ラベル その他 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル その他 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年4月4日日曜日

花見がにがて



 室外で食事をするというのが好きでないのと、まだ寒いということで花見はにがてである。



春だなあ

2010年2月20日土曜日

ツイッター

 Twitterを始めた。まだやり方がよく分からないが、フォローという仕組みでゆるやかに繋がることで世間が広くなるような気はする。

 フォローし始めた音楽評論家の鈴木淳史氏から、私がツイートしたヘッドフォンケーブルの断線について、ケーブル単品で購入できることを教えてもらいうれしかったが、他人からフォローされたということで緊張感も覚えたのだった。
 

2010年2月13日土曜日

親の気持ち

 私が一浪で志望の大学に合格したとき、母が「ありがとう、ありがとう」と言って泣いた。なんで「おめでとう」でなく「ありがとう」なのかと思った。

 今、受験生を持つ親になって、そのときの母の気持ちがやっと分かった。本人もしんどいが親もしんどい。浪人していた長女が大学に合格し、そのつらさから開放された。子供に感謝した母の気持ちがよく分かった。

2009年12月31日木曜日

大晦日

 今日は雪が降った、明日の元旦も降るかな。午前中は職場の床をクリーナーでみがき、明日ワックスをかける予定。午後からは音楽を聴いている。今、1963年録音のカラヤンのカルメン全曲版を聴きながらこれを書いている。紅白歌合戦を見る習慣はないので、CDを聴きながら今年を終えることになる。年が明けるまで起きている習慣もないので、カルメンを聴き終えて床につく予定である。
 
 来年が良い年であることを願う。
 
 

2009年12月7日月曜日

ネット接続不良に振り回された1週間

 まず、前回のことから話を始めよう。自宅で光ファイバーを使っているが、今年の2月にネット接続が不安定となった。ときどきネットにつながらなくなり、何回も接続を試みるとつながるといった症状だった。ルーターのランプ表示には異常はなかった。この時はプロバイダー側の問題だと決めつけ連絡をとった。しかし、プロバイダーの調査では回線には異常なかった。プロバイダーに言われ、ルーターを通さずに直接光ファイバーとパソコンをつないだところ全く症状が出ずにスムースにネットに接続ができた。こうなるとルーターの問題ということになる。ルーターを買い換えると症状はピタリと消失した。ルーターの故障だったのだ。

 今回は11月終盤から、時々カチッと音がしてネット接続が切れるようになり、ルーターのネット接続に関するランプも消灯してしまう。その後徐々に切断の頻度は増えていった。前回の反省からプロバイダーを疑わず、ルーターの問題だと思い、11月30日ルーターを買い換えた。買い換えてから6日間ほどはよかった。しかし症状が再発し、しかもひどくなったため、12月6日販売店に相談したところ他社のルーターに交換してくれた。そのルーターにしてその日は良かった。しかし次の日、つまり今朝から全くネットに接続できない状態となった。ネット接続に関するルーターのランプも点滅してつながっていないことを示している。ルーターを通さずに光ファイバーの接続装置とパソコンをつないでもネットに接続できない。こうなるとルーターよりも上流の問題、つまりプロバイダー側の問題ということになる。プロバイダーに連絡をとったところ、ケーブルの異常も考えられるとのことで、昼の休憩時間に自宅にもどりケーブルを交換したが、症状変わらず。その旨プロバイダーに伝え、結局夕方工事担当者が来て、光ファイバーの接続装置の故障だということが分かり、装置を交換して、無事に接続できるようになった。
 
 早合点してルーターを買い換えるのではなかったなあ、まず光ファイバーの接続装置をパソコンを直接つないでどうなるか試すべきだった。そうすれば早期にプロバイダー側の問題だと気づいたはずだ。それにしても、この1週間は疲れた。

2008年12月31日水曜日

12月31日

 明日からは新しい年に変わる。

 今年は私の仕事も不況の影響を受け、前年度割れが続いている。世界経済は来年はもっと深刻な不況になると予想されている。経済状況は仕方がないとしても、それ以外では良い年になってもらいたい。

 今、クレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団・合唱団によるベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴きながら書いている。
 正月休みに読むために積んでいる本は、副島隆彦と佐藤優の「暴走する国家・恐慌化する世界」、コリン・デクスターの「死者たちの礼拝」、R.D.ウィングフィールドの「フロスト日和」、D.M.ディヴァインの「ウォリス家の殺人」、ジェイムズ・クラムリーの「酔いどれの誇り」、P.D.ジェイムズの「女には向かない職業」、イーデン・フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」、ウイリアム・アイリッシュの「幻の女」、ルース・レンデルの「無慈悲な鴉」、レジナルド・ヒルの「殺人のすすめ」であるが、全部は読めないだろうな。

 紅白歌合戦は見ないので、今夜はベートーヴェン以外の第九交響曲を聴くことにするか、シューベルトとかマーラーとかドヴォルザークとかショスタコーヴィチとか。

 

 

2008年11月16日日曜日

マタンゴ



 新聞の科学欄でキノコは植物よりも動物に近いという記事を読んで、子供のときに観た映画「マタンゴ」を思い出した。「マタンゴ」は1963年公開されたホラー映画である。7人の若者が乗った豪華ヨット「あほうどり号」が遭難し、無人島に流れ着く。しかし、そこはキノコを食べるとキノコ人間「マタンゴ」になってしまうという恐怖の島だった。同時上映作品はヨットレースに興じる若者の青春を明るく描いた「ハワイの若大将」であった。

 今調べてみると、この映画はなかなか深い映画であったようだ。英国の作家、ウィリアム・H・ホジスンの「夜の声」という小説が原作とのこと。この映画は食料を奪い合ったり、女性を巡って争ったり、理性的に協力しようと見せかけて自分だけ助かろうとしたりする、そんな自分だけしか考えない恐い人間たちを描いた作品だったらしい。

 子供のときはただ怖いだけで、人間のエゴを描いた映画であるとは分からなかった。

2008年10月19日日曜日

近視手術

 私は強い近視である。昨日近視手術が可能かどうか検査を受けた。

 その結果、角膜がうすく(500μmだったか)、近視が強いためレーザーで削る角膜の量が多くなるため、残る角膜がかなりうすくなる。手術そのものは可能であるが、1回の手術で目標とする視力が得られなかった場合、通常は追加手術するが、その追加手術ができないので、すすめられないということだった。

 年齢相応の軽い白内障があるので、将来白内障手術を受けるとき、現在はまだ普及していないが、多焦点眼内レンズというのを入れてもらえば、コンタクトレンズや眼鏡をふだんは使わずにすむようになるので、その方法が一番良いだろうと言われた。

2008年10月13日月曜日

抗インフルエンザ薬の備蓄

 以下のような報道があった。
 新型インフルエンザ対策として独自の取り組みを進める東京都は、年内にも抗インフルエンザ薬400万人分の備蓄を完了する見通しだ。タミフル耐性ウイルスの出現に備え、リスク分散を図るためにリレンザを200万人分、タミフルを200万人分とする。最終的には、都の人口の6割分を目指している。

 我が家ではリレンザ14人分、タミフル14人分、N95マスク40枚を備蓄している。これは家族と従業員用である。家族・従業員は新型インフルエンザ流行時に発熱があれば、ただちに抗インフルエンザ薬を使用する。インフルエンザ以外の発熱であっても、抗インフルエンザ薬は効かないというだけで悪い結果をもたらすわけではない。経験的にインフルエンザの迅速診断キットで陽性となるのは最短で発熱後5~6時間以上経ってからであり、通常は10時間くらい経たないと正確な診断ができない。待つよりもまず抗インフルエンザ薬を使う方が安全であろう。早期に使えば、重症化せずに治り、感染中断免疫ができ、そのシーズンはもう感染することはないだろう。
 家族・従業員用に2回の発熱に対処できるようにして、残りを私が予防的に使う。予防は治療量の半分なので、毎日使って80日分くらいになる。新型インフルエンザ用ワクチン接種が可能になるまで、予防使用を続けることができれば一番よいのだが、その場合は薬を1年分くらい用意しなければならなくなり、今の時点では躊躇する。新型インフルエンザ発生のニュースを聞けば、直ちに充分と思われる量を注文しようと思うが、その時にはすでに注文が殺到し、こちらがほしいだけの量は確保できないだろうなあ。半年くらいでワクチン接種が可能になれば良いのだが。

2008年8月11日月曜日

加油

 北京オリンピックが行われている。元々、私はスポーツにはあまり興味がない。しかし、柔道の平岡選手の祖父と昔仕事で付き合いがあったので、平岡選手の試合を観た。しかしメダルを期待されながら初戦敗退という何とも残念な結果であった。
 オリンピック前は平岡選手の祖父が役員をしている零細企業団体の機関紙にも一面トップで取り上げられていたが、こういう結果になるとつらいなあ。もちろん、本人が一番つらいわけだが、家族も、まわりのひともつらい。
 4年後の雪辱をめざして、「加油」

2008年8月6日水曜日

先生、見られていますよ

 近所にお父さんと娘さんとそのご主人の3人の歯科医でやっている医院がある。
 ある早朝、外がうるさいので娘さんが窓からのぞくと、隣のコインパーキングで男女がもめていた。女性は「私をだましたのね」とすごい剣幕で男性に向かっていき、男は必死で逃げようとしていた。男はとうとうその駐車場の飲料水の自動販売機の横にあったゴミ箱をつかんで、それを振り回してやっと女性から逃げ出した。

 その男は歯科医院の近くの眼科医だった。ふつうに見るととても女性にもてるとは思えない先生なのだが、女性に対してまめなのでしょうね。

2008年7月21日月曜日

祈りと呪い

 夏向きの話をしましょう。
 
 2005年7月に権威のある医学雑誌「ランセット」に冠動脈疾患の患者に対して祈りが効果があるかどうかの論文が掲載された。祈りは患者と医療担当者には知らされずに、世界中のキリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、イスラム教徒たちによって行われた。その結果は祈りを受けないグループよりも「二段構え」(病気が良くなるように祈るグループが成功するように別のグループが祈る)の祈りを受けた患者たちは「6ヵ月間の死亡率と再入院率が他の患者よりも30%低く、統計的に意味がある」ということだった。

 この話を知ったとき、その逆はどうなのかと思った。つまり病気が悪くなるように呪うということだ。しかし、そういう試験は倫理的に許されないので決して行われることはなく、呪いの効果に関する論文が発表されることはないだろう。

 30歳台で2人の子供をつれて離婚した女性がいる。離婚したが、元の夫の母親との付き合いが続いている。というより、その人と縁を切ることができない。その女性の話によると、義母は不思議な能力を持っているという。まず、義母はその女性に子宮がんができているから病院で検査を受けるようにすすめた。最初の病院では子宮がんはなかった。それでも義母がしつこく言うので他の病院に行ったが、そこでも子宮がんは見つからなかった。3番目に大学病院に行き、そこで早期の子宮がんが見つかり治療を受けたそうだ。
 義母は自分に逆らうようなことをしたら、呪いをかけるという。義母にだまって実家の母のところに行くと決まって実母の体調が悪くなるらしい。呪いをかけられるのがこわくて縁を切れないということなのだ。

 呪いというのはそれを信じていて、誰かに呪われたと思った瞬間から効くものだ。不安になり、何か良くないことがあると呪いのせいだと思う。これが呪いが効いているということだ。呪いというものをまったく信じていない人や、信じていても呪われたということを知らない人には効かない。そういうものだと思う。この女性の場合、子宮がんは偶然だったのか、あるいはそういうものが分かる能力が義母にあったのか、どちらにしてもそういうことがあったために、義母の呪いの力を信じてしまい、結局呪いが効くようになってしまった。

 祈りの効果も大勢の人間が祈り、さらにその祈りが成功するように祈ってやっと統計的に意味がある結果が出たわけだ。一人の人間が呪いをかけて効果が出ることはないだろう。

2008年6月28日土曜日

コカ・コーラを医療に利用

 コカ・コーラを医療に利用するという話がある。


 ひとつは胃石の治療である。

 胃内で食物あるいは異物などが不溶性の結石状になったものを胃石というが、日本では柿胃石が多い。柿胃石は他の胃石に比べて硬く、内視鏡を使った砕石術の際難渋することが多い。この胃石がコカ・コーラで溶けるという報告が何件もある。やり方はさまざまで鼻から胃に入れたチューブから12時間かけてコーラを3L注入し溶かした場合や、毎日700mlのコーラを2ヶ月間飲んでもらって溶かしたとかいろいろである。


 もうひとつは胃切除後に内視鏡検査をする場合の前処置である。

 胃切除後に残った胃には朝絶食であっても食物残渣、胆汁逆流などがあり、内視鏡検査を困難にする。コカ・コーラを700ml飲んでもらうと他の前処置よりもきれいになるという発表が米国の消化器関連学会であったそうだ。

 それでどうしてコカ・コーラなのだろう、ペプシ・コーラはどうなのか(世界的にはペプシの方がシェアは高いのでは?)。他の炭酸飲料はどうなのかなどいろいろ疑問はある。
 そもそもコーラで胃石を溶かしたり、胃内を洗浄するということをなぜ思いついたのだろう。たぶん最初に試した医師がコカ・コーラ好きだったのではないだろうか、その後は前例にならってコカ・コーラということになったのかも知れない。

 コーラではないが、内視鏡検査中のレンズの汚れ落としにウーロン茶がよいという報告もある、これは窓の油膜とりにウーロン茶が活用されていることに着目して、試してみたらよかったらしい。



 余談だが、日本コカ・コーラ社製品の研究開発を担当するコカ・コ-ラ東京研究開発センターは、2006年4月1日、東京大学医学部付属病院で行われているプロジェクト「22世紀医療センター」に寄附講座を開設した。一般食品・飲料メーカーの寄付講座開設は、コカ・コーラ東京研究開発センターが初めてとのこと。講座名は「コカ・コーラ抗加齢医学講座」。加齢に伴って発症する肥満、生活習慣病、骨粗鬆症に対して予防効果のある飲料成分や食品成分の検討を目的としている。具体的には、動物実験で食品成分の作用やメカニズムを検討するとともに、細胞や人での試験も行い、肥満や高脂血症などへの効果に科学的根拠がある飲料や食品成分を解明するという。


 

2008年5月5日月曜日

赤十字マーク

 白地に赤十字の赤十字マークは、赤十字の発祥に重要な関わりのあったスイスに敬意を表し、スイス国旗の配色を逆にして造られた。
 赤十字マークは、紛争時などに負傷者や衛生部隊、病院などに表示された場合、ジュネーブ条約によって攻撃が禁止される。イスラム教国が使う赤新月マークも同様の効果を持つ。
 そのため使用は同条約で厳しく制限される。日本では、赤十字社以外が使った場合、法律により6カ月以下の懲役か30万円以下の罰金が科せられるが、日赤によると、適用例はないという。

 いやあ、使用制限があるとは知らなかったなあ。

2008年4月12日土曜日

山口百恵は菩薩である

 「山口百恵は菩薩である」というのは、平岡正明が書いた本の題名である。平岡正明はそれ以前に「ジャズより他に神はなし」という本も書いており、唯物論者のくせに神や仏が好きなようだ。

 私は山口百恵のファンであった。LPも何枚も持っている。でも純粋に山口百恵が好きだったのではないかも知れない。山口百恵を通してある女性を見ていたのかも知れない。

 大学時代、あるサークルで知り合った年上の女性が、山口百恵に雰囲気が似ていた。私はその人にあこがれていた。女性としての魅力もあるが、人間としてとても魅力的な人だった。その人が大学を卒業したら、私は自分の気持ちを打ち明けようと思っていた。でも卒業の直前にある男性からプロポーズされ、卒業するとすぐに結婚してしまった。もちろんショックであった。ただ、その男性のことも私は良く知っていた。顔なら自信を持って私の方が良いといえるが、人間的なスケールの大きさではとてもかなわない。お似合いの二人だと思った。

 結婚してその人は郷里を離れたため、長い間会うことはなかった。だが、数年前に帰郷した際に私の職場を二人でたずねてくれた。訪問すると連絡を受けたとき、若いときのあこがれの人も会ってみればただの中年のおばさんになっているのだろうな、と思った。でもそうではなかった。若いときよりも妖艶な魅力が増し、もっと美しくなっており驚いた。

 しかし恋心が燃え上がることはもうなかった。

2008年3月29日土曜日

バウムクーヘンと原爆ドーム

 バウムクーヘンというお菓子が好きというわけではないが、日経新聞土曜日別冊のNIKKEIプラス1の中の「NIPPONスイーツ紀行」に興味を引かれることが出ていた。

 1919年、広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)において、ドイツ作品展示即売会が行われた。そのとき現在神戸元町に本店を構える「ユーハイム」の創始者カール・ユーハイム氏が、カシの木の芯棒を手動で回しつつ生地を一層一層かけて焼き上げた年輪模様のお菓子が、日本におけるバウムクーヘン第1号といわれているそうだ。

2007年12月24日月曜日

インフルエンザ



 末っ子がつくったクリスマス・ケーキ。
 実はこの子が12月21日突然の39度の発熱のため、小学校を早退した。検査でA型インフルエンザであった。予防注射をちゃんと2回したのに感染してしまった。2~3日は熱が続くかと思ったが、翌朝からは発熱はなくなり食事もとれるようになった。こんなに早く回復したのはその夜に吸入したリレンザの効き目なのか、あるいは予防注射をしていたためなのか。インフルエンザが一日で自然に良くなるとは思えないので、リレンザとワクチンの両方の相乗効果なのかも知れない。
 インフルエンザに対する抗ウイルス薬に対して批判的な医学関係の人たちがいる。その人たちはワクチンに対しても批判的である。ワクチンは感染予防に効果がないし、重症化も防げない、抗ウイルス薬は1日早く良くするだけだ、両方とも副作用の心配がある、という批判だ。
 私も数年前インフルエンザにかかったことがある。12月31日に発熱した(その前日、いやに体がだるかった)。やはりワクチンは打っていた。その時は熱が出て3日目からタミフルを飲んだので効き目も悪く、正月休みの間寝込んでいた。かなりしんどかった。批判派はたった1日早く良くなるだけだというが、あのしんどさが1日早く良くなるのならば、抗ウイルス薬を使う価値はあると思う。

2007年12月13日木曜日

ケペル先生


 「ものしり博士」のケペル先生は子供の頃、毎週見ていた。「何でも考え~何でも知って~何でもかんでもやってみよう~」というテーマソングはまだ覚えている。
 このこどもテレビ百科事典とも言われたお勉強番組は、1961(昭和36)年4月~1969(昭和44)年4月までの期間、毎週土曜日の夕方5時45分~6時にNHK総合で放送されたとのこと。8年間も続いたのか、そうすると私が見ていたのは最初の数年間なのだろう。
 今、ケペル先生の写真をみると、ちょっとこわい感じがするがその頃はこわいなんてぜんぜん思わなかった。

2007年11月23日金曜日

弟の帰郷



 ホノルルで仕事をしている弟が久しぶりに戻ってきた。ちょうど今日は弟の誕生日でもある。我が家で誕生パーティーとあいなったが、弟はハワイの食生活で糖尿病になってしまっている。炭水化物ダイエットをしているそうだ。食事前に自己血糖測定をしたところ145と良好な結果であり、安心して予定の食事を始めることができた。
 豆乳なべとデザートはStudio K'sのシフォンケーキ、これならカロリーはあまり高くないだろう。
 弟の長女も今年、米国本土のKenyon Collegeに入学した。俳優のポール・ニューマンの母校である。Kenyon Reviewという文芸誌が世界的に有名らしい。姪とも長い間会っていない。小さなときのやんちゃな印象のままだ。