2007年9月2日日曜日

教会で聴いたスターバト・マーテル




 教会でバッハ編曲のペルゴレージのスターバト・マーテルの演奏会があった。

 スターバト・マーテルはキリストを失った聖母の悲しみを歌ったものだ。直訳では「佇む母」という意味だが、「悲しみの聖母マリア」と訳されている。そのラテン語の歌詞の成立は13世紀にまでさかのぼり、作者はフランシスコ会修道士ヤコポーネ・ダ・トーディとも聖ボナヴェントゥーラともいわれている。この歌詞にイタリアの中部に生まれた作曲家ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)はじめヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなど時代や地域を越えて多くの作曲家が曲を書いており、記録に残っているものだけでも近現代に至る まで400人以上の作曲家によって継続的に作曲され続けている。その中でもっとも人気があるのがペルゴレージのスターバト・マーテルだ。
 この作品はペルゴレージの最晩年の作品だが、彼が亡くなったのは26歳。作曲家として活動していたのも約5年ほどの短いものだった。最期はポッツォーリの修道院で病没、貧民共同墓地に埋葬されるというなかなか悲惨なものだったが、彼のもう一つの代表作であり、音楽史上重要な作品であるオペラブッファ「奥様女中」の人気により彼の名声は死後急速に広まる。その弊害として偽作も多く、300位伝えられていた彼の作品も20世紀初頭にはその半分になり、さらにそのうちの5分の4の作品が疑わしいとされている。
 ペルゴレージのスターバト・マーテルは編曲の試みも多くなされている。バッハの編曲は1746/47年頃のことであり、アルプス以北では最初のものと考えられているそうだ。バッハのこの編曲の存在が確認されたのは比較的最近である1968年のことで、ベルリンの図書館で発見され、バッハの真作と認定、BWV番号1083が付加された。バッハがなぜこの編曲を手がけたかについてはよくわかっていない。バッハは歌詞を旧約聖書の詩篇第51番のドイツ語訳に変更、イントネーションの変更に伴い声楽パートのリズム、旋律線にも手を加えている。さらに第12曲と第13曲の順番を入れ替え、第2ヴァイオリンとヴィオラのパートも加筆され、新たなモテットとして完成させた。
 
 教会の雰囲気とあいまって美しい曲がよりいっそう美しかった。

0 件のコメント: