N1型と言われていた。それが最近はH5N1型が新型インフルエンザになる可能性は低い、H2やH7、H9の方が可能性が高いのではないかとの意見が強くなっているらしい。
 H5N1は高病原性であり致死率が高いため、これが新型インフルエンザになれば、日本では最悪の場合、第2次世界大戦の犠牲者を上回る死者が出るという見方もあった。病原性の低いウイルスが新型インフルエンザになるのであれば、一安心である。

 H5N1から作られたプレパンデミックワクチンはどうやら接種する必要はなさそうだ。日本のプレパンデミックワクチンは全粒子ワクチンといって、不活化したウイルスが丸ごと含まれていて、副作用が強いらしい。スプリット型というウイルス原株から必要なタンパク質だけを抽出したワクチンの方が安全性が高い。

 また抗原原罪説というのがある。プレパンデミックワクチンに使われているH5N1株のひとつにベトナム株があるが、ベトナム株で免疫を獲得した場合、新型インフルエンザがH5N1でベトナム株に近い抗原性だと、新型インフルエンザのワクチンを接種した場合ブースター効果が期待できるが、大幅に変異していればワクチンを接種してもベトナム株に対する抗体のみが上昇して、肝心の新型インフルエンザに対する抗体が上昇しないといったことがおこり、プレパンデミックワクチンを接種したことがマイナスに働く危険性があるらしい。

2008年11月9日日曜日

市民オペラ


 私の住んでいるところは市民オペラが盛んな都市だと聞いていたが、これまで観たことはなかった。今日、市民オペラの「ドン・ジョバンニ」を観て来た。「ドン・ジョバンニ」自体は好きなオペラで、地獄からの死者から求められた懺悔を敢然と拒否して、地獄に落ちてしまう悪のヒーローぶりが良い。
 市民オペラといってもイタリアからMaurizio ARENAというオペラ指揮者を招聘して公演を行うのだから、なかなか本格的である。この指揮者のことはまったく知らなかったが、HMVで調べるとちゃんと指揮したオペラのCDも出ているので、オペラの世界では知られた人なのだろう。
 演出も良かったと思う。歌手の中ではレポレッロ役の人が良いと思ったが、パンフレットでみるとソウル在住のSHIN Gumhoという人だった。カーテンコールでもこの人への拍手が一番多かった。
 これまで市民オペラというものを軽視していたが、認識を改めることになった。これからはちょくちょく観にいこう、なにしろ料金が安いからね。

2008年10月30日木曜日

経済危機プラス1

 今の金融危機の後、深刻な不況が来ると言われている。米国経済の復活までは早くて5年遅くて10年かかるそうだ。

 田原総一郎氏などは世界恐慌の状態だと言っているが、彼は政治評論家ではあっても経済は専門外だ。経済専門家の中で世界恐慌の状態だと言っている人はまだいないと思う。だがこの不況に何か加わると本当に世界恐慌になるかも知れない。そのプラス1は新型インフルエンザであってもおかしくない。

 新型インフルエンザは今後数年間の内に必ず出現すると、インフルエンザの専門家は言っている。高病原性の新型インフルエンザのパンデミックが起こると、かなりの犠牲者が出る。日本では第2次世界大戦の犠牲者数を上回る可能性もあると言われている。そしてそれは当然世界経済に大きな打撃を与えることになる。世界恐慌になるだろう。

 専門家の予想がはずれて高病原性の新型インフルエンザが発生しないことを祈るしかない。

2008年10月24日金曜日

コバケン2

 昨日の小林研一郎のコンサートで、楽章の始まりと終わりにいちいち楽団員に向かってお辞儀をし、またアンコールの前に聴衆へのお礼とともに「東京都交響楽団の音に私は大変感動しました」と言う姿をみて、謙虚な人だなと思った。この人は「炎のコバケン」と呼ばれているということは知っていたので、もっと過激な人かと思っていた。

 小林研一郎という人をもっと知ろうと思い、wikipediaや彼のホームページを見た。ホームページには「炎のコバケン・小林研一郎」と出ていた。むむ、「炎のコバケン」は自称だったのか。

 wikipediaには次のような少し意地の悪い記事が載っていた。
 小林が指揮する演奏会では、終演時に客席に話しかけて挨拶をすることがしばしばある。外国のオーケストラの日本公演では、「皆様お立ちになって拍手をお願いします」と言うこともあるが、日本語のわからない外国人にとってはスタンディングオベーションが自然に起きたように見え、「コバヤシの人気は凄い」と尊敬を集める結果となっている 。

 どうも昨日のコンサートの時に思った「謙虚な人」というイメージと合わないぞ。うーむ、自己演出に長けた人なのか。

2008年10月23日木曜日

コバケン

 今夜、コバケンこと指揮者小林研一郎と東京都交響楽団の演奏を聴いてきた。

 チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーゲン」の中の「ポロネーズ」、ピアニストに小川典子を迎えてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そしてチャイコフスキーの交響曲第5番、アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第1番というプログラムだった。

 私にとってラフマニノフの協奏曲や交響曲はどうも曲の流れがつかめず、全体像がよく分からない。今日の午後は時間があったので、CDでピアノ協奏曲2番を聴いたが、ロアルド・ダールの短編集「あなたに似た人」を読みながら聴いたので結局予習にならなかった。コンサートではピアノを弾きまくる小川典子さんは印象に残ったが、やっぱりよく分からない曲だなあ。

 チャイコフスキーの5番は分かりやすい曲である。しかし、私はチャイコフスキーの大げさなところが少々にがてなのである。この曲は最後がおおいに盛り上がって終わる。CDで聴くとわざとらしいと思うのだが、今日のコンサートでの盛り上がりには、さすがに感動した。でもこれでこの曲が好きになったかというと、やっぱりあまり好きではない。 

2008年10月19日日曜日

近視手術

 私は強い近視である。昨日近視手術が可能かどうか検査を受けた。

 その結果、角膜がうすく(500μmだったか)、近視が強いためレーザーで削る角膜の量が多くなるため、残る角膜がかなりうすくなる。手術そのものは可能であるが、1回の手術で目標とする視力が得られなかった場合、通常は追加手術するが、その追加手術ができないので、すすめられないということだった。

 年齢相応の軽い白内障があるので、将来白内障手術を受けるとき、現在はまだ普及していないが、多焦点眼内レンズというのを入れてもらえば、コンタクトレンズや眼鏡をふだんは使わずにすむようになるので、その方法が一番良いだろうと言われた。

2008年10月13日月曜日

抗インフルエンザ薬の備蓄

 以下のような報道があった。
 新型インフルエンザ対策として独自の取り組みを進める東京都は、年内にも抗インフルエンザ薬400万人分の備蓄を完了する見通しだ。タミフル耐性ウイルスの出現に備え、リスク分散を図るためにリレンザを200万人分、タミフルを200万人分とする。最終的には、都の人口の6割分を目指している。

 我が家ではリレンザ14人分、タミフル14人分、N95マスク40枚を備蓄している。これは家族と従業員用である。家族・従業員は新型インフルエンザ流行時に発熱があれば、ただちに抗インフルエンザ薬を使用する。インフルエンザ以外の発熱であっても、抗インフルエンザ薬は効かないというだけで悪い結果をもたらすわけではない。経験的にインフルエンザの迅速診断キットで陽性となるのは最短で発熱後5~6時間以上経ってからであり、通常は10時間くらい経たないと正確な診断ができない。待つよりもまず抗インフルエンザ薬を使う方が安全であろう。早期に使えば、重症化せずに治り、感染中断免疫ができ、そのシーズンはもう感染することはないだろう。
 家族・従業員用に2回の発熱に対処できるようにして、残りを私が予防的に使う。予防は治療量の半分なので、毎日使って80日分くらいになる。新型インフルエンザ用ワクチン接種が可能になるまで、予防使用を続けることができれば一番よいのだが、その場合は薬を1年分くらい用意しなければならなくなり、今の時点では躊躇する。新型インフルエンザ発生のニュースを聞けば、直ちに充分と思われる量を注文しようと思うが、その時にはすでに注文が殺到し、こちらがほしいだけの量は確保できないだろうなあ。半年くらいでワクチン接種が可能になれば良いのだが。

2008年10月12日日曜日

時は残酷だなと思いました

 アンジェラ・ゲオルギューは1965年生まれだから、今年43歳ということになる。

 ゲオルギューは94年にコヴェント・ガーデンで「椿姫」のヴィオレッタを歌い、このとき英国の新聞は「天使が舞い降りた」と評し、絶賛を浴びた。この公演はDVDになっており、私も観て泣いた。涙が流れるというのではなく、嗚咽が漏れるという状態になってしまった。本当にあのときの29歳のゲオルギューは可憐で美しかった。

 昨日、今年の4月のメトロポリタン歌劇場での「ラ・ボエーム」のミミを歌ったゲオルギューのDVDを観たが、一幕の途中でつらくなって観るのをやめた。ゲオルギューの美しさも時の流れには勝てないというか、時の流れ以上に老けてしまったという感じがする。これが実際のステージならば顔ははっきり見えないので問題はないのだろうが、DVDではアップで写るのでごまかしようがない。

2008年9月25日木曜日

驕るな、爆笑問題

 「爆笑問題」の太田夫妻と田中氏の3人が橋下知事との個人的なつながりから大阪府に1000万円を寄付したという。

 「爆笑問題」は人気者であり、儲けているのは誰でも分かっているが、こうあからさまに見せつけられると良い気分はしない。言うまでもないことだが、「爆笑問題」が蓄財できたのも全国のファンのおかげだろう。それが知事との交友関係で全国の自治体の中で大阪府だけに寄付する。これがたとえば「国境なき医師団」に寄付したというなら、えらいじゃないかと思うところだが、なんで大阪府だけに寄付するの。大阪府よりも困っている自治体はまだあるだろう。

 橋下知事と交友関係があるというだけで、ぽんと1000万円出してしまうというのは「爆笑問題」の驕りではないのか。

 「爆笑問題」の終わりの始まりかも知れないぞ。

2008年9月23日火曜日

ラビ・バトラ

 日本はひどい不況に入りかけているが、さらに追い討ちをかけるように米国の金融危機が発生した。

 サブプライムローンによる米国の金融危機を予測していた人は少なくないようだが、30年前に予測したラビ・バトラという人がいる。

 ラバ・バトラはインド生まれの経済学者で、現在米国のサザン・メソジスト大学の教授である。この人は瞑想によって未来の「予測」を獲得するという。かつてイグノーベル賞も受賞している。これだけ聞くといわゆる「トンデモ」系の学者ではないかと思ってしまう。

 だが、ラバ・バトラは世界の貧困をなくすことを目標としており、弱肉強食でマネーゲームと化し、大きな経済格差を有む現在の米国型の資本主義を厳しく批判している。こういう点では共感できる。
 これまで、イラン革命やイラン・イラク戦争などの予測を的中させているが、もっともとんでもない予測は1978年に発表した2000年までに共産主義は崩壊し、2010年前後までに資本主義も崩壊するという予測であろう。しかし共産主義の崩壊はソ連の崩壊ということで的中した。そして資本主義の崩壊も今の米国をみていると的中するかも知れない。もっとも彼のいう資本主義は現在の米国型の資本主義のようで、1950年から1975年頃までの日本の資本主義は健全だとして評価している。

 共産主義も資本主義も崩壊したらいったいどうなるのかということになるが、彼は資本主義と社会主義のいいところを組み合わせた「経済民主主義政策」という経済システムが日本から生まれるとしている。その「経済民主主義政策」の目標は1.高い賃金、2.低い税金、3.広くて安い持ち家、4.適正な物価、5.充実した福祉、6.継続性のある環境保護ということだそうだ。

 しかし、彼が理想とする経済システムは「経済民主主義政策」という造語を持ち出さなくても、「社会民主主義」ということでよいのではないだろうか。米国型資本主義の崩壊は当たるかも知れないが、日本から理想的な経済システムが生まれるという予測は当たるとは思えない。ラビ・バトラは理想主義者で共鳴できる点もあるが、やはり「トンデモ」系の学者のようだ。

 それにしても米国は今後どうなるのか、米国は製造業を放棄して、金融で儲ける国になっている。その金融がだめになれば、ただの農業国家である。数十年先にはブラジルに追いつかれて、アメリカと言えば南米諸国を指すようになるのかも知れない。

2008年9月20日土曜日

マノン

 マノンは、カルメンやルルのような男を破滅させる悪女だと思っていた。
 カルメンは強い性格の持ち主である。ルルは常に何かに怯えている神経症的な女だが、したたかに生きようとしている(殺人を犯してでも)。
 だが、マノンは強い女ではない。男を虜にするという点では他の二人と同じだが、思慮が足りなく、享楽的な生活が好きなだけの悪女とは言えない弱い女である。三人とも悲劇的な最後を遂げる。
 カルメンはあくまでも強く自分の意思を貫き、殺される。ルルはロンドンまで逃げのびて、切り裂きジャックに殺される。マノンはボロボロになって病死する。三人の中で一番哀れな最後である。

 ネトレプコの「マノン」のDVDを観たが、美しく着飾っているネトレプコよりも、最後のやつれ果てて汚い衣装をまとったネトレプコの方が魅力的であった。

2008年9月15日月曜日

木曜日だった男

 これは寓話なのだろう。

 作者のG.K.チェスタトン(1874-1936)は推理小説の「ブラウン神父」シリーズで有名である。チェスタトンは真摯なカトリック教徒であり、「分配主義」という思想を抱いていたらしい。「分配主義」とは、国家の財産と土地を人民に平等に分配し、自由な小農民、商店主、職人などが地産地消の社会を営むことを理想とする考えだとのこと。

 「ブラウン神父」は推理小説の形式で作者の世界観を語っている小説であり、娯楽小説としての推理小説とは異なっている。だから、やや難解である。彼の「詩人と狂人たち」も同様の小説であるが、さらに難解で読み通すのが少々つらいところがあった。

 「木曜日だった男」は無政府主義者の秘密結社に刑事がスパイとして潜入し、中央委員に選出される。その中央委員会は7人で構成され、それぞれ曜日で呼ばれる。議長は日曜日であり、主人公の刑事は木曜日と呼ばれる。
 読み始める前は難解な小説ではないかと警戒したが、平易で文章であり、ユーモラスな明るさもあり、すらすらテンポ良く読めた。きっと結末は無政府主義者の秘密結社ではなく、何かの無害な組織だったということになるのだろうと思った。
 主人公は彼らが計画している暗殺計画を阻止するために行動し、その過程で中央委員会のメンバーが次々に警察のスパイであることが分かる。とうとう日曜日以外はすべてスパイだったということが分かるのだが、そのあたりからこの小説は徐々にリアルさを失い、ドタバタ調の追跡劇になる。追跡していた刑事たちが追跡されて逃げ回る。そして、今度は刑事たちが日曜日を追いかける。日曜日の追跡になると、もう完全に現実の世界でなくなる。最後は日曜日の屋敷での仮装舞踏会だが、日曜日が何者であるかは分からないまま終わる。

 文庫本の帯には「探偵小説にして黙示録」とあるが、この小説は「黙示録」かも知れないが「探偵小説」ではない。

2008年8月25日月曜日

どうしてツェッペリンだったのか

 北京オリンピックの閉会式で、次回のロンドンオリンピックの宣伝にレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが出演し、"whole lotta love" を演奏した。なぜ、ビートルズでなくツェッペリンなのだろう。ジミー・ペイジといっても知らない人の方がはるかに多いだろう。ふつうに考えればポール・マッカートニーが出演し、ビートルズの曲を演奏するべきだろう。調べてみるとポール・マッカートニーが出演できない理由が分かった。

 ポール・マッカートニーはベジタリアンであり環境保護活動家として精力的に活動している。捕鯨に対しても、「日本人は人間の友達を食べる!」と非難したことがある。カナダのアザラシ猟に対しても反対を表明している。
 2005年に中国で犬猫が虐殺されているということで、「私はこんな野蛮な中華人民共和国では演奏しない、2008年の北京オリンピックを無視しよう、中華人民共和国製品の不買をしよう」とファンに共闘を求めたということだ。

 ビートルズの次ならば、ローリング・ストーンズということになるが、ストーンズはイメージ的にオリンピックとは合わない。そこでツェッペリンということになったのだろう。
 それにしても、ジミー・ペイジはすっかり白髪になってしまって、もうおじいさんだなあ。

2008年8月14日木曜日

アーバン経営破綻

 大学時代の友人で金融機関出身者がいるが、彼はアーバン・コーポレーションの経営陣を個人的に知っていた。10年ほど前に、その友人はアーバンの経営陣の能力からして、その内大失敗をするだろうと言った。
 その後アーバンはどんどん大きくなっていき、一部上場もした。友人の予言ははずれたなと思っていたが、8月13日アーバン・コーポレーションは民事再生法を申請し、高転びに転んでしまった。
 今回のことでその友人を見直した、なかなかできる人だったんだな。

2008年8月11日月曜日

加油

 北京オリンピックが行われている。元々、私はスポーツにはあまり興味がない。しかし、柔道の平岡選手の祖父と昔仕事で付き合いがあったので、平岡選手の試合を観た。しかしメダルを期待されながら初戦敗退という何とも残念な結果であった。
 オリンピック前は平岡選手の祖父が役員をしている零細企業団体の機関紙にも一面トップで取り上げられていたが、こういう結果になるとつらいなあ。もちろん、本人が一番つらいわけだが、家族も、まわりのひともつらい。
 4年後の雪辱をめざして、「加油」

2008年8月10日日曜日

新型インフルエンザに対する感染中断免疫

 感染中断免疫(Aborted-Infection Immunity)という考え方は、米国が新型インフルエンザのパンデミック時に予防的にタミフルを内服するという方針を出したことに対する反対意見として出てきたという。
 インフルエンザが限定的に感染している現状ならば、発症者周辺の人間にタミフルを内服させて感染拡大を防ぐのは合理的だが、ひとたびパンデミックが起きてしまい大量の感染者が出た場合、多くの人が抗ウイルス剤を予防内服すれば、抗ウイルス剤の在庫はすぐになくなってしまう。
 感染中断免疫の基本的な考え方は単純で、ワクチンがない場合は、免疫獲得には一度その病気に罹患する必要があるが、重症化して死んでしまっては意味がない。そこで、新型インフルエンザにかかり、熱が出たらすぐにタミフルなどの抗ウイルス剤で治療を開始する。発熱症状が出てから数時間の間に治療を開始すれば症状は軽くて済むし、回復後は免疫も獲得できるということだ。
 パンデミックワクチンは新しい手法による製造では最短二ヶ月で作ることができるそうだ。それができるまで、ライフラインにかかわる人にだけに予防投与し、それ以外の人はパンデミック時に熱が出ればすぐにタミフルなどの抗ウイルス薬を使用するということがもっとも良いのかもしれない。ただ、そのためには今あるインフルエンザの薬のタミフルとリレンザを市販薬にして、誰でもすぐに入手できるようする必要がある。

2008年8月6日水曜日

先生、見られていますよ

 近所にお父さんと娘さんとそのご主人の3人の歯科医でやっている医院がある。
 ある早朝、外がうるさいので娘さんが窓からのぞくと、隣のコインパーキングで男女がもめていた。女性は「私をだましたのね」とすごい剣幕で男性に向かっていき、男は必死で逃げようとしていた。男はとうとうその駐車場の飲料水の自動販売機の横にあったゴミ箱をつかんで、それを振り回してやっと女性から逃げ出した。

 その男は歯科医院の近くの眼科医だった。ふつうに見るととても女性にもてるとは思えない先生なのだが、女性に対してまめなのでしょうね。

2008年7月26日土曜日

消費者態度指数

 私は自営業であるが、比較的景気の変動の影響を受けにくい業種である。しかし、この6月からぱったり客足が遠のいている。私のところだけでなく同業者はみな同じような状況のようだ。

 消費者態度指数というのがある。これは今後半年間における消費者の意識を表す指標である。「暮らし向き」、「収入の増え方」、「雇用環境」、「耐久消費財の買い時判断」などについて今後半年間にどう変化するのか、消費者の考え(意識)を調査したものである。「良くなる(1点)」、「やや良くなる(0.75点)」、「変わらない(0.5点)」、「やや悪くなる(0.25点)」、「悪くなる(0点)」の5段階評価で回答してもらい、点数を加重平均して指数にする。50が指数の善し悪しの判断目安となっている。

 報道によると以下のような事態である。
内閣府が7月11日発表した6月の消費動向調査によると、消費マインドのバロメーターとなる消費者態度指数(一般世帯)が前月比1・3ポイント減の32・6となり、1982年6月の調査開始以来の最低を記録した。これまでの最低は、ITバブル崩壊の痛手を受けた2001年12月の33・0。所得が伸びないなかの物価上昇で、消費マインドはすっかり冷え込んでおり、内閣府は基調判断を7カ月連続で最低ランクの「悪化している」に据え置いた。
 
 6月から急速に景気が冷え込み、消費者が生活防衛に走り、私の業種にも影響が出てきたのだろう。日本の場合人口が減り続け長期低落の途上にある。国際通貨基金(IMF)の調査で、2007年のシンガポールの1人当たり国内総生産(GDP)が3万5000ドルを超え、日本の約3万4300ドルを抜くことが明らかになり、日本はアジアの第一位の座から転落してしまった。数年後には香港にも抜かれるのではないかといわれている。全体の国内総生産も2~3年後には中国に抜かれることは確実である。やがて世界経済が回復しても日本経済には明るい見通しは持てない。

 こういう事態になると、こちらとしてもできるだけ節約しようということになり、かくしてますます経済は縮小していく。

2008年7月21日月曜日

祈りと呪い

 夏向きの話をしましょう。
 
 2005年7月に権威のある医学雑誌「ランセット」に冠動脈疾患の患者に対して祈りが効果があるかどうかの論文が掲載された。祈りは患者と医療担当者には知らされずに、世界中のキリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、イスラム教徒たちによって行われた。その結果は祈りを受けないグループよりも「二段構え」(病気が良くなるように祈るグループが成功するように別のグループが祈る)の祈りを受けた患者たちは「6ヵ月間の死亡率と再入院率が他の患者よりも30%低く、統計的に意味がある」ということだった。

 この話を知ったとき、その逆はどうなのかと思った。つまり病気が悪くなるように呪うということだ。しかし、そういう試験は倫理的に許されないので決して行われることはなく、呪いの効果に関する論文が発表されることはないだろう。

 30歳台で2人の子供をつれて離婚した女性がいる。離婚したが、元の夫の母親との付き合いが続いている。というより、その人と縁を切ることができない。その女性の話によると、義母は不思議な能力を持っているという。まず、義母はその女性に子宮がんができているから病院で検査を受けるようにすすめた。最初の病院では子宮がんはなかった。それでも義母がしつこく言うので他の病院に行ったが、そこでも子宮がんは見つからなかった。3番目に大学病院に行き、そこで早期の子宮がんが見つかり治療を受けたそうだ。
 義母は自分に逆らうようなことをしたら、呪いをかけるという。義母にだまって実家の母のところに行くと決まって実母の体調が悪くなるらしい。呪いをかけられるのがこわくて縁を切れないということなのだ。

 呪いというのはそれを信じていて、誰かに呪われたと思った瞬間から効くものだ。不安になり、何か良くないことがあると呪いのせいだと思う。これが呪いが効いているということだ。呪いというものをまったく信じていない人や、信じていても呪われたということを知らない人には効かない。そういうものだと思う。この女性の場合、子宮がんは偶然だったのか、あるいはそういうものが分かる能力が義母にあったのか、どちらにしてもそういうことがあったために、義母の呪いの力を信じてしまい、結局呪いが効くようになってしまった。

 祈りの効果も大勢の人間が祈り、さらにその祈りが成功するように祈ってやっと統計的に意味がある結果が出たわけだ。一人の人間が呪いをかけて効果が出ることはないだろう。

2008年6月28日土曜日

コカ・コーラを医療に利用

 コカ・コーラを医療に利用するという話がある。


 ひとつは胃石の治療である。

 胃内で食物あるいは異物などが不溶性の結石状になったものを胃石というが、日本では柿胃石が多い。柿胃石は他の胃石に比べて硬く、内視鏡を使った砕石術の際難渋することが多い。この胃石がコカ・コーラで溶けるという報告が何件もある。やり方はさまざまで鼻から胃に入れたチューブから12時間かけてコーラを3L注入し溶かした場合や、毎日700mlのコーラを2ヶ月間飲んでもらって溶かしたとかいろいろである。


 もうひとつは胃切除後に内視鏡検査をする場合の前処置である。

 胃切除後に残った胃には朝絶食であっても食物残渣、胆汁逆流などがあり、内視鏡検査を困難にする。コカ・コーラを700ml飲んでもらうと他の前処置よりもきれいになるという発表が米国の消化器関連学会であったそうだ。

 それでどうしてコカ・コーラなのだろう、ペプシ・コーラはどうなのか(世界的にはペプシの方がシェアは高いのでは?)。他の炭酸飲料はどうなのかなどいろいろ疑問はある。
 そもそもコーラで胃石を溶かしたり、胃内を洗浄するということをなぜ思いついたのだろう。たぶん最初に試した医師がコカ・コーラ好きだったのではないだろうか、その後は前例にならってコカ・コーラということになったのかも知れない。

 コーラではないが、内視鏡検査中のレンズの汚れ落としにウーロン茶がよいという報告もある、これは窓の油膜とりにウーロン茶が活用されていることに着目して、試してみたらよかったらしい。



 余談だが、日本コカ・コーラ社製品の研究開発を担当するコカ・コ-ラ東京研究開発センターは、2006年4月1日、東京大学医学部付属病院で行われているプロジェクト「22世紀医療センター」に寄附講座を開設した。一般食品・飲料メーカーの寄付講座開設は、コカ・コーラ東京研究開発センターが初めてとのこと。講座名は「コカ・コーラ抗加齢医学講座」。加齢に伴って発症する肥満、生活習慣病、骨粗鬆症に対して予防効果のある飲料成分や食品成分の検討を目的としている。具体的には、動物実験で食品成分の作用やメカニズムを検討するとともに、細胞や人での試験も行い、肥満や高脂血症などへの効果に科学的根拠がある飲料や食品成分を解明するという。


 

2008年6月26日木曜日

セネストパチー

 セネストパチー cenesthopathy(体感幻覚症・身体型妄想性障害)という言葉を初めて知った。

 セネストパチーとは神経生理学的に考えにくいからだの感覚(=体性感覚)の幻覚(刺激がないのに痛みや違和感がある)のことをいう。精神疾患が背景にあり随伴症状として発症する場合(広義のセネストパチー)とそうでない場合(狭義のセネストパチー)がある。自律神経失調状態の不定愁訴のようにからだのあちこちに発症せず、いつも同じ部位に痛みや違和感が生じる。口腔内の違和感(=口腔内異常感症)が最も多く、ついで陰部・肛門周辺・首や足、皮膚の蟻走感、ピリピリ感、チクチク感など様々とのこと。

 このセネストパチーは医学領域でも一般的に使われる言葉ではないようだ。ネット上のメルク・マニュアルで検索してもひっかからない。ただ、セネストパチーという概念に当てはまる人は多い。

2008年6月1日日曜日

二ヶ月間の備蓄

 2007年3月に厚生労働省から出された新型インフルエンザのガイドラインでは各家庭で2週間分の食料の備蓄が呼びかけられているが、ほとんど知られていない。

 国立感染症研究所の岡田晴恵氏は二ヶ月間の備蓄の必要性をとなえている。新型インフルエンザは第1波から第3波までくるといわれている。ひとつの波が続く期間は約二ヶ月で、ピークは2週間である。毒性の強い新型インフルエンザが流行すると、流通システムが破綻し生活必需品が入手できなくなる可能性が出てくる。そのため、最低二ヶ月の備蓄を各家庭がしておくべきだということだが、2週間ならばともかく二ヶ月の備蓄はなかなか困難だ。岡田氏は可能ならば半年間の備蓄をすすめているが、それはまず不可能だろう。

 インフルエンザの専門家が想定する最悪のシナリオの場合、日本国内で死者が600万人(第2次世界大戦の死者の2倍)という事態になる。

2008年5月28日水曜日

アンナ・ネトレプコ

 ソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコが妊娠しているということを今になって知った。2月に発表されたようだ。相手は若手のバリトン歌手で結婚するらしい。
 ネトレプコはドイツではポップスター並みの人気だから、向こうでは大きな話題になったことだろう。ネトレプコは日本ではちょっと前までは、ルックスは良いが歌手としての実力は今ひとつという評価だった。実際レコード会社がスターに仕立て上げようという戦略がみえみえだった。それが「椿姫」で吉田秀和氏や黒田恭一氏などが絶賛したものだから、いまや音楽評論家で貶す人はいなくなってしまった。貶すとすれば恐れを知らない慶大教授の許光俊一派ぐらいだろう。
 奔放な言動で話題を集める人ではあるが、この人には何か垢抜けないものを感じてしまう。ロシアの田舎娘といった雰囲気がある。実際地味なロシアの歌曲を歌ったネトレプコのCDは随分と良かった。派手なネトレプコと地味なネトレプコ、案外地味なネトレプコが本当のネトレプコかも知れない。

2008年5月5日月曜日

赤十字マーク

 白地に赤十字の赤十字マークは、赤十字の発祥に重要な関わりのあったスイスに敬意を表し、スイス国旗の配色を逆にして造られた。
 赤十字マークは、紛争時などに負傷者や衛生部隊、病院などに表示された場合、ジュネーブ条約によって攻撃が禁止される。イスラム教国が使う赤新月マークも同様の効果を持つ。
 そのため使用は同条約で厳しく制限される。日本では、赤十字社以外が使った場合、法律により6カ月以下の懲役か30万円以下の罰金が科せられるが、日赤によると、適用例はないという。

 いやあ、使用制限があるとは知らなかったなあ。

2008年4月13日日曜日

薬九層倍オーディオ七十層倍

 薬九層倍というのは、原価にくらべて薬の値段が高いということだが、現在の新薬は莫大な開発費がかかっているので、製造費だけでなく開発費も原価に含めると、とても九層倍にはならない。しかしオーディオの世界では開発費をかけず、七十層倍にしている会社がある。
 ゴールドムンドはスイスにある小さな会社だが高級オーディオメーカーとして、日本のオーディオマニアの憧れの的である。ゴールドムンドの一番のお得意先は日本である。世界一のオーディオ大国の米国ではゴールドムンドは売れていないし、欧州でも日本ほどには評価が高くない。
 そのゴールドムンドの商法が今オーディオマニアの間で問題となっている。ゴールドムンドにEidos20Aという定価140万円のユニバーサルプレーヤーがある。140万といってもゴールドムンドの製品としては高い方ではない。そのプレーヤーの中身が日本のパイオニアの2万円のDVDプレーヤーの中身をそっくりそのまま使っているということが露見した。中身は2万円のパイオニアの基盤を使い、筐体や電源をゴールドムンド製を使い、定価を140万円にするというのがゴールドムンドの商法だということが判明したのである。良い筐体や電源を使えば音は良くなるだろうし、30~40万円くらいの定価にするのならばゴールドムンドというブランド料と考えて不当とは思わないが、140万はないだろう。ゴールドムンドという会社には失望したなあ。たとえ買えるだけのお金があったとしても、私がゴールドムンドの製品を買うことはないだろう。
 

2008年4月12日土曜日

山口百恵は菩薩である

 「山口百恵は菩薩である」というのは、平岡正明が書いた本の題名である。平岡正明はそれ以前に「ジャズより他に神はなし」という本も書いており、唯物論者のくせに神や仏が好きなようだ。

 私は山口百恵のファンであった。LPも何枚も持っている。でも純粋に山口百恵が好きだったのではないかも知れない。山口百恵を通してある女性を見ていたのかも知れない。

 大学時代、あるサークルで知り合った年上の女性が、山口百恵に雰囲気が似ていた。私はその人にあこがれていた。女性としての魅力もあるが、人間としてとても魅力的な人だった。その人が大学を卒業したら、私は自分の気持ちを打ち明けようと思っていた。でも卒業の直前にある男性からプロポーズされ、卒業するとすぐに結婚してしまった。もちろんショックであった。ただ、その男性のことも私は良く知っていた。顔なら自信を持って私の方が良いといえるが、人間的なスケールの大きさではとてもかなわない。お似合いの二人だと思った。

 結婚してその人は郷里を離れたため、長い間会うことはなかった。だが、数年前に帰郷した際に私の職場を二人でたずねてくれた。訪問すると連絡を受けたとき、若いときのあこがれの人も会ってみればただの中年のおばさんになっているのだろうな、と思った。でもそうではなかった。若いときよりも妖艶な魅力が増し、もっと美しくなっており驚いた。

 しかし恋心が燃え上がることはもうなかった。

2008年3月30日日曜日

シューマンの病気

 シューマンは精神を病み、1854年2月27日ライン川に身を投げるが通りかかった船乗りに助けられ、精神科病院に入院し1856年その精神科病院で死亡する。 
 私は最近までシューマンの精神病は脳梅毒だと思っていた。しかし、シューマンの解剖所見では脳に器質的異常はなかったとの記録が残っているらしい。これで脳梅毒説は否定される。
 躁うつ病説が有力なようである。確かにシューマンの交響曲などでは気分の変動が激しく、焦燥感にかられているような部分もある。躁うつ病は根底にあったのかも知れないが、幻聴や悪魔が自分を支配しているという妄想、摂食障害など躁うつ病以外の要素も加わっているようだ。
 シューマンは退院を希望したが、妻のクララが承諾せず、病状は一進一退を繰り返しながら徐々に進み、最後は食事を拒否して脱水・衰弱死したらしい。

 そのシューマンの交響曲はバーンスタインが指揮したものが一番好きだ。

2008年3月29日土曜日

バウムクーヘンと原爆ドーム

 バウムクーヘンというお菓子が好きというわけではないが、日経新聞土曜日別冊のNIKKEIプラス1の中の「NIPPONスイーツ紀行」に興味を引かれることが出ていた。

 1919年、広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)において、ドイツ作品展示即売会が行われた。そのとき現在神戸元町に本店を構える「ユーハイム」の創始者カール・ユーハイム氏が、カシの木の芯棒を手動で回しつつ生地を一層一層かけて焼き上げた年輪模様のお菓子が、日本におけるバウムクーヘン第1号といわれているそうだ。

2008年3月23日日曜日

超常現象

 小学生のときだが、学校から帰るとき家に近づくにつれいやな気分が強くなってきた。自分の家が黒雲でおおわれているような不吉な気分であった。帰宅してみると、つないでいた飼い犬が、誰かに持ち去られたのか、ゆくえ不明になっていたのだった。家族の悲しみが自分に伝わってきたのだと思った。これは虫の知らせとかテレパシーというものなのだろう。

 カリフォルニア大学の心理学部助教授のエリザベス・ロイド・メイヤーの「心の科学」は「遠隔透視」を中心とした超常現象を扱った本である。彼女は科学者として超常現象を信じていなかった。しかし、自分の家から盗まれたハープがある家を遠隔透視者に見つけてもらうという経験をしてから、超常現象について探求し始めた。自分で実験をするのではなく、これまで超常現象について書かれた論文を徹底的に読み、研究者やそういう能力を持っている人から話を聞くことを続けた。結論として、遠隔透視に関しては科学的に否定のしようのない論文がいくつもあり、その存在は実証されていると言えるらしい。だが、どうしてそのようなことができるのか分からない。

 序文に物理学者のフリーマン・ダイソンが「科学者としての私は、この話を信じない。だが一人の人間としては信じたい」と書いているように、本を読んだ後も遠隔透視について信じがたい気持ちはある。だがメイヤー女史の科学者としての真摯な姿勢から、この本に書かれていることは事実なのだろうと思う。

2008年3月16日日曜日

五大捕物帳

 捕物帳の世界で五大捕物帳というのがあるのを初めて知った。「半七捕物帳」、「銭形平次捕物控」、「人形佐七捕物帳」、「若さま侍捕物手帖」、「右門捕物帖」がその五大捕物帳ということになるらしい。この内、「右門捕物帖」は現在絶版で古本以外では入手できない。
 岡本き(このきはワープロに入っていない字)堂の「半七捕物帳」は宮部みゆきが「わたしにとっては聖典みたいなもので、本が傷んでしまうくらい読み返しています。」と絶賛しており、私も全6巻読んだ。淡々とした飾りのない文章だが、江戸情緒がたっぷり入っている。主に大正時代に書かれたものであり、江戸時代を直接に体験している人も多かった時代である。確かに名作だと思う。
 それ以外で読んだ五大捕物帳は横溝正史の「人形佐七捕物帳」だが、これは現在抜粋版しか入手できない。抜粋版なので名作を集めたものである。ただ、この「人形佐七」は生活のために書いたものらしい。戦前の探偵作家は探偵小説以外は書かず、横溝正史は捕物帳を書いたことに劣等感を持っていたようだ。「人形佐七」はあまり江戸情緒はなく、トリック中心の小説である。好きで書いたものでないせいか、「半七」に比べると数段劣るように思う。

2008年3月2日日曜日

ゲッチンゲン

 シャンソンにはまったくの素人なのだが、フランスの女性歌手バルバラのBOBINO1967というライブ録音のCDを買った。
 夜寝るときにそのCDを聴いていると、チンゲ、チンゲの連発が始まった。隣にいた小学生の子供と顔を見合わせて大笑いした。チンゲの連発はGOTTINGENという曲だった。GOTTINGENがチンゲに聴こえたのだ。輸入版で日本語の歌詞はついていないので意味が分からない。ネットで調べると、Gottingen(ゲッチンゲン)はドイツにある都市で、多くのノーベル賞学者を出したGottingen大学を擁する典型的な学園都市として有名らしい。さらに調べると、ゲッチンゲンのバラはなんと美しいとバルバラはこの曲で歌っている。
 バラの美しいゲッチンゲンの魅力を讃えた曲がチンゲに聴こえたという笑い話でした。

2008年2月21日木曜日

キット屋店主日記削除の謎

 真空管アンプキットのネット販売をしているキット屋の店主日記1月27日分が1月28日早朝アップされたが同日午後に削除された。
 私は朝その日記を読んだ。それは、キット屋の製品を買った客がその音を気に入らず、店主が訪問し自分たちの力不足で申し訳ありませんと土下座し、製品を引き上げて料金を返済したという内容だった。ただ、返品は客が言い出したことではなく、店主が申し入れたということだった。
 これはかなり問題がある。自己責任で買っておいて気に入らないと文句をつけると返品に応じてくれるということになると商売が成り立たなくなる。 
 この日記にはメールや電話が殺到し(私も電話した)、「多くの方のご助言により削除させていただきました」ということになった。
 ふつう返品に応じるべきでないのに、自ら申し出たということは何か込み入った事情があるのだろうと思っていたが、2ちゃんねるでの情報で謎がとけた。

 2ちゃんねるではこの客は長野のT先生だということだ。長野のT先生は弁護士でキット屋ではVIP顧客であった。オーディオマニアでaudiofan.netの発言からはかなりの自信家とみられる。
 おそらく、T先生は店主を呼びつけて製品の気に入らない点をねちねち意見したのだろう。返品しようという考えはなかったと思う。ところが、自分の店の製品にプライドを持っている店主が切れてしまって、もうこういう人には、自分のところの製品を使ってもらわなくて結構ということで、返品を申し出てT先生と縁切りしたのだろう。

2008年2月3日日曜日

シベリウスってやっぱり2番がいいよね

 シベリウスはヴァイオリン協奏曲と交響曲2番が人気があり、私も好きである。
 シベリウスの交響曲は7曲あり、2番が一番人気があるのだが、2番が好きなのは初心者、通は4番や5番、7番を選ぶというような風潮がある。
 この前N響のヴァイオリニストのウェブサイトを見たら、ヴァイオリン協奏曲と交響曲2番がもっともシベリウスらしいとあった。なんだ、プロも2番が好きなんじゃないか。
 2番の交響曲の終盤、もうすぐ春が来る、でもまた雪がちらつくというような雰囲気がある。そこのところでいつも北海道の冬を思い出す。

 北国で過ごすとシベリウスの良さがいっそう分かるような気がする。

2008年1月27日日曜日

バティスの「悲愴」

 ブラームスをからっと明るく演奏して一部のブラームス・ファンの怒りをかったエンリケ・バティスだが、同じく悲哀系のチャイコフスキーの演奏はどうなのか。

 チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」を聴いた。これがなかなか良いのである。なぜブラームスはだめでチャイコフスキーは良いのか。
 悲哀系といってもブラームスは地味でじめじめしている。あくまでも内にこもっている。一方チャイコフスキーは派手なのである。大泣きしている。 
 私にとってチャイコフスキーはちょっとやりすぎのように感じてにがてだった。
だが、バティスのようなからっとした演奏ならばしつこくなくて聴ける。

 まあ、いろいろ相性はあるものですな。

2008年1月14日月曜日

ニューイヤーコンサート


 上の写真はデジカメの美術館モード(フラッシュなし、シャッター音なし)で撮ったので、周りには迷惑をかけていないが、もちろんコンサート中に写真撮影をするのはマナー違反です。
 今日はオーケストラ・アンサンブル金沢のニューイヤーコンサートに行った。指揮は井上道義さん、ゲストはソプラノ歌手の森麻季さん。ニューイヤーコンサートというのはシュトラウス・ファミリーなどのワルツが中心になる。どうしてそういうことになっているのかは知らない。正直、曲目には興味がなかったが、オーケストラ・アンサンブル金沢を聴いてみたかったのと、森麻季の歌を聴きたかったので行ってみた。オーケストラ・アンサンブル金沢は小編成なので、管楽器は鳴るが、弦楽器がうすい感じがした。井上さんは相変わらずトークが楽しい。
 森麻季はこのコンサートで良かったらCDを買おうと思っていた。最初の歌のムゼッタのワルツを聴いて、二階の私の席まで声が通らないと感じた。その歌が終わったとき、「この人の声にはこのホールは大きすぎるのです」と井上さんからのフォローがあった。確かにそうだと思う。もう一回り小さいホールであれば実力を十分発揮できたのだろう。アンコールで歌ったオペレッタ「こうもり」の中の歌はなかなか良いと思ったが、CDは買わないことにした。
 アンコールに、ふつうニューイヤーコンサートではやらないショスタコーヴィチを演奏したのが井上さんらしかった。ジャズ組曲IIのポルカであった。
 最後はお決まりのラデツキー行進曲で終了となった。

2008年1月12日土曜日

未聴のCD

 ボックスセットが2箱届いたということもあって、封を切っていないCDが40枚になっている。 バッハの教会カンタータ全集60CDやスカルラッティのチェンバロ・ソナタ集34CD、カイルベルト指揮のワーグナーのリング14CDなど、封は切ったが全部は聴いていないものもあるので、未聴のCDは100枚を超える。

 それでも欲しいCDが出てきて注文してしまう。これは買うことによってストレスを解消しているのであろう。まあ、不要なものを買っているわけでもないし、生活が破綻するほど買っているわけでもない。それに未聴のCDがたくさんあるというのは何千枚ものCDやレコードを持っている人にはめずらしくないようだ。ということで、私は買い物依存症という病気になっているわけではないと言える。

2008年1月5日土曜日

ロック野郎

 歳をとってもロックを聴き続けている「ロック野郎」といわれる人たちがいる。素直にすごいと思う。私はもうロックはだめだなあ。高校生の頃は夢中で聴いていたが、今はめったに聴くことがない。今日はそのめったにない日だ。

 どういうわけか、クラシックを聴く気がしなくて、ロックを聴いている。まず、ピンク・フロイドの「the dark side of the moon」、プログレッシブ・ロックという範疇に入る。
 昔はプログレッシブ・ロックというのは進歩的で芸術性も高いのだと信じて、よく分からないまま聴いていた。このプログレという音楽、今聴くと小賢しい小手先の音楽のように聴こえるものが多い。尖がっているようで実はぜんぜん尖がっていないのだ。
 ピンク・フロイドの名盤とされるこのアルバムも途中で聴くのをやめた。次にキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」、これはビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を蹴落としてチャートの一位になった由緒あるアルバムである。やはりプログレの範疇に入る。ピンク・フロイドのアルバムよりも聴ける。だがやはり途中でギブアップ。
 それではこれでどうだ、ヴァン・モリスンの「veedon fleece」。昔はヴァン・モリスンやローリング・ストーンズのようなストレートで濃いロックはにがてだった。でも今聴くとこのストレートさが良い。ああ音楽だなあと感じる。

2008年1月4日金曜日

黄金の10年

 数年前、日本経済新聞は元旦からの連載記事で「これから黄金の10年が始まる」と高らかに日本経済の復活を宣言した。そのとき、随分と違和感を覚えた。あまりに楽観的にすぎるのではないか、これは科学的な分析結果というよりも、日本人に自信を持たせ経済に良い影響を与えようという世論操作ではないかという気持ちを持った。
 そして今年の元旦からの連載記事は「YEN漂流・縮む日本」である。今日、1月4日は「気がつけば途上国」という見出しが躍っている。日本経済新聞は「黄金の10年」説をとなえたことにまず自己批判すべきであろう。

2008年1月3日木曜日

上がらない雨

 中国出身で日本で活躍する40歳代の実業家で宋文洲という人がいる。NIKKEI NETのこの人のコラムが私は好きなのだが、今年について次のように言っている。

 経済が成長しない、政治も安定しない年になるかもしれません。しかし、その中でも人生を楽しむことを覚えてほしいと思います。景気は循環するもの、政治は変化するもの。お天気の変化と同じように捉えれば、余計な心配と落胆は損です。
 眩しい青空と輝くサンシャインもいいですが、暗い雲と降り注ぐ雨もそれほど悪くありません。屋根の下から見る雨中の花や草には晴天にない瑞々しさがあります。仕事を休み、体を癒し、本を読み、ゆっくりと晴れるのを待つのも楽しいものです。
 上がらない雨はありません。雨の後は決まって晴天。貴重な雨、必要な雨。雨の年になったら雨を楽しもうじゃありませんか。

 日本人を慰めてくれているようだ。

 経済アナリストの森永卓郎氏、格差社会ということを最初に言った人で「年収300万円」で流行語大賞をとった人だ。以前から小泉純一郎氏の「構造改革」を厳しく批判していた。
 森永氏によるとこれからの人生のコースは 三つに分かれる、一つめは「勝ち組になろうと思って勝ち組になる」、二つめは「最初からあきらめて負け組みになる」、三つめは「勝ち組をめざしながら負け組みになる」。そして彼は一番みじめなのは三つめであると言っている。勝ち組になろうと思って一生懸命働くのだけれど思ったとおりにならず、定年を迎えたときに残っているのはボロボロになった心と体だけ、こういう人が今、日本で一番多い。森永氏は勝ち組になれるのはほんのわずかな人だけであり、最初から勝ち組になろうを思わなければ、年収300万円でも、人生はそれほどつらいものではない、世間のトレンドとは違っても、自分なりの好きなことを見つけ、その喜びを分かち合える仲間とコミュニケーションを楽しむ、それが一番豊かな人生だと言っている。
 実は森永氏は人生を楽しむ達人であり、その中にB級グッズの蒐集というのがある。ミニカー、グリコのおまけ、指人形、すごろく、コーラやお茶の空き缶、消費者金融のティッシュなど40種類以上のグッズを集めて楽しんでいるそうだ。世間的にはちょっと変わった人ということになる。

 宋氏は上がらない雨はないと言って慰めてくれているが、森永氏が最近「年収120万円時代」という本を出したところをみると、まだ雨は続くようだ。

2008年1月1日火曜日

4つの最後の歌

 大晦日の夜DVDでネトレプコ主演のオペラ「清教徒」を観ていたら、幕間の楽屋でのインタヴュワーがルネ・フレミングだったのびっくりした。人気はネトレプコほどはないとしても、スター歌手でありキャリアからいってもネトレプコよりも格上の人だからだ。

 このフレミングはどういうわけか、日本ではあまり人気がない。「レコード芸術」誌のCD評もフレミングに対して好意的でないことが多いように感じる。

 一方、チェチーリア・バルトリという歌手は日本でも非常に人気があり、音楽評論家からも高く評価されている。2007年12月号の「レコード芸術」にバルトリのインタヴューが掲載された。その中で、好きな歌手と嫌いな歌手という質問に対して、バルトリは「好きでないのがマリア・カラス、歌い方が上品でなく、地声だけで歌っているようで、表現が十分できていないように思う」とカラスファンが怒るようなことを言っている。一方「大好きなのはルネ・フレミング、素晴らしい発声法のテクニックと音楽性を持っている」と絶賛している。さあ、フレミングを貶してバルトリを褒めていた評論家はどうするのかな。

 一夜明けて正月の朝、聴き初めにフレミングの歌うシュトラウスの「4つの最後の歌」が聴きたくなった。でも聴き初めが最後の歌というのもちょっとと思い、まずコリン・デイヴィスのベートーヴェン序曲集を聴いてから、「4つの最後の歌」を聴いた。