2008年12月31日水曜日

12月31日

 明日からは新しい年に変わる。

 今年は私の仕事も不況の影響を受け、前年度割れが続いている。世界経済は来年はもっと深刻な不況になると予想されている。経済状況は仕方がないとしても、それ以外では良い年になってもらいたい。

 今、クレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団・合唱団によるベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴きながら書いている。
 正月休みに読むために積んでいる本は、副島隆彦と佐藤優の「暴走する国家・恐慌化する世界」、コリン・デクスターの「死者たちの礼拝」、R.D.ウィングフィールドの「フロスト日和」、D.M.ディヴァインの「ウォリス家の殺人」、ジェイムズ・クラムリーの「酔いどれの誇り」、P.D.ジェイムズの「女には向かない職業」、イーデン・フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」、ウイリアム・アイリッシュの「幻の女」、ルース・レンデルの「無慈悲な鴉」、レジナルド・ヒルの「殺人のすすめ」であるが、全部は読めないだろうな。

 紅白歌合戦は見ないので、今夜はベートーヴェン以外の第九交響曲を聴くことにするか、シューベルトとかマーラーとかドヴォルザークとかショスタコーヴィチとか。

 

 

2008年12月21日日曜日

ベートーヴェンの三重協奏曲


 ベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲、これは室内楽の構成にオーケストラがからんでくるということでよく分からなかったのだが、持っているCD、チョン・キョンファ、チョン・ミョンファ、チョン ・ミョンフンのチョン兄弟とフィルハーモニア管弦楽団(指揮はチョン・ミョンフンの弾き振り)をじっくり聴いてみた。

 そうするとこの曲の面白さが分かってきた。先日のコンサートは元々音響の良いホールではなく、席も2階の端っこに近い席ということもあってバランスの悪い音に聴こえたのかも知れない。このCDはその点、なかなか良い録音である。そういう音響の問題を差し引いてもフィルハーモニア管弦楽団の方がシモン・ボリバル・ユース・オーケストラよりも技術的には上である。
 ヴァイオリンとチェロはカプソン兄弟よりもチョン兄弟の方が良い、まあ世界のトップヴァオリニストの一人であるチョン・キョンファと比べたらルノー・カプソンに気の毒ではある。ピアノはピアニスト出身の指揮者チョン・ミョンフンとバリバリのピアニストのアルゲリッチを比較するわけにはいかないだろう。でもチョン・ミョンフンのピアノもうまい。

 このCDは名盤だと思う。

2008年12月19日金曜日

ドゥダメルとアルゲリッチ

 ベネズエラでホセ・アントニオ・アブレウという人が「子供を犯罪から救い、善良な市民に育成し、社会の発展に寄与する。この目的を達成するための最良の手段は音楽、しかもオーケストラのクラシック音楽である」との信念のもとに子供に無償で楽器と指導を提供する全国青少年交響楽団システム財団を設立した。1975年に11人の子供からスタートしたこの活動は現在、人口2600万人のベネズエラに、全国30カ所、約130のユース・オーケストラ、約60の子どもオーケストラがあり、26万5000人の子どもたちがクラシック音楽に参加するまでになった。

 そのオーケストラの頂点に立つのが10代後半から20代前半の200名で構成されたシモン・ボリバル・ユース・オーケストラであり、頂点に立つ音楽家が1981年生まれの若き指揮者グスターボ・ドゥダメルである。 ドゥダメルは第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝し、クラウディオ・アバドやサイモン・ラトル等から評価され、一躍注目を浴びる存在となった。2007年には、ローマ教皇ベネディクト16世の80歳を記念する公演でのドヴォルザークの「新世界より」が、全ヨーロッパにテレビで生中継された。

 そのドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラに世界一有名なピアニストと言ってもよいマルタ・アルゲリッチが加わってのコンサートが今夜あった。
 第一部はピアノがアルゲリッチ、ヴァイオリンとチェロがカプソン兄弟でのベートーヴェンの三重協奏曲が演奏された。実は私はこの曲がよく分からないのである。だからソリストたちがきれいな音を出しているなとは思っても感動というわけにはいかなかった。
 第二部はマーラーの交響曲1番であった。実はこの曲は第3楽章以外は好きでない。しかし、若さが爆発するような演奏で、多くの聴衆がスタンディング・オベーションを送っていた。

 しかし、彼らの真骨頂はアンコールにあったのだ。こんなに楽しいアンコールは初めての経験だ。アンコールの1曲目はラテン・ムード満点の何度も聴いたことがある曲だが、誰のどういう曲か思い出せなかった。2曲目も聴いたことがある。この2曲の演奏は体を大きく動かし、楽器を回したり、2曲目に至っては客席まで降りて来て演奏した。これは彼らにしかできない演奏だろう。どちらも南米の作曲家によるものだと思ったが、半分違っていた。帰り際に見た張り紙でアンコールの第1曲目はバーンスタインのウェストサイドストーリーの「マンボ」だった。2曲目はヒナステラの曲でこちらはアルゼンチンの作曲家である。
 場内騒然となったところで、最後のおごそかな曲。この3曲目は歌詞さえなければノー・プロブレムであり、この曲が演奏されると終了だと分かる曲であった(ヒントNHK)。

2008年12月18日木曜日

アーチー・グッドウィンとリリー・ローワン

 レックス・スタウトの「ネロ・ウルフ」シリーズは謎解きの面白さよりも物語の語り口の面白さで読ませるミステリ小説である。

 ネロ・ウルフは120kgもある巨漢のニューヨークの私立探偵で蘭の栽培と美食を趣味とし、事務所兼自宅のビルからめったに外出しない。必要に応じて下請けの探偵を雇って情報を収集し、事件を解決する。

 彼の秘書兼用心棒兼探偵助手兼オフィスマネージャーであるアーチー・グッドウィンが物語の語り手である。変人のウルフよりも、明るく才気煥発のアーチーのファンの方が圧倒的に多いだろうと思う。

 そのアーチーの恋人が富豪の娘のリリー・ローワンである。アーチーとリリーが初めて出会ったのが「シーザーの埋葬」事件であり、今日この本を読み終えたところだ。以前読んだ本ではアーチーがリリーに甘えているような印象を受け、リリーの方が年上なのかと思っていたが実際は若い女性であった。
 この本の中で、牧場で牛に追われたウルフとアーチーを車の二人連れの女性が助けてくれ、その一人であるリリーがアーチーに言った最初の言葉が「いらっしゃい、エスカミリオ」だった。富豪の娘のリリーがエスカミリオを知っているのは当然かも知れないが、そのユーモアを解したアーチーも、おそらくメトロポリタン歌劇場で「カルメン」を観たことがあるのだろう。

 エスカミリオはオペラ「カルメン」の中に出てくる闘牛士である。純朴なホセを誘惑したカルメンはエスカミリオに心変わりし、ホセを捨ててしまう。ホセはストーカーになり、最後にカルメンに復縁をせまり、断られてカルメンを刺し殺してしまう。

 エスカミリオと呼びかけたリリーは奔放な女性「カルメン」ということになるのだろう。この本の中でリリーの知人の女性は彼女のことを「彼女はヴァンパイアなのよ。危険な女だわ」と言っており、リリーに捨てられた男の父親で地方の名士は「あれは色情狂だ......あの女は呪わしい淫売だ」とぼろくそに貶している。リリーは奔放ではあっても言われているような悪女ではない。リリーに言い寄られたアーチーも最初は警戒して適当にいなしていたが、徐々に彼女に惹かれていき、今後の付き合いが始まっていく。

2008年12月16日火曜日

「市民オペラ」考

 私が市民オペラに対して持っていた偏見とは「学芸会」ということである。ところが最初に観た市民オペラがプロを交えてのりっぱなできのオペラであったために、その偏見を改めたのだったが、先日の2回目になる観劇でその偏見が裏付けられてしまった。
 オペラは言うまでもなく総合芸術であり、歌とオーケストラによる演奏の音楽の部分と演出という部分で構成されている。演出家、歌手、指揮者・オーケストラはそれぞれが重要である。

 先日の経験だけで市民オペラを語る危険性は承知の上で、論じてみたい。

 市民オペラは歌手の部分に偏りすぎているのではないか。先日の公演でも、主役の歌手が演出家も兼ねていた。これでは陳腐な演出しかできないだろう。またオーケストラが軽視されているのではないか。通常のオペラではまず、指揮者が観客の拍手を受けて登場し、序曲が始まり幕が開くわけだが、先日の市民オペラでは指揮者の姿が見えないまま音楽が始まった。いくら歌手が良くてもオーケストラの演奏が悪いと良いオペラにはならない。良い演奏のためには指揮者の役割が重要である。

 市民オペラは歌いたい人たちが主であり、その他は従なのであろう。その歌手も先日の公演では、やはりアマチュアの域を出るものではなかった。結局自己満足のための公演ということだ。観客もほとんどが親類縁者や知人友人なのだろう。それならそれでよいが、それで料金を5500円もとってはいけない。無料にしろとまでは言わないがせいぜい3000円だろう。
 もしオペラを知らない人が先日のような公演を観ると、オペラ嫌いになってしまうと思う。

2008年12月14日日曜日

市民オペラ・ルサルカ

 前回市民オペラを初めて観て、それまで偏見を持っていたことを反省したわけだが、今回は偏見通りのステージだった。
 前回が特別だったのだと思う。市内に市民オペラは4団体あるらしいが、前回はその4団体をまとめるオペラ・音楽推進委員会が主催で、イタリアからプロのオペラ指揮者を招聘し、オーケストラもプロのオケだったが、今回はオペラ団体独自の公演だった。
 ルサルカはドヴォルザークが作曲したオペラだが、それの日本語訳による上演ということで、危惧はしていた。オケの最初の音を聴いて、これはだめだと思った。演出も良くない。日本語で歌うのに、金髪のカツラをかぶらなくてもいいじゃないか。そもそも演出家が主役の歌手も兼ねるってありか?
 というわけで途中で退席しました。

2008年12月13日土曜日

ギターリサイタル

 今夜、ゲストに大萩康司を迎えての福田進一ギターリサイタルに行った。
 私はギターのCDは数枚しか持っておらず、ギター音楽の良い聴き手ではない。アランフェス協奏曲はコンサートで聴いたことがあり、ギターとオーケストラではそもそも無理があると思ったことがある。今回は550席の比較的小さなホールなので音はよく聞こえ、とてもきれいな音だった。ピアノリサイタルではオーケストラのコンサートに比べてはるかに女性が多い(しかも若い女性が多い)。ギターリサイタルでは男性が多いのかと思ったが、半々だった。隣の初老の女性は連れに明日もギターリサイタルに行くと話していた。きっと学生時代にギター部に入っていたのだろうな。
 このコンサートでは珍しいことが起こった。福田さんが演奏前に難曲ですと話したショパンのノクターンop9-2(パガニーニがバイオリンに編曲したものをタレガがギター用に編曲)の演奏に2回も失敗し、結局アンコールのときに楽譜を見ながら演奏しますということになった。音だけを聴くと、まったりとして、素人には難曲とは思えないが、指の動きを見ていると確かに難しい動きをしており、難曲だということがはっきり分かる。こういうのはCDでは分からないことだ。
 だけど、ギター用に編曲した曲よりも最初からギター用に作曲した曲の方が良い。バッハのシャコンヌはバイオリンで聴いた方が良いし、ショパンはピアノで聴いた方が良い。
 ギターリサイタルもほんのりした感じでなかなか良いものだと分かった。

2008年12月6日土曜日

幸福は感染する

 食品安全情報blogでの情報では、次のような内容の論文が権威ある医学雑誌BMJ(British Medical Journal)に掲載されたらしい。


 Framingham Heart Studyでは、21-70才の5124人の人生と健康について1971年から2003年までフォローした。参加者の血縁や友人、近所の人、一緒に働く人などの社会関係と精神衛生に関するデータから、幸せな人のそばにいると幸せになる可能性が高いことを見いだした。さらに幸福が感染するには物理的に近いことが重要である。
 Dynamic spread of happiness in a large social network: longitudinal analysis over 20years in the Framingham Heart Study
BMJ 2008;337:a2338
James H Fowler and Nicholas A Christakis


 確かに、いつも不満ばかり言っている人と接するといい気分はしないし、いつも感謝の気持ちを持っている人と接するとこちらの気持ちも良くなる。当たり前のようなことだが、家族を幸せにするためには、いやなことやつらいことがあっても前向きな気持ちでいることが大切なのだな。

2008年12月4日木曜日

沢田研二の「我が窮状」

 沢田研二ももう還暦を迎えた。その彼が憲法九条を讃える歌を自ら作詞して歌っているという。曲はまだ聴いたことがないが、歌詞は次のとおり。

「我が窮状」(1番のみ)
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

 沢田研二を見直しました。