2007年8月25日土曜日

胎盤埋没療法(胎盤療法その2)

 戦後日本に伝わってきた胎盤埋没療法は主にソ連を支持する医師たちによって行われたらしい。以前私が知っている医療生協の病院で胎盤埋没療法がひっそりと行われていた(現在は行われていない)、その時は医療生協と胎盤埋没療法がイメージとして結びつかず奇妙な感じを覚えた。ソ連ということで納得がいった。胎盤埋没療法は保険適応されることもなく自由診療でほそぼそと続いていたが、美容クリニックが胎盤埋没療法や胎盤エキスの注射をするようになり、以前とは違った医師層が違った目的で治療をするようになってきた。

 麻酔や切開なしで胎盤を体内に入れる方法として胎盤エキスの注射薬が1950年代に開発された。日本にはメルスモンとラエンネックという胎盤エキスの注射薬が保険薬として認められている。メルスモンの適応症は「更年期障害、乳汁分泌不全」であり、ラエンネックは「慢性肝疾患における肝機能の改善」である。両者とも筋肉・皮下注射として使われる。まあ現在の基準であれば認可されないだろう。
 現在、胎盤エキス注射は適応症にしたがって保険診療として使われるよりも、美容やアンチエイジングという目的で自由診療として使われているようだ。ネットで宣伝しているクリニックの胎盤エキス注射の効能をみると非常に(あるいは非常識に)多くの病気に効くということになっている。


 「株)日本生物製剤」のウェブサイトにある「ラエンネックの歴史」(吉田 健太郎 著「プラセンタ療法と綜合医学」より)によると、「メルスモン」とは別なルートで、日本に胎盤療法を紹介したのが、稗田憲太郎博士であった。稗田博士は戦前・戦中と、満州国(中国東北部)の満州医科大学で教授を務め、日本の敗戦後も同地に留まり1953年に帰国するまでの8年間、中国の八路軍に参加し負傷した軍人の治療にあたった。この間、ソ連の病理学者プランスキー博士の著書『神経病理学』にヒントを得て、埋没療法を実践し著しい効果を得た。軍人の傷を治すために、患部の組織に牛の脳下垂体や角膜、肝臓、胎盤などいろいろなものを埋没した中で、胎盤が一番治療効果の高いことを確認した。稗田博士は帰国後、久留米大学病理学研究室の教授と医学部長を兼任し、胎盤の埋没療法が最も効果を示したという中国での経験から胎盤の研究に取り組み、その結果胎盤からエキスを抽出して注射液にするというかたちに結実させた、ということらしい。
 なお、1958年と1960年衆議院第28回、29回選挙で福岡から日本社会党公認で稗田憲太郎という人物が立候補し落選している。おそらく同一人物だろう。

0 件のコメント: