2008年9月15日月曜日

木曜日だった男

 これは寓話なのだろう。

 作者のG.K.チェスタトン(1874-1936)は推理小説の「ブラウン神父」シリーズで有名である。チェスタトンは真摯なカトリック教徒であり、「分配主義」という思想を抱いていたらしい。「分配主義」とは、国家の財産と土地を人民に平等に分配し、自由な小農民、商店主、職人などが地産地消の社会を営むことを理想とする考えだとのこと。

 「ブラウン神父」は推理小説の形式で作者の世界観を語っている小説であり、娯楽小説としての推理小説とは異なっている。だから、やや難解である。彼の「詩人と狂人たち」も同様の小説であるが、さらに難解で読み通すのが少々つらいところがあった。

 「木曜日だった男」は無政府主義者の秘密結社に刑事がスパイとして潜入し、中央委員に選出される。その中央委員会は7人で構成され、それぞれ曜日で呼ばれる。議長は日曜日であり、主人公の刑事は木曜日と呼ばれる。
 読み始める前は難解な小説ではないかと警戒したが、平易で文章であり、ユーモラスな明るさもあり、すらすらテンポ良く読めた。きっと結末は無政府主義者の秘密結社ではなく、何かの無害な組織だったということになるのだろうと思った。
 主人公は彼らが計画している暗殺計画を阻止するために行動し、その過程で中央委員会のメンバーが次々に警察のスパイであることが分かる。とうとう日曜日以外はすべてスパイだったということが分かるのだが、そのあたりからこの小説は徐々にリアルさを失い、ドタバタ調の追跡劇になる。追跡していた刑事たちが追跡されて逃げ回る。そして、今度は刑事たちが日曜日を追いかける。日曜日の追跡になると、もう完全に現実の世界でなくなる。最後は日曜日の屋敷での仮装舞踏会だが、日曜日が何者であるかは分からないまま終わる。

 文庫本の帯には「探偵小説にして黙示録」とあるが、この小説は「黙示録」かも知れないが「探偵小説」ではない。

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