2007年8月20日月曜日

橋崩落と回向院の茂七

 米ミネソタ州ミネアポリスのミシシッピー川にかかる高速道路の橋が2007年8月1日午後6時5分頃に崩落し10人以上の犠牲者が出たが、日本では5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して元禄11年(1698年)8月架橋された永代橋が文化4年(1807年)8月19日崩落した。

 このときは長年中断されていた富岡八幡宮の祭りが再開するというので、江戸中が興奮状態にあった。しかし大雨が数日間続き、実際の初日の予定を3日過ぎてこの日初日を迎えた。祭り好きの江戸っ子は喜び勇んでどっと富岡八幡に向かった。 富岡八幡宮は深川に位置するため、大半の江戸市民は隅田川を越えなければならず、富岡八幡に一番の近道である永代橋に人が集まった。架橋から既に100年余を経ていた上に昨日までの何日にも渡る大雨で橋脚は弱っており、さらにたまたま、祭り見物の一橋家の船行列が通過するために橋止めが行われ、それが解除された直後、我がちに殺到する人の重みに老朽化した橋桁が耐えきれずに折れてしまったのだ。後ろから群衆が次々と押し寄せては転落し、死者は実に1500人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。なお古典落語の「永代橋」という噺は、この落橋事故を元にしている。

 これだけの大惨事なので、現代の小説にも永代橋崩落をテーマにしたものがある。読んではいないが杉本苑子の「永代橋崩落」という小説がある。また、宮部みゆきが書いた岡っ引きの回向院の茂七が活躍する「本所深川ふしぎ草紙」の中の「消えずの行灯」も永代橋崩落にまつわる話である。

 茂七シリーズは連載中の雑誌が廃刊になったため、このシリーズの重要人物である屋台の稲荷寿司屋の親父の正体が明かされないまま未完となっている。ぼんくら同心こと井筒平四郎のシリーズに晩年の茂七の名前だけが出てくる。このとき茂七は米寿を迎え、大親分として尊敬を集めている。井筒平四郎シリーズに名前を出すからには、作者には十分再開の意思があるのだろう。稲荷寿司屋の正体をぜひ知りたいところだ。

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